六、五刑
少女が意識を失ったのと同時に、背後から足音が聞こえてきた。重たい足音、軽い足音、荒い足音。三人分だ。
「すぐ合流できて良かった。とりあえず、この子は
「このドアホがっ!!」
いきなり罵声とともに頭を殴られた。
「いっったァ!?」
あまりの衝撃に眩暈がする。誰にやられたかは見なくとも分かった。こんなことするのは、死木島の周りには一人しかいない。
「な、なにするんですか……
振り返ると、ショートカットの小柄な女が眉をつり上げ、拳を構えていた。
「なにじゃないよ! いつも言ってるだろ。単独行動はするな、自分を過信するなって。あんたは何度言ったら身につくんだ!!」
「で、でも、緊急事態でしたし……」
「でももストライキもない!!」
「ぐぁッ!?」
もう一発げんこつが振り下ろされる。
いつもならストッパーになってくれる
「お前の判断ひとつで仲間を殺すことだってある。リーダーならその自覚は持て。ときには命を切り捨てる覚悟もな」
二メートルを超える長身で、筋骨隆々としたスキンヘッドという威圧的な外見に反して、徒橋はとても理知的な男だった。
普段は口数が少ないが、仲間思いで、誰かを諫めるときは誰よりも言葉を尽くす。それが徒橋だった。
「……すみません」
「貸せ。その子は俺が預かろう」
死木島は先ほど助けた少女を渡した。
徒橋は慎重に受け取ると、結界を張り、その中に少女を寝かせた。
「……今回のお前の行動すべてが間違ってるとはいわん。この子はお前のおかげで助かったんだ。だが、一人で突っ走るな。俺か苔原か、流川か。まあ誰でもいいが、ひと声かけてから行け。勇気と蛮勇を履き違えるんじゃない」
反論の余地もないほどの正論に、抜かりないフォロー。死木島はますます肩を縮めた。
その様子を見ていた
「まあまあ、オッサン。そんなに死木島のこと責めてやるなって。こいつが人命救助になると突っ走りがちなのは知ってるっしょ。おかげで怪異の場所も分かったんだしさ!」
それで説教は終わりという空気になって、徒橋と笞原がわずかに表情をゆるめる。
そこで、死木島はある人物の不在に気がついた。
「そういえば
三人が顔を見合わせ、それぞれ呆れた顔で首を振った。
「はぐれた」
「またかよ……」
首都のティンプーでわざわざドライバーを雇い、瘴域の徒歩圏内に入るまではタクシーを使ったというのに。
人智を超えた方向音痴だった。
「あの距離でどうやったらはぐれるんだ……」
「杖ヶ崎七不思議のひとつだよな」
「あと六つはなんだよ」
「知らん。今テキトーに作った」
流川はヘラヘラと笑いながら舌を出した。そこには一昨日、パロの露店で買ってやったピアスが輝いていた。日に日にアクセサリーが増えているが、どれもパープルカラーの短髪とよく調和している。無節操に見えて本人なりの拘りがあるのだろう。
「ま、嬢ちゃんがいなくたってなんとかなるさ」
苔原は暢気に言って、しかしすぐ表情を引き締めた。
「それより、見なよ。あいつらそろそろ待ちきれないみたいだ」
少女を助けるとき、ついでに張った呪符の効果が消えたようだ。どうやら腐泥の赤子たちに食べられてしまったらしい。
中心に立っている瘴域の主が、死木島たちに顔を向ける。
禍々しい霊力の奔流。恐らく、話に伝え聞く『慈光園』の怪異に匹敵する脅威だろう。
あの腐泥に触れてはいけない、と本能的に察する。
「ギギギギギギィギィギィギィギィ」
瘴域の主は、股まで及んだ口を大きく開き、その縁に並んだ歯を鳴らした。それらは個々の意思を持っているように蠢いている。
流川がにこにこと言う。
「ほいじゃ、改めて指示くれよ。リーダー!」
「徒橋さんは女の子の守護を。苔原さんは僕のサポート。流川は……」
「キィィィィィアアアァァァァッッ!!!!」
