第1章 3話



建物の崩れ去る轟音が大地を震わせ、破壊の衝撃で巻き上がった粉塵が空を覆う。耳をつんざく爆音と共に吹き荒れた爆風は、町を覆い尽くしていた瘴気を吹き飛ばし、残滓だけを空気に漂わせた。



闇は裂け、久しく届かなかった陽光が差し込む。オレンジ色の光が照らし出したのは魔力の爆発により無残に破壊された町の惨状。



 そして――魔獣。



「・・こわれた・・いとしい・・・コ? キヒヒィ・・ィィィイイイイ゛イ゛!」



 狂気を宿した顔で天を仰ぎ、光を浴びながら両腕を大きく広げると。狂った笑声を撒き散らしながら何度も回転し、飛び跳ねる。その姿は不気味であると同時に、どこか無邪気な子供を思わせる残酷な滑稽さを帯びていた。



 ――その時だった。



「・・・・まだだ、・・まだ私は、壊れてない・・」



 掻き消されたはずの声が、瓦礫の山の奥から確かに響いた。



 魔獣は顔を向ける。ゆっくりと、狂喜の表情で、離れた広場に出来た瓦礫の山に。



「・・・まさか、魔獣のくせして魔力を操れるとはな」



 すると。崩れた瓦礫の山の頂点から悪魔の手が突き破り現れる。ごつごつとした血に塗れた指が瓦礫を掴み、ギシリと軋む音を立てながら、ローズの体が瓦礫を押しのけて這い出してきたのだ。



「・・危なかった。以前の私だったら・・・死んでいた」



 彼女の呼吸は荒く、胸が上下するたびに押し殺した呻き声が漏れた。裂けた衣服から覗く肩や腕にはどす黒い痣が浮かび、粉塵にまみれた血が乾いて黒くこびりついている。



 粉塵を払おうと衣服を叩く仕草でさえも、動きは鈍くたどたどしかった。



「・・久しく味わったことのない、この痛み・・・」



 彼女は小さく跳躍し、粉塵をその身から舞い上げ瓦礫の山から地面に下りる。着地の衝撃で体をふらふらと揺らすと、足元にポタポタと赤黒い滴が落ちていく。


 

「そしてこの、胸糞悪い血の味・・・!」



 血交じりの唾を吐き捨てる。その姿は敗北寸前のはずなのに、対峙する者には「まだ戦いは終わらない」と思わせる矛盾を感じさせた。

 


「それにしても、何処までも驚かしてくれる。人の姿をし、不快だが言葉も話す。そして極めつけは自身の魔力を操るんだ。「魔獣」ではそんな事は出来ない、こんなことが出来るのは一部の「人間」・・そう、容姿と言動がもう少し真面なら、お前は私達と同じ「魔導士」だ・・・」



 口の端から垂れる血を袖で乱暴に拭い取る。だがすぐに新しい赤が溢れ、顎を伝って落ちた。



「・・・だが、「瘴気」を操れる、瘴気に侵された人間はこの世に存在しない。つまりお前は間違いなく「人間」ではない。「人」でもなければ「魔獣」でもない、・・どちらにもなり切れてない中途半端で異質な存在」



 血の匂いが漂う中、ローズは口角を上げ、不敵に笑った。



「そういうモノをなんていうか知っているか?。人はお前みたいなそういう未知の存在を・・・「化け物」と言うんだよ」



 何処か嬉しそうに言葉を口にするローズ。彼女は初めて光の下で「化け物」と呼ぶものに視線を向けた。



「ならば・・お前は私と同じ「同類」。後れを取るのも当然だ。私は魔獣との戦いをしていて、同類との戦い方をしていないんだからな・・」



「・・・ひひ・・うれしいっ!・・・ギ・・・ギヒヒ・・まだあそべる・・・アリアァ!」



化け物が咆哮とも歓喜ともつかぬ声を上げる。その狂気の叫びは破壊の町並みに木霊し、耳障りなまでに鋭い。



「・・へえ、明るい所で見るとよくわかる。・・お前、狂ったいい顔してるよ」



 頬を震わせながらも、口端を吊り上げる。嗤うというより、痛みに泣きそうな顔を、無理矢理に笑みに変えたようなその表情は、逆に狂気の色を増していた。



「ギャハハハハハ!」



「・・・それじゃあ、狂った者同士で始めようか。・・「化け物同士」の・・戦いを」



 互いの狂気が共鳴し合ったその瞬間、吹き飛ばされ散った瘴気が再び収束を始めた。先ほどまで霧のように漂っていたそれは、今度は空に渦を巻き、大きなうねりとなって形を変える。



