第20話 黒猫の潜入と、書斎の冷たい空気

 公爵家の豪奢な自室に戻り、侍女を下がらせたリアナは、一人になると同時に公爵令嬢の仮面を脱ぎ捨てた。きらびやかな夜会のドレスを乱暴に脱ぎ捨て、寝室の壁にかけられた巨大な姿見の裏にある、隠しスイッチを押す。ゴトリ、と重い音を立てて壁の一部がスライドすると、そこには彼女のもう一つの顔――情報屋"花季"としての機能的な活動着と、雑多な調査道具が収められた、秘密の空間が現れた。


 表の光と、裏の影。今の私そのものね。

 リアナは自嘲気味に呟きながら、ミラベル特製の小型魔導通信機(たまに混線して、どこかのパン屋の注文が聞こえてくる欠点あり)を取り出した。


「…ミラベル? 私よ」

『ひゃっ、花季様!? こ、こんな夜分にどうかなさいましたか!?』

 通信機の向こうから、いつもの慌てた声が聞こえてくる。私は手短に、夜会での出来事とレオニード王子への疑念を伝えた。


「――というわけで、近々、大使団の宿泊施設に潜入するわ。隠密行動に特化した、新しい道具を用意してちょうだい。それと、絶対に爆発しないものでお願いね」

『せ、潜入ぅ!? またですかぁ!? し、しかし、お任せください! 花季様のご期待に応えるべく、私の錬金術の粋を集めた、最高の潜入ツールを…!』

 ミラベルは悲鳴を上げながらも、その声はどこか嬉しそうだ。本当に、この子は…。


 数日後、私の手元には、ミラベルから届けられた新たな発明品一式が揃っていた。

『影に溶け込む☆忍者スーツ(試作品・関節部分がちょっとゴワゴワして動きにくいのが玉に瑕!)』

『壁にくっつく☆ヤモリの手袋(改良版・五分以上くっつけていると本当に剥がれなくなるので要注意!)』

 そして、『超小型☆盗聴魔導器・てんとう虫型(見た目の可愛さ重視!性能はそこそこ!)』。

 …相変わらずのネーミングセンスと、若干の不安が残る性能説明に、私は深いため息を一つ漏らした。


 決行は、レオニード王子が国王陛下主催の観劇に招かれた夜。王都の時計塔が真夜中を告げる鐘を鳴らす頃、リアナは忍者スーツ(確かにゴワゴワする)に身を包み、黒猫のように闇夜へと飛び出した。

 月明かりが、石畳の道を銀色に染めている。ひんやりとした夜気が肌を撫で、それがかえって私の感覚を研ぎ澄ませていく。


 大使団の宿泊施設――王宮に隣接する迎賓館は、静寂に包まれていた。しかし、その静寂は、張り詰めた弦のように危うい。建物の周囲には、エスターニア本国から派遣された屈強な警備兵たちが、鋭い視線を光らせて巡回している。彼らの動きには、カルデアの兵士たちにはない、実戦慣れした無駄のなさがあった。


(正面突破は不可能…狙うは、やはりあそこね)


 リアナは建物の影から影へと音もなく移動し、レオニード王子の部屋の真下に位置する庭園の茂みに身を潜めた。見上げれば、三階にある彼の部屋のバルコニーが見える。

 私はヤモリの手袋を両手にはめた。ミラベルの「五分以上は危険です!」という声が脳裏をよぎる。


(速攻で登るしかないわね…!)


 壁に手をかける。ピタッ! 驚くほどの吸着力だ。私は手と足を交互に動かし、まるで重力を無視するかのように、迎賓館の壁を登り始めた。ゴワゴワするスーツのせいで少し動きにくいが、前世で叩き込まれた身体能力が、この無茶な芸当を可能にしている。

 三分とかからずバルコニーに到達し、手すりに手をかけた瞬間、ヤモリの手袋を壁から引き剥がす。…うっ、本当に剥がれにくい! 少し焦ったわ。


 バルコニーの扉には、簡単な魔術錠がかかっていたが、私の指先にかかれば無いも同然だ。数秒で解錠し、滑るようにして部屋の中へと侵入する。

 王子の私室は、彼の表の顔を映し出すかのように、趣味の良い調度品や、各国の詩集、歴史書などが書斎机の上に整然と並べられていた。焚かれた香の匂いが、静かに部屋を満たしている。だが、その完璧に整えられた空間は、どこか人間味に欠け、まるで誰も住んでいないかのような冷たい空気を漂わせていた。


(この空気…嫌な感じね)


 私は五感を研ぎ澄ませ、慎重に部屋の捜索を開始した。狙いは、彼の本性を暴くための物証。

 書斎机の引き出しは、どれも当たり障りのない書類ばかり。ベッドの下にも、クローゼットの中にも怪しいものはない。完璧すぎるほどに、何もない。

 だが、その完璧さが、逆に違和感を際立たせる。


(隠し場所があるはず…こういう完璧主義者ほど、秘密は一番身近な場所に置くものよ)


 私の視線は、書斎机の上に置かれた、美しい装丁の革張りの本に注がれた。エスターニアの建国神話。王子がこれを熱心に読んでいるとは思えない。手に取ると、僅かな重さの偏りを感じた。

 本のページを慎重にめくっていくと…あった。中央部分がくり抜かれ、小さな収納スペースが作られている。

 中に入っていたのは、数枚の羊皮紙だった。一枚は、複雑な暗号で書かれた通信文の写し。そして、もう一枚は…!


(これは…王宮の『中央魔導炉』の、古い設計図…!)


 なぜ、彼がこんなものを? 王都の全ての機能を支える心臓部。もし、これが破壊されるようなことがあれば…。

 最悪の想像が頭をよぎり、背筋が冷たくなる。やはり、彼はただの平和の使者などではない!


 私はすぐさま、ミラベルに改良してもらった『瞬間記憶カメラ(今回は心霊写真オプションOFFのはず!)』を取り出し、証拠を水晶板に焼き付けた。

 これで、ひとまずの物証は手に入れた。あとは、ここから無事に脱出するだけ…!


 そう思った、まさにその時だった。

 遠くの廊下から、複数の足音が聞こえてきた! しかも、どんどんこちらに近づいてくる!


(まずいわ! 観劇が予定より早く終わったの!?)


 私は咄嗟に、部屋の隅にかかる、床まで届くほど長い、分厚いビロードのカーテンの裏に身を滑り込ませた。心臓が、警鐘のように激しく鳴り響く。


 カチャリ、と音を立てて扉が開き、レオニード王子の静かな声が、部屋の冷たい空気を震わせた。


「…今宵は月が綺麗だな。だが、少し空気が違うようだ」

 彼の声と共に、数人の屈強な側近たちが部屋に入ってくる気配がする。

「――そこに、誰かいるのか?」


 カーテンの隙間から、彼の紫の瞳が、真っ直ぐにこちらに向けられた気がした。

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