瘴域の主の声に反応して、腐泥の赤子たちが金切り声を上げる。目に見える範囲だけでも、数は五十体ほど。森の奥に控えている後続たちも含めると、百体を優に超えるだろう。そのすべてが、死木島たちに襲いかかってくる。
「こいつらの処理」
「あいよー!」
言うが早いか、流川はしゃがみ込み地面に触れた。
周囲一帯を覆い尽くすほどの洪水が発生し、赤子たちを瞬く間に押し流していく。
「気を抜くな。すぐ次が来る」
それと同時に、波から逃れた赤子たちが猛スピードで駆け寄ってくる。
「流川」
「分かってる!」
流川が手をかざすと、洪水に巨大な渦が発生した。取りこぼした赤子も巻き込み、その凄まじい水圧でボロボロと崩壊させていく。
死木島はその間に霊力を練り上げた。
「流川はそのまま術の固定。ただ、もう少し下がってくれ。あぶない」
と、自分の後ろまで流川を下げさせた。
死木島の術は強力だが、どうしても発動に時間がかかる。そのため、仲間のサポートが必須だった。
「ギイギイギイギイギイギイギギギギギ」
瘴域の主が歯を鳴らしている。
赤子では対処できないと踏んだのか、腐泥を巨大な腕の形に変えてきた。その腕はどんどんと膨らんでいき、瞬く間に二十階建てのビルほどにまで大きくなった。
「あ、やば。流石にそれは無理」
霊力の無駄遣いを避けるため、流川はすぐに水を消した。だが、諦めたわけではなかった。その口許にはいつも通りの笑みを湛えている。
死木島も怪異には構わず、霊力を練り続ける。
「キャアアアアアアアッッ!!」
ついに腕が振り下ろされる――
次の瞬間、目の前に巨大な蛇が現れた。
その鱗は、梵字の書かれた呪符で出来ており、全身におびただしい数の眼球が蠢いている。胴体の半ばまで裂けた口には、食いちぎられた腐泥の腕を咥えていた。
その蛇は、苔原の左半身から伸びる式神だった。
「姐さんの術、毎度毎度ビビるんだよな」
「対象に命中するまで絶対に認識できない攻撃だから、そりゃあな」
死木島はその蛇にうっとりと見蕩れていた。
「……やっぱ苔原さんのナダちゃん、いつ見ても最高だよなあ」
「げえ、動物好きも大概にしとけよ」
流川はべっと舌を出した。
「お前の守備範囲広すぎない?」
「そうか? 流川だってイヌ好きじゃないか」
「イヌとあんなゲテモノを一緒にすんなよ」
「どっちも同じくらい可愛いだろ」
「あんたら集中しな!」
苔原から檄が飛ばされ、瘴域の主に目を戻した。
流川の高圧水流と苔原の蛇のおかげで、腐泥による質量攻撃はあらかた片付いた。
そして徒橋が結界を操作しながら、瘴域の主を絶えず攻撃している。
我妻家にすら成し得なかった結界術の攻撃転用。相手に直接ぶつける形で展開し続けることで、さながらクラスター爆撃のような規模での弾幕を張ることが可能になる。
しかし瘴域の主は相当な硬度のようで、ダメージはあまり通っていなかった。
――
「大将はあたしらじゃ無理だ。あとは頼んだよ」
死木島は頷き、
「全員、後退!」
その瞬間、二人は徒橋の結界内まで一足飛びに下がった。同時に、手の内に留めていた霊力の塊――黒剰を放つ。
黒い球体は一直線に飛んでき、瘴域の主に触れた瞬間、ぞんっと奇妙な音を立てて、怪異の背後にあった大樹まで消し飛ばした。
あとに残ったのは、レンズエラーを起こしたような空間の歪みだけだった。
「終わった終わった」
「おつかれさん、リーダー」
流川と苔原が駆け寄ってきた。結界を解いた徒橋は、安堵したように息を吐き、少女に怪我がないかを確認している。
「にしても、いつ見てもおっかねえな」
流川が空間の歪みを見つめて、
「あれ、重力で押し潰してるんだっけ?」
「原理はブラックホールと同じだから、まあ、そうともいえるけど。厳密にいえば消滅させてる。ブラックホールってなんとなく、なんでも吸い込む掃除機みたいに思われがちだけど、実際はそうじゃなくて――」
と、そのとき。
「す、み、ま、せ~ん!!」