 やがて顕現したのは、黒々とした巨大な大蛇。瘴気の塊は不気味な眼光を宿し、ローズではなく、己を生み出した化け物へと牙を剥いた。



 鋭い風切り音と共に大蛇は標的に突進し、そのまま大口を開けて丸呑みにする。



「・・・どうやら、お前でも理解できるようだな」



 直後、大蛇の腹から不気味な吸引音が響いた。黒蛇の巨体は苦悶するようにのたうち回り、急速に萎んでいく。



「ここから先はお遊びじゃない、本気で来ないと私を殺せないということを」



 ズズズッ、と何かを啜る音と共に大蛇は内側から食い尽くされ、消滅すると、中から化け物が姿を現した。



 そう、大蛇に丸呑みにされたのではない。 ――呑み込んだのは化け物の方だったのだ。



 すべてを己が肉体に取り込んだ化け物は、焦点の合わない瞳を大きく見開き、千切れた片腕を空に突き上げた。



「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!」



声にならない狂気の叫びが、その身から噴き上がる黒い稲光の轟きに重なる。

 


足元から突如巻き上がるつむじ風。突き上げた腕の断面から、ブブブブッと虫の羽音のような不快な響きが溢れ出す。



断面から噴き出した瘴気は黒い糸のように絡まり合い、失われた肉と骨を補うように編み込まれていく。



 肉ではなく、瘴気そのもので構成された黒腕。それがギチギチと不気味な音を立てて天に掲げられた。



 ローズはその光景を見て口元を歪める。痛みか喜びか・・震える拳を握りしめ、体に力を込めた。



「・・この「力」を使うのも、「あの時」以来か。・・いくぞ」



 瞼を閉じ、意識を自身の奥底へと沈める。心臓の音が、警鐘のように脳内を叩く。



 ・・・・大丈夫だ。もう「あの時」の私とは違う、今の私なら「あの時」のようにはならない。必ず制御できる・・絶対に、飲まれはしないッ!。



 ローズの瞼が決意と共に開かれた時。黒い左目に鮮烈な深紅の色が宿る。



 体内の奥底より湧き上がる漆黒の魔力に呼応し、体に刻み込まれた「力」が深紅の光を放つ。



 次の瞬間、漆黒の魔力は体内で爆発し解き放たれると、その身から噴き出した。



「・・ぐ、ゥッ!」



 漆黒と深紅の絡み合う光が、異形の顕現を告げる。



 「・・ガハッ・・・ガァァアアア゛ア゛ッ!!」



 破壊された町に轟く魂の咆哮。



 その声に導かれるように、血塗られた魔女――深紅の魔女ブラッディー・ローズと呼ばれる化け物が、今ここに姿を現した。



 △



 ローズと別れてから、町の様子が窺える郊外へと避難していたエルシド達。周囲には避難してきた人々も集まり、皆同じく町の方角を見つめたまま立ち尽くしていた。



「魔獣が・・俺達の町を破壊している・・・」



「なんだよ、あの空に現れた黒い蛇みたいなやつは・・!?見間違いじゃないよな・・?夢じゃないよな!?」



 騒然とした空気。人々は恐怖と混乱に震え、信じられない光景に言葉を失っていた。



 突如として訪れた災厄。何が起きているのか理解できない彼らに、エルシドはこの場所で説明していた。



 ――自分たちがマギの魔導士であること。

 


 ――町の中に、理由は不明だが突如として魔獣が現れたこと。

 


 ――そして、今まさに一人の魔導士がその魔獣と戦っていること。



 その恐ろしい事実を耳にした直後、町から響く破壊の轟音。空に顕現した黒き大蛇。



 理解の追い付かぬ現実に人々の顔は恐怖で引き攣り、ざわめきは次第に絶望的な沈黙へと変わっていった。



 彼らはただ固唾を飲み、黙って破壊された町の姿を見つめ続けるしかなかった。



「・・・大きな爆発と共に瘴気が消えたと思ったら、今度は空に大きな黒い蛇みたいなのが出てきましたよっ!?。一体何が起こってるですか!?それにローズは・・戦いはどうなったんでしょうか、エルシド様・・!?」



 焦燥の混じるティティの声。エルシドは短く息を吐き、慎重に言葉を選びながら答えた。



「・・分からない。・・でも、一つだけ確かな事がある。・・あの爆発も、そしてあの空に現れた黒い蛇みたいなものも。ローズが引き起こしたものじゃないという事。既に想像の範疇を超えているから推測しかできないけど・・」



 エルシドは現在の判明している情報を整理して、この状況を冷静に分析する。



「ローズは避難する時、「瘴気」と言った。なら戦っているのは間違いなく魔獣と言う事になる。・・そうなると先程のあの爆発も、あの黒い何か《大蛇》も。魔獣が起こした現象と言う事になる。・・普通の魔獣にそんなことができるはずがない」



