先代なんて関係ない

 いまひとつ冷房が効いていないビルのエントランスから、さらに灼熱の炎天下へ出るミキホ。この日はブレザーではなく、黒いパンツスーツに身を包み、ビジネスモード。


 ビルの真横にある駐車場へ向かい、停められている黒塗りのベンツの後部座席に乗り込む。車内はビルの中よりも遥かに冷えていた。まさに天国。



「あー、疲れた。しかも暑かった。冷房最高。人類が生み出した文化の極みだな……いや、撤回する。人類が地球をこんなに暑くしなきゃ冷房なんて要らなかった。自業自得の象徴か」



 文句を垂れるミキホに応えることなく、運転席に座る若頭・蟹沢かにざわが「出しますよ」と一言。車のサイドブレーキを下ろし、ギアをドライブに入れてアクセルを踏む。


 車が発進すると当時に、ミキホは蟹沢に「この後の予定は?」と尋ねた。



「特にありません。このまま事務所に戻ります。が、強いて言うなら……マメオの勉強を見てやってくれますか? アイツ、またテストで赤点取って、留年しちまいそうなんで」


「めんどくさ。蟹沢、お前が教えてやれよ。お前、勉強できそうじゃん」


「ご冗談を。俺は中卒ですよ。高校の、しかも進学校の試験勉強なんてチンプンカンプンです」


「ああそう。なら、私がやるしかねぇか」



 不満そうに背もたれに身を預けるミキホ。その顔をルームミラー越しに見ながら「それはそうと」と、蟹沢が話題を変える。



「打ち合わせ、どうでした? 俺がいなくても問題ありませんでしたか?」



 蟹沢は先ほどミキホが出てきたビル内で行われた、浜栗組はまぐりぐみのフロント企業との打ち合わせについて気にしていた。高校生であるミキホが組のビジネスについて、一から十まで把握するのは難しい。そのため、先代組長であるドンゾウの死後、ミキホが組を継いでからはすべての商談に蟹沢が同席していた。この日はミキホの希望で、彼女一人で臨んだのである。


 蟹沢の心配を拭い去るかのように、ミキホは笑顔を浮かべ、右手でオーケーサインを作る。



「余裕だぜ。ここ一年、お前の商談の進め方を見てきたからな。既存の提携先との定例ミーティング程度なら、私一人で大丈夫だ」


「そうですか。でしたら安心です」


「でも、新規の取引先との初顔合わせとかは不安だな。そんときは、お前について来てもらいてぇ」


「もちろんです」



 まだ一人前とは言えないものの、ミキホは組長として着実に成長している。そう実感し、蟹沢の口角が自然と上がった。



「オヤジとあねさん……ミキホ組長のお父様とお母様がご存命で、今の話を聞いたらきっと喜んだでしょう」


「そうか? 娘がすっかり裏社会に染まっちまって、悲しむんじゃねぇかな?」


「アナタが生まれてからずっと、お二人とも『浜栗組を継ぐのはこの子だ』と言ってましたから、絶対に喜びますよ」


「私がヤクザになるのは既定路線だったってわけか……笑えねぇ」



 そう言い放ち、ミキホは左手首につけたスマートウォッチに視線を落とす。画面には6月19日と表示されていた。ミキホの父と母の命日は明日である。


 オシドリ夫婦という言葉がピッタリな、仲の良い両親だった。ミキホが生まれる8年前から交際を始め、娘が高校生になるまで成長しても、付き合いたての大学生のように毎日イチャイチャしていた。


 二人とも、元は鮮魚会せんぎょかいに所属するヤクザ。父は本家の舎弟頭で、母は殺し屋だったという。やがて父が鮮魚会の中で浜栗組を立ち上げ、母も合流。今の浜栗組のいしずえが出来上がった。その後、蟹沢やマメオなどの組員を増やしながら、鮮魚会の中で勢力を拡大し、汚れ仕事を請け負う組として確固たる地位を形成。鮮魚会のトップである頬白ほおじろ会長から寵愛を受けていた。


 家族仲が良く、ヤクザとしても順風満帆に思えたミキホの両親だが、「死」は突如として彼らを襲った。商店街で買い物をしていた二人に、乗用車が激突。車体とビルの間に挟まれ、二人とも即死した。


 事故の衝撃で車を運転していた男も死亡。シャブ中のチンピラだった。


 ミキホが両親の死を知ったのは、学校から帰宅してすぐのこと。悲しみに暮れる間もなく、葬儀の準備が始まった。


 鮮魚会に所属するヤクザ数千人が出席する大規模な葬式。それだけ父と母が慕われていたのだと知り、ミキホの感情は悲しさよりも嬉しさのほうが優っていた。しかし、全く悲しくなかったかというと嘘になる。両親はミキホを過剰に甘やかすことも、過剰に叱ることもない、一般的に言う良き父と母だった。そんな二人を失ったことは、ミキホの心に大きな風穴を開けた。一方で、両親が何者であるかは幼い頃から父・ドンゾウに何度も言い聞かされており、重々心得ていた。



“ミキホ、お前には良い顔ばかり見せてきたが、パパとママは極悪人だ。多くの人の命や、金や、立場や、家族や、友達を奪ってきた。だから大勢に恨まれている。いつ誰に殺されてもおかしくない。そして死んでも天国には絶対に行けない。そういう人間なんだ”



 両親は誰かに殺されるかもしれない。そして本当の意味での幸せを掴むことは絶対にない。ミキホの頭の中には常に、その考えがあった。だからこそ、両親の死に直面しても冷静でいられた。込み上げる涙が、両目から溢れることもない。


 そんなミキホの姿が、葬儀に来ていた頬白会長の目に留まった。浜栗組を解体し、組員は本家である鮮魚会直下に置くという話も出ていたが、頬白会長の一存でミキホを二代目組長とし、浜栗組を存続させることが決定。ミキホの目に宿る「覚悟」、両親の死に動じず乗り越えようとしている覚悟に、組長としての器を見出されてのことだった。


 そこから一年、ミキホは蟹沢たち組員の力を借りながら、曲がりなりにも組長として浜栗組を引っ張ってきた。



「明日は、お父様とお母様の命日ですね」



 物思いに耽っていたミキホだが、蟹沢の言葉で我に帰る。



「今のアナタは、お父様の手腕と、お母様の容姿を兼ね備えた、 俺の理想とするヤクザに近づきつつあります。お二人に見せてあげたかった」



 僅かに鼻声になりながら、蟹沢はそう口にする。湿っぽくなりそうな車内の雰囲気を、ミキホの「はっ!」という笑い声が一蹴した。



「人をドラクエの配合モンスターみたいに言うなよ。私は私だ。親父とも、お袋とも違う。私は我が道を進む。そして二人の影がチラつかない、オリジナルにして最強のヤクザになってやる」


「それは頼もしい」


「だが、経過報告くらいはしておかないとな。地獄で親父とお袋が不安がるだろう。蟹沢、ウチの墓に向かってくれ。命日には少し早いが、報告がてら墓参りといこうじゃねぇか」


「……承知しました」

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