バタバタと慌ただしい足音が近づいてきた。
振り返ると、大きな丸眼鏡をかけたおさげ髪の女が走ってくるのが見えた。胸の前に抱えた
「あ、七不思議の二つ目思いついたわ」
「なんだよ」
「なぜか錫杖だけは失くさない」
思わず笑ってしまった。たしかに、それも不思議だ。杖ヶ崎はよく物を失くす。今かけている眼鏡も、どこで失くすのか、ブータンに入国してから二回変わっている。
ようやく杖ヶ崎がやってきて、死木島に頭を下げた。
「ほんっとうにごめんなさいっ! 私ってばまたやっちゃって!」
ペコペコと、まるで赤べこのようだった。
流川は面白そうに聞いた。
「おう。今度はなんではぐれたんだ」
「いやあ、それがですねえ……」
杖ヶ崎は落ち着きなく視線を動かしながら、
「ここに来るまで、あの、タクシー乗ったじゃないですか。それで死木島さんが先に飛んでっちゃって、それで、みなさんもすぐ追いかけてったじゃないですか。私もすぐ行こうって思ったんですけど……」
そこで少し息を吸って、
「運転手の人が、あの~、言葉は分からないんですけど、なんかもう少し乗せてやるみたいなこと、たぶんですけど、言ったんですよ。断るのも悪いかなって、じゃあ少しだけって乗ったら、その人めちゃくちゃにかっ飛ばし始めて。挙げ句に知らないところで降ろされちゃって。あれぜったい
そばかすの浮いた顔を赤くして、珍しく怒っているようだ。
後ろで、苔原が拳を固めている。
死木島と流川は黙ったまま話を聞く。
「で、まあ文句言ってもしょうがないんで、霊力辿ればいいかなって。これでも急いできたんですけど……」
「こんのっボケナスがぁッ!」
「ひぎゃあッ!?」
苔原の拳に、杖ヶ崎が沈んだ。死木島と流川は顔を見合わせて笑った。
「うぎぎぎぎ……あっ、頭が割れる……!」
杖ヶ崎はずれた眼鏡を直し、
「な、なにするんですか苔原さん!!」
「もう少し危機感を持ちな! 女の子がひとりでよく分からない車に乗るんじゃないよ!」
「よ、よく分かんなくないですよ。ティンプーで雇ったドライバーじゃないですか!」
「言い訳すんな!」
ふたたび拳が飛んでくる。
「ぎいいいいぃ……ッ、そ、そんなボコボコ殴ったら馬鹿になっちゃいますよ。死木島さんが運転手さんとなんかお話ししてたじゃないですか。だから大丈夫かなって……」
「僕のはただの情報収集だ。仲良しこよししてたわけじゃない」
「む、むう……」
杖ヶ崎は錫杖を杖に立ち上がると、
「ま、まあ次から気をつけます。そ、れ、よ、り!」
パッと顔を華やがせる。
「怪異! 怪異はどこですか!? 私やる気十分ですよ! あのドライバーにはずいぶんと弄ばれましたからね。ここで一発、怪異を倒してストレスを……」
「杖ヶ崎。あれ見てみ」
流川が重力の歪みを指差す。
「あ、え。え、え。も、もしかして……もしかすると……もう終わっちゃってます?」
「僕の黒剰で終わらせた」
「じゃ、じゃあ再生するとかも……」
「ないな。絶対にない」
「そ、そんなあああああああ!!?」
その場に倒れ込み、五体投地でバタバタと駄々をこね始める。
「私も闘いたかったのに!! やだやだやだやだやだ!! ヤダーーーーッッ!!!」
流川は腹を抱えて笑っている。苔原と徒橋は呆れた顔で首を振った。
「強い奴とは近いうちに闘えるよ。まあ、次のは怪異じゃないけどな」
死木島の言葉に、杖ヶ崎が目を輝かせる。
「そ、それって、もしかして例の……!」
「ああ、いよいよ指令が出た。詳しいことはまた後でな」
「やったぁ……ふへへへ」
杖ヶ崎はこぼれ落ちそうなほど頬をゆるめて、にやにやと笑った。
瘴域が晴れていき、衝くような青空に迎えられる。透き通った風が、死木島のペンダントを揺らした。
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