 エルシドは緊張から唾を飲み、結論を口にする。



「なら・・相手は普通の魔獣じゃない。瘴気を・・魔力を操ることのできる魔獣。ローズと同じ、常人にはない異能の力を持つ者・・「怪才の主」・・」



「怪才の主・・!?そんな・・瘴気を操るなんて聞いたことが無いですよッ!?」



「僕だって聞いたこともないよ。でも・・現状の情報だとそれしか考えられない・・」



エルシドの脳裏に、ローズと同じ懸念が過った。そしてそれと同時に、彼だけの胸中にもう一つの恐怖が芽生えていた。

 


「・・怪才の主。そんな存在が相手ならば、今のローズでも間違いなく後れを取る。・・なら対抗する為に、彼女も「力」を使うことになる」



 エルシドの言葉を聞いたティティの顔色が変わる。彼女はエルシドの方を見ると、決意を込めて小さく頷いた。



「・・行きましょうエルシド様!ローズを助けに行くんですっ!「力」を使わせる訳にはいけません!!」



 ティティがただならない様相でエルシドに言葉を投げかけるが、彼は目を伏せ、頭を横に振る。



「・・駄目だよ。町で戦ってる二人は「怪才の主」同士。そんな戦いに僕達が行ったところで何もできず、ただ足手纏いになるだけさ。・・信じるしかないさ。無事に戻ってくることを・・彼女が、今まで通りの彼女であることを」



「エルシドさま・・。でも、でも・・」



 悲痛な顔で此方を見つめるティティの手を、エルシドは優しく、強く握り返す。



「ティティ・・信じるんだ。僕達が刻んだ「刻印」が彼女を守ってくれることを・・!」



 ティティはその言葉を聞くと強く目を閉じ、祈るように頷いた。



「・・分かりましたエルシド様。ローズ・・お願いです、どうか無事に戻ってきてください」



 二人は強く手を繋いだまま、地獄の様相を呈した町を、毅然と見つめ続けた。



 避難民のざわめきが静まる中、彼らに残されたのは、一筋の希望にも似た祈りと、その祈りが届かないかもしれないという底知れぬ恐怖だけだった。



 △

 


 ローズの肉体には今まで見えずにいた「無数の刻印」が浮かび上がり、深紅の光を宿していく。それらは燃え盛る火焔のように明滅し、魂の奥底から魔力を呼び起こす。



――熱い。体の中を・・熱が・・業が巡る・・!。

 


 魔力は体内を駆け巡り内側より燃やし尽くす。損傷した肉体が悲鳴を上げ、体を引き裂く痛みが身体の芯まで染み渡る。



「・・ぐ、ッ・・あ・・あああぁぁぁぁぁッッッ!!」



喉の奥から絞り出されるのは人の声とも獣の声ともつかぬ絶叫。空を震わせ、闇が滲むオレンジの夕空を裂くように響き渡った。



 魔力は全身に回ると彼女の肉体を強縮させ、彼女の体に異変をもたらす。肉体が魔力による強縮に耐えきれず、崩壊を始めたのだ。



 筋肉が断裂し、骨が砕ける乾いた音が、鼓膜の裏側で反響すると膝が折れ、体が大きくくの字に曲がる 。



 この地獄の苦しみ、一瞬でも気を抜けば意識を刈り取られる。だが耐えろ・・「あの時」とは・・・ここからが違うはずだ。意志の力でねじ伏せろ。私が「私」であるために!。



 ローズの決意に呼応するかのように、裂けた皮膚が深紅の光を帯びながら閉じていく。抉られた肉が泡立つように盛り上がり、砕けた骨がゴキリ、ベキリと音を立てて強引に接合されていく。鮮血に濡れた肌は再び張りを取り戻し、まるで新たに造り替えられるかのように修復されていく。



 体を巡る「魔力」は破壊を運び、「刻印」の深紅の光は再生を運ぶ。



 内より燃え上がる魔力はローズの肉体を内より容赦なく削り、「刻印」は彼女に倒れる事を許さない。



 肉体で繰り返される破壊と再生の無限地獄。



 この地獄のような痛みと共に、「黒き闘争の炎」を無理やりその身に宿らせたのだ。



 だめだ・・この昂ぶり・・燃え滾る感情が私を飲み込んでいく・・この気持ちは制御できない・・。



 全身を駆け巡る魔力の奔流が、この身を支配する苦痛を糧に力を授ける。握られた拳には内側から爆ぜる破壊の衝動が宿っていた。



 ・・だが・・それでもあの時とは違う・・この身を、動かせる・・私の意思は・・ここにある・・!。

 


 「刻印」の放つ深紅の光は、黒き炎の奔流と共鳴する魔力の閃光。 深紅に輝く体から噴出する漆黒の魔力は空に拡散していたが徐々に収束し、具現化を始めた。



 ローズの体表を蠢き、細く絡まり合う魔力はまるで漆黒の茨。



 無数の漆黒の茨が彼女の体をなぞり、ズブズブと肉へ根を張るように食い込み、血肉を抉りながら螺旋を描いて纏わりつく。



 その姿はまるで美しき花に触れさせない、主を守る鎧にも見え。あるいは、抑えきれぬ化け物を抑え込むための拘束衣にも見えた。



  荒れ狂う闘争の炎に焼かれながらも彼女の変貌はひとまずの終わりを迎えた。咆哮、呻きはやがて消え去り、全ては白い吐息へと変わる。



 だが力の解放の反動は大きかった。疲弊し切った上半身は力なくうな垂れ、敵を前にしてぐったりと顔を俯け、無防備な姿を晒していた。



「ギャハァァアアァァアアアッ!!」



 化け物は待たない、先んじて動きだす。疾風のごとき速さで地面を蹴り、ローズへ突進しながら振り上げた瘴気の黒腕を、叫びと共に振り下ろす。



 振り降ろされた黒腕は大きく伸びると鞭のようにしなり、空気を裂きながら弧を描く。その先端は瞬く間に異形へと変質し、獰猛なる牙を剥き出しにした蛇の頭となってローズに襲い掛かる。



「心が躍るよな・・同類・・」



 迫る化け物の黒腕大蛇、死を告げる牙がローズの頭上に振り降ろされようとしたまさにその時だった。



 ローズの体に巻き付いていた漆黒の茨が、まるで己が意志があるかのように突如として動き出すと、迫りくる黒腕に向かって素早く伸びる。そして牙が喰いこむ寸前の所で絡みつき、その顎を止めた。



「・・アッ・・?」



 小さく声を漏らす化け物。茨はギチギチと音を立てて締め上げ、黒腕をそのまま切り裂き破裂させた。



「自分の意志で、このバカげた力が使えるんだからな・・」



 迎撃を果たした茨は、まるで生き物のようにスルスルと彼女のもとへ戻ると、再びその身に巻きギリギリと体を締め上げた。

 


 化け物は動きを止め消えた腕を見つめる。その表情からは先程まで見せていた笑顔は既に消え。剥き出しの苛立ちの表情が残されていた。



「ッィィィイイイ!!」



「・・・・ッ・・ック・・ク・・クク」

 


 ローズは顔を下にしたままゆらゆらと歩きだすと、上半身を大きく痙攣させるようにビクン、ビクンと何度も跳ねさせる。

 


「・・さっさと全力を出せよ・・同類・・」



 顔を見せることなく、低く吐き出されたローズの挑発に、化け物は怒声を返すと背後へと大きく跳躍した。残骸を蹴り飛ばしながら空間を裂き十分な距離をとると、残された片腕を天に掲げる。



 その瞬間――辺りに、苦悶と歓喜が混じり合ったような不気味な「呻き声」が満ちた。


 

 声の正体は化け物の魔力の共鳴。掲げた掌に黒々とした瘴気が凝縮し、脈動するように大きな球体を形成していく。



「こわれろ・・ッ!」



 膨れ上がった魔力の球を、化け物は指を食い込ませるように握り潰した。圧迫される表面を黒い稲妻が奔り、呻き声は一転して耳を裂くような悲鳴へと変わる。巨大だった塊は急速に縮小し、やがて掌に収まるほどの小さな球へと圧縮された。



「・・・ヒッ・・ヒヒヒヒ・・・」



 勝ち誇った笑みを浮かべる化け物。その手に握られた、黒き稲妻を纏う魔球こそが、己が全魔力を注ぎ込んだ破滅の権化。化け物はそれを見せつけるように突き出し、嘲るようにローズを指し示した。



 自身に突きつけられた強力な魔力を感じ取ったのか、ローズはピタリと歩みを止める。熱を帯びた白い吐息が自身の顔を撫でるその度に、彼女の力無くうな垂れた上半身が震える。



「こわれろォォォオオオ!」



 化け物の絶叫と共に、魔球が解き放たれる。



 大気を引き裂きながら進むその塊は、まるで空間そのものが唸り声を上げているかのような悲鳴を響かせる。周囲の瓦礫や残骸は吸い込まれるように消滅し、黒き稲妻を撒き散らしながら、ただ一直線にローズへ迫った。



「ギヒヒヒッ・・・」



 さらに圧力を加えるように、化け物はその手を力強く握りしめる。すると魔球はなおも収縮を続け、表面に奔る稲妻は怒涛のごとく荒れ狂った。



「みせて・・」



 黒き稲妻を放ちながら迫りくる魔球、それはローズの目の前まで迫ると動きを止める。鳴り響く悲鳴も消え、まるでその場の時間そのものが凍り付いたかのような静寂のなかで。



 化け物は、恍惚と呟いた。



「こわれるかお・・みせて・・」



 化け物が閉じた手を勢いよく開くと、圧縮され続けた魔球は臨界を迎える。鈍い閃光が瞬き、次の瞬間には黒い稲妻が奔流となって走り、球体は全てを飲み込まんと急激に膨張する。それは自身も、ローズも、町すらも消し飛ばさんとする終焉の閃光へと変貌しようとした。



「そんなに・・顔が見たいか・・なら・・見せてやるよ・・」



「ヒヒヒ・・!」



 この戦いの結末、その瞬間を逃さず見ようと化け物が大きく目を開いた――その時だった。



「お前の望む顔になってるか?同類・・・!」



 唸り声のような地を這う低い声と共に、遂にローズは俯いた顔を上げた。その表情は苦痛に目元は歪み、口元は歓喜で裂けていた。



 2つの相反する感情が同時に存在する狂気の笑みが、そこにはあった。



「・・愛おしい顔だなぁ、同類ッ!」



爆発しようと急激に膨張する魔球に対しローズは左腕を伸ばし掴みかかると、膨張する魔球に対抗する様に握りしめる。



「愛おしいなぁ、この感触ッ!。アッハッハッハッハッ!」

 


「ヒヒ・・」



 大口を開けて、高らかに笑うローズ。彼女の深紅の光を宿した瞳が化け物を射抜いた瞬間、化け物の表情から狂気が消えた。



 手に力を込め魔球を握り潰そうとする力と、膨張し炸裂することで全てを破壊しようとする魔球の力が激しくぶつかり合う。魔球は抵抗するかのように悲鳴を上げると黒き雷鳴を放ち、ローズの体に走らせる。



「・・伝わるよ、勝負を決めようとしたんだろ、この一撃で?。この練り上げられた魔力に触れたら分かるよ・・・本気さを感じる。この必死に練り上げられた・・・脆弱な魔力に触れたらなああああッッ!!」



 指がめり込み、魔球の輪郭が歪む。歪んだ断面から血のような黒光が漏れ出し、球体の形が歪な形に変わっていく。



「なぁ・・なあっ!。・・そんな顔しないでくれ、さっきみたくさ・・笑えよ。・・仲間だろ私達は!?」



 全力の一撃が片手で防がれているその光景に、化け物は動く事さえできずにただ呆然と立ち尽くす。



 魔球の放つ黒き稲妻を体に走らせ受けても、ローズは気にする素振りも見せずに冷淡な笑みを浮かべる。



「ほらっ、さっきのお前みたいに笑えよ。懸命に抗う虫を容赦なく踏みつぶす時の様に。恐怖に怯え、血反吐を吐きながら一生懸命に逃げようとする奴等を見ている時のように。・・・自分が奪う側なんだと自負して笑えッッ!。・・・アハハハハハハハハハハハッ!!」



「・・・・ヒ・・ヒッヒ・・」



 ローズの手は、愛おしいものを掴むかのように優しく握られる。手の中で圧迫される球体は悲鳴を上げながら小さくなり、かつて最も圧縮された時よりもさらに細く、脆く、儚い光へと変わる。



 そして――



 チリチリと肌を焦がす音と共に、黒雷を纏う魔球は彼女の掌の中で完全に砕け散った。凝縮されていた魔の奔流が四散し、焦げた鉄臭と火花のような黒光が空気を焼き尽くす。



「・・はぁ、この瞬間が・・何よりも気持ちがいい。真正面から全力で向かって来る相手を力でねじ伏せた時にだけ味わえるこの感覚」



 ローズは立ち尽くす化け物に視線を向けると、魔球を握り潰したその異形の手を広げ、顔の前に持ってくると。体を小刻みに震わせながらペロリと掌を舌で舐めて見せる。



「・・・そしてなによりも・・・」



「・・ヒッ・・ヒヒ・・・」



「・・その顔だ」



 化け物の引きつった表情を見て、ローズは恍惚の笑みを浮かべる。その声は優しく、愛おしむように囁いた。



「よかった。化け物でも・・見せてくれるんだな。逃れられない死を突きつけられた時に見せるその恐怖に引きつった顔、絶望した顔・・。その表情を見ると背筋がゾクゾクしてたまらない、全身に鳥肌が立つ程・・興奮する」



 1歩、2歩と後ずさりをする化け物、その姿にローズは両腕を広げると無防備に歩み寄った。



「ほら、こっちにおいで・・お前も最初見せてくれただろ?・・それと同じく私も大切に遊んでやる。可愛がってやるよ、・・愛しい子」



「・・・・ヒ・・・ヒヒ・ィ・・ィィ!!」



 化け物は獣じみた叫びを上げ、地を蹴って大きく後方へ跳躍した。それは戦うためではなく、本能的な逃走。目の前の危機から、ただ一刻も早く離れたいという恐怖からの行動だった。



「ガッカリさせるなよ・・」



 次の瞬間。ローズの足元が突如炸裂し、赤い残光だけを残してその場から掻き消える。



「ギ・・・ガアアアァァァアアッ!!!」



 空中を舞う化け物の体を不意の烈風が襲った。後ろに跳躍する体が骨が軋むような鈍音と共に止まり、絶叫が夜空に突き刺さる。



「・・逃がすわけ、ないだろ」



 ローズの左腕が、化け物の胸を貫いていた。黒い液体が滴り落ち、腕を伝って地面へぽたりぽたりと滴り落ちる。熱く、生臭い返り血が、彼女の腕を濡らす。


 

 貫かれた化け物の体は宙に浮かされ、痙攣しながら断末魔を上げる。その醜悪な絶叫に、ローズは淡々と呟いた。



「・・・私からのアドバイスだ、死ぬ前に聞いておくといい」



 漆黒の茨が、突き刺した腕を伝って化け物の体内に蠢き侵入していく。肉を抉り、骨を砕き、内側から棘が這い回る。



「お前も化け物なら、最後まで演じろ」



「ギ・・アッ・・アアァ・・グギ・・ッ・・!」



 ローズが腕に力を込めると、化け物の体内を無数の漆黒の茨が炸裂するかのように突き破り現れた。



 化け物の肉片と黒血が空に散ると、同時に強張っていた体から力が抜け落ち、ガクリとその身が腕に垂れ下がった。



 全身を返り血で赤く染めるローズ。彼女は冷めた瞳で死体を悠然と見上げ、一言だけ吐き捨てた。



「・・・・醜い」



 化け物がぶら下がる腕を大きく振るい、腕から体を引き抜き投げ捨てると、化け物だったものはピクリとも動かず地面にぶつかり落ちた。



 ――終わったな。



そう理解した瞬間、ローズは重い瞼を閉じ、大きく息を吐く。巻きついていた漆黒の茨は霧のように消え、赤く光っていた刻印も力を失っていく。瞳の色も戻り、その体に刻まれた刻印も全てが消えて元通りに戻っていった。



「・・・グッ・・ウゥ・・ッ!?」



 だが、力を解いたと同時に、全身を苛烈な疲労、痛みが津波のように襲う。

 


 身体が軋み、筋肉が悲鳴を上げ、体内が焼けつくようだった。ローズはそのダメージに耐えきれずたまらず片膝を地に突いた。



「・・・ハア・・ハァ・・・・。消耗は激しいが、「あの時」のような激痛は避けられたか。それに意識も・・体の制御も出来た。・・これが、「刻んだ」効果か・・これなら・・使い物になる・・・だがっ!」



 ローズは悔しそうな表情で歯を食いしばり、拳を地面に何度も叩きつける。



「これじゃあ・・「アイツ」と同じだっ!「アイツ」と・・!!」 


 

 悔しさと、何処か切なさを感じさせる声を小さく。何度も「アイツとは違う」と、呟きながら。



 ――すると。



「・・イ・・・・タィ・・・」



 微かに、か細い声が聞こえた。その声に気づき、地面を叩くローズの腕が止まる。



「・・・まだ生きいるのか・・っ」



 小さく聞こえてくるその声に驚き、重い体を持ち上げ顔を上げ、倒れこむ化け物に目を向ける。



「・・どういうことだ?」



 ローズは化け物の姿を見て、思わず息を呑んだ。



 その体は、遠目からでもわかる程に崩壊していたのだ。腕と足は既に灰となり、体の一部と顔を残すのみ。終わりの時を迎えたその体は、灰へと還りながら、この世界から姿を消し始めていた。



「・・これが、化け物の死に様ってわけか・・・・」



 ローズは一瞬寂しそうな目を見せると、視線を切り小さく息を吐いた。



「・・ア・・・ぁりがとう・・とめて・・くれて・・・・」



「・・っ!?」



 突如として聞こえてきた「感謝」の声に、ローズの全身が硬直する。



「・・・ごめんな・・さい・・・ごめんなさい・・」



「どういう事だ・・これは・・・っ!?」



 違う。この声は、私が殺した獣の声じゃない・・。



 ローズは動揺を押し殺し、重い体を引きずりながら、崩れかけの体へにじり寄る。



「・・おい、・・・・お前は何者だ・・・ッ?」



 その姿を見て呟くローズの声が、わずかにだが震える。



「ご・・ごめんなさい・・・みんな、・・ごめんなさい・・アリア。・・うう・・私の・・アリア・・」



 灰に崩れながら、化け物が涙を流しながら謝っていたのだ。アリアという名前を口に出しながら・・何度も、何度も苦しそうに謝っていた。



「・・クソッ、おい、聞こえているか?私の質問に答えろッ!」



 ひび割れ、崩れ去る化け物に震える手を添えようとするが、崩れていく化け物の姿を見ると手が動かなかった。



「・・ごめんなさい・・傷つけてしまって・・ごめん・・な・・さい」



「・・いたい・・・逢いた・・・い・・・・」



 そして化け物は、ローズの前で完全に崩れ去った。



「・・・私は、一体・・・何を殺したんだ・・」



 ローズは化け物が残した灰を見つめながら、唖然とした顔で小さく呟く。



 海から吹き込む冷たい潮風が灰を空に舞い上げた。



 するとその灰の中から、黒い光を宿す結晶が現れる。硬質な輝きを放ちながら、夜気の中で脈動するように光るその光に、ローズの手が伸びる。



「・・・これは、なんだ・・」



 拾い上げた結晶の中には、禍々しい黒の炎が揺らめいていた。



「・・あいつ《エルシド》なら分かるかもしれない。この結晶の正体が・・・」



 ローズはポケットに結晶をしまい込み、重い体を引きずりながら町の外を見据える。その目には疲弊と、そして拭えぬ疑念が宿っていた。



「・・・いくか」



 彼女は振り返らず、破壊された町を後にした。



 △



 茜色の空に、ゆっくりと闇が落ちていく。夕焼けと夜の狭間、薄明の帳が世界を覆い、町での戦いの終焉を告げていた。



 町の人々が郊外に避難してから、どれほどの時間が経っただろうか。静まり返る町の様子を、疲れた顔で見守る人々の前に1つの影が見える。



 瓦礫に沈む町の奥から現れたその一つの影は真っすぐに、ゆっくりと歩みを進める。

 


 最初にそれに気づいた者が小さな声を上げる。「あれは魔導士様だっ!」、その声はやがて群衆の中にどよめきと共に広がった。歓声、驚き、そして安堵。人々は彼女を英雄として迎えようと、一斉に立ち上がる。

 


 だが――その歓声は、彼女が近づくにつれて波が引くように静まり返っていった。



 破けた服、全身にこびりついたドス黒い血。そして何より、彼女の体から漂う濃厚な死の臭い。



 直前まで「化け物」と殺し合いをしていたその姿は、一般人が直視するにはあまりに凄惨すぎたのだ。



 人々は歓喜の言葉を喉の奥で飲み込み、何かに怯えるように、無言で左右へと道を開けた。



 そんな中でもただ二人。エルシドとティティだけはそんな周囲の反応など意に介さず、迷うことなく前へと進み出る。

 


「ローズ、お帰りでえええすっ!」



「ご苦労様っ、ローズ」



 人々の前に立ったその影――ローズは両手をポケットに突っ込み、背中を丸めた猫背のような姿勢のまま立ち止まる。



 彼女は奥歯を噛み締め、ポケットの中で握りしめた拳の震えを強引にねじ伏せると、平然を装って顔を上げた。



「・・・あぁ、待たせたな」



 エルシドはいつも通りに振舞う彼女の姿に安堵の表情を浮かべた。そして次の一声を発しようとした瞬間、ティティが大声で叫ぶ。



「うわああああんっ!ローズゥウウッ!!こんなみすぼらしい姿になってーーー!!」



 いつも通りの姿に感極まったティティが、勢いよく彼女に飛びつこうとする。だがそれを見越していたエルシドが、呆れ半分の声を投げかける。



「はいはい、今は迷惑だからやめようね」



 飛びつこうと跳ねたティティの小柄な体が宙を浮く。エルシドが彼女の背中をひょいと掴み、両腕で持ち上げたのだ。ティティはバタバタと手足を振り回しながら必死に抗議する。



「はううっ!?エルシド様、なんで私を引っ張るですか!?。持ち上げるのを止めてくださいっ!!ああ、あぁぁぁ遠ざかるぅうう・・・ローズ、ローズゥゥウウウ゛ウ゛ッ!!、・・・もう一度、私に温もりヲゥォオオ゛オ゛ッ・・・・」



空中で藻掻くティティの姿はとても滑稽であり、その姿を見てエルシドも苦笑いを浮かべる

 


「まあまあティティ、少し落ち着いて・・」



 エルシドはティティを宙で押さえつけながら、大きく溜息を吐いた。暴れる彼女の動きを止めるのに手一杯で、肝心のローズにゆっくりと話を聞く余裕が持てない。もどかしい気持ちが胸に募っていく。



 そんな中、人々の中から駆け寄ってくる二人の姿があった。レオとメリーだ。二人はローズの姿を目にした瞬間、目を見開き。安堵と驚愕が入り混じった表情を浮かべた。



「・・見た目は大変なことになってるが、どうやら元気そうだな。・・・良かったよ魔導士さん、本当に心配してたぜっ」



服が裂け、血塗れの姿なのにも関わらず平然とした態度をしているローズの異様な姿に、レオの声はわずかに震えていた。



「・・それで魔導士様。町の方は、・・現れた魔獣はどうなりましたか・・?」



 メリーもまた、ローズを見つめながら恐る恐る問いかける。



「あぁ・・アレは私が殺してきた、もう問題ない」

 


 返ってきた声は感情に乏しく、冷たかったが。その言葉自体はとても心強いものだった。



「殺した・・っ!。それじゃあ町にはもう魔獣はいないんだなっ?、俺達は戻ってもいいんだなっ!?」



 レオは安堵から昂ぶりへと感情を振り切り、思わず声を張り上げた。



「・・うるさい奴だ、問題ないと言ったはずだ、戻りたいなら戻れ。但し、町の中には逃げ遅れた死体が何体も転がっている。仲間の死体と、自分の町が積み上げられた瓦礫に変わったのを見たい奴だけが行け」



「お、おまえ・・そんな言い方は・・っ!」



 ローズの発したその気を使わない冷淡な物言いに、声を詰まらせ何かを言いたそうに目を怒らせるレオ。



 だが彼の口からはその先の声が出ない、ローズの視線、そして体から発せられる圧が彼女の想いを代弁する、「私にこれ以上喋りかけるな」と。



 レオを見据える彼女の冷たい瞳には、先ほどまで殺し合いをしていた「獣」の気配が色濃く残っていた。



「・・っ!」



 声を絞り出そうとしても、胸が詰まって息が漏れるばかりで彼等の思いの言葉を喉で詰まらせる。レオは拳を握り締めることしかできなかった。



「それでいい、今は黙ってろ」



 ローズは視線をレオから外し、エルシドたちへと移す。



「・・おい、それよりもお前達。ちゃんと聞いておいたんだろうな」



「・・へっ?な、何をですか?」



 ティティが間の抜けた声を上げ、エルシドもまた同意するように首を傾げる。



 その仕草にローズは、「そうだろうな」と言わんばかりに小さく顔を伏せ、深く吐息を漏らした。



「ここで何をしていたんだお前達は・・。聞く事なんて一つに決まってるだろ、子供ガキが向かった所だ。・・さっさと追いかけるぞ」



「でもローズ、君の体はまだ・・」



「そうですっ!、少し休んだ方がいいです。いつもより歩き方がだらしないですよっ!」



 彼女を心配する声。しかしローズは表情ひとつ崩さずに答えた。



「・・・気にするな、多少の疲れはあるが・・肉体の方は刻印の力の影響で回復している。これならどうにでもなる」



 ローズは顔をメリーに向け、氷のような冷たい声音で吐き捨てる。



「時間が無い、とっとと教えろ。子供ガキは「女」と何処に向かった・・」



 エルシドとティティも釣られるようにメリーを見つめる。



 緊迫した空気の中で、メリーは自身の胸元を強く握りしめ。その口を開いた。



 △



 時は少し遡る。ローズ達がまだ町へ到着する前――。



「はぁ・・はぁ・・。・・あ、足元には気を付けてくださいねっ、・・ディアナさん」



 フレイは振り返り、後ろを歩く女性に声をかけた。



 その疲れた表情を必死に隠し、頑張って明るい表情を見せようとする健気な姿に、ディアナは自然と優しい笑みを浮かべる。



「ふふっ、お気遣いありがとうございます」



 木漏れ日が葉の隙間から降り注ぎ、苔むした地面をまだらに照らす。鬱蒼と茂る雑木林の中に延びる獣道を、フレイが小さな背中で先導するように進んでいく。

 


 ここはヨークの村からやや離れた場所。今では人々の足も遠のき、鳥や虫の声ばかりが響く静かな森――町の人々は「合唱の森」と呼んでいた。



「・・ふうぅ。ディアナさん大丈夫ですか?疲れたら言ってくださいね・・」



 フレイは数歩進んでは立ち止まり、振り返っては声をかける。その様子は相手を気遣っているというより、そろそろ休みたいと言っているようなものであった。



 その様子にディアナは優しく微笑み答える。



「・・そうですね、そろそろ疲れてきたので・・少し休みましょうか?」



「そ・・、そうですよね!やっぱり疲れましたよね!?」



 フレイはその言葉を待っていたかのように声を弾ませ、ぱっと顔を明るくした。



「それじゃあ・・