第18話 チョコレートにまつわる論争
カーテンの隙間から朝日がさしこんでくる。カモメの鳴く声がきこえた。
ポールはベッドのそばで乗馬服に着替えていた。私が目を覚ましたのに気づいて視線を向ける。
「アンを迎えに行く。ダリアと一緒に」
悪い予感がした。
「ダリアと?」
娘に会いたいとポールに頼んだのだろうか。アンは母親のことを怖がっているし。ダリアの話題が出るだけで落ち込んでしまうのだ。
「マリーが、ダリアの一番下の娘が、姉に会いたがってるみたいだ。ダリアが唯一かわいがってる子どもさ」
ポールはなんだか浮かない顔をしている。
そう言えば私はアンがポールのお気に入りの子どもなことに気づいていた。従順で気持ちの優しい子である。お酒の入っていない時には、アンはよく父親に甘えていた。仔馬や乗馬用の長靴、ドレスなどのプレゼントをポールからもらうのもアンである。
「ダリアはマリーを手放したがっているのかもしれない」
ポールが顔をしかめて言う。
「だが、うちでは引き取らないつもりだ。一体どんな腰抜けが他の男の子どもを引き取って育てる?ダリアだってわかってるはずだ。デニスに相談すればいいだろう……」
理解できなかった。デニスに何の関係があるのか。単なるポール流の狂言なのか。彼は明らかに苛立っている。はじめて出逢ったときのように、狂気に満ちた目をして。
「マックスとハンナはギルバートに預けているのよ……」
遠慮がちに言った。
ポールが表情をやわらげて私をみる。
「聞いてるよ。マリーもギルバートに預けるべきかい?」
冗談めかした口調だった。
「そうなったら変ね。ダリアは承知しないでしょうし」
「だろうな。ダリアはギルバートを嫌っていた。面と向かって田舎者呼ばわりしてたよ」
ポールが愉快そうに言う。過ぎ去ったしあわせな日々を惜しむかのように。
メアリー=アンが朝食のお盆と共に部屋に入ってきた。寝床のシーツを持った手で、今日の予定を聞く。
「ギルバートと街に出かけるわ」
侍女はニッコリと笑うと部屋を出ていった。裸足のまま、お盆の上にのったぶどうを食べる。甘い果汁が手のひらにしたたった。
「子どもたちに会いに行くの。ダリアの親戚が見つかったのよ」
ギルバートが見つけ出したのだ。
「親戚に預けるのか」
「ええ。まだ決まったわけじゃないけれど、あなたは気にしない?」
ポールは勝手にすればいいさ、と言った。どっちみち彼の子供ではないのだ。
「ギルバートはお前に協力的だな」
私は果物をほおばる手をとめて、彼を見た。何をかんがえているのだろう。どういう意味なんだろう。
まさかギルバートに嫉妬しているのではないか。
それはばかげた考えだった。ポールはダリアに夢中なのだ。私には興味なんかない。それに、ギルバートは大切な友人で、お互いそれ以上の感情はないのだ。
「そういえば、クラリッサが今日の会議にはお前も参加するといいと言っていた。子どものことは後回しで来るといい。ギルバートには私から伝えておく」
断るひまもなかった。なにか喋る前に出かけてしまったのだ。
勝手な人だ、と思う。でも決まった以上はしかたなかった。
クラリッサの会議は女の私には退屈だ。主に年長の男がこれまた退屈な話し合いをするのだった。幼王ロバートが上座に座り、母親のわきでお絵描きをして遊んでいる。
ポールもデニス来ていた。私の席はポールとクラリッサの間だ。末席にはデニスが、感じのよい陽気な顔をして座っている。
「しかし、母后殿下、どうしても納得できない。なぜサンドンの騎士連中の侵入を許すんですか。あいつらは金品を奪い、土地を荒らしては住民に乱暴な真似をする。とても許せませんよ。サンドンとの国境沿いには兵士をもっと派遣すべきです」
細長い、日焼けした男が朗々たる調子で言う。
みなが男の意見に賛同の声をあげた。事実、彼の言葉には説得力があったのだ。
サンドンのことなら私も聞いている。隣国の騎士たちが国境をこえてやってきて、我が物顔で歩き回っているのだ。騎士が家畜や家財を盗み、女たちをさらい、畑に火を放つ。酔っ払った騎士の一人が「景気づけに」と剣の
会議に参加している男たちは隣国サンドンを警戒し、恐れていた。必要なら戦争だってするかもしれない。
クラリッサにだってサンドンの荒くれ者たちは
「サンドンは我が国最大のカカオの輸入相手国なんですよ。騎士の一人や二人など。領主たちにしばらく農民は城で寝泊まりさせるよう、言ってやりなさい」
クラリッサがキッパリと言う。
私は薄々とだが、カカオがこの世界では金よりも希少かつ高価なものだということを理解し始めていた。高貴な者の食卓には必ずホットチョコレートと銀のお皿に甘いチョコがある。
たしかにチョコレートやココアはおいしくて素敵な食べ物だけれど、この世界でのもてはやしぶりは度を超えたものがある。あまりに熱中し過ぎて外交にさえ影響を与えているのだ。一部では貨幣として使われているのだとか。
私はクラリッサを観察した。いくら皆がチョコレートに熱中しているといっても、もう少しサンドンに強気で出ることもできるのではないか。
母后はたくみに感情を隠していた。プライベートのときとは違い、会議のさいにはその赤ら顔はぴくりともしない。
会議は一時間ほど続いてやっと終わった。男たちはまだ激しい口調で議論を戦わせている。
ポールと部屋に帰ろうとする私を、クラリッサが呼び止めた。眉をつりあげ、肩をいからせ、ヒステリックな表情をしている。こういう女の言葉には逆らえなかった。
「サンドンのことは仕方ない。姉さんはよくやっているよ。他の連中は知らないんだ」
ポールはそれだけ言うと、先に部屋を出ていった。
クラリッサと私だけが残される。
「ポールと寝てないのね。一度も寝たことがないのね」
やっとのことで怒りをおさえているような声だ。
私は顔を上げて
メアリー=アンだ。クラリッサは私たちの寝室にスパイを送ったのだ。
「私の取り決めた結婚を
「いいえ」
私はなんとか心の中の怒りと戦いながら言う。
「彼はダリアを愛しています。私と寝たところでダリアを忘れて、私を愛するようになると思っているんですか?」
ビシッという乾いた音が響いた。クラリッサが私の頬を平手打ちしたのだ。頬がジンジンと痛む。
「口答えするとは!三日以内に寝なさい。私の言うことは絶対ですよ。よく覚えておきなさい!」
私は呆然の
信じられない。寝室にスパイがいるなんて。信じられないくらい気味の悪い、不愉快なことだ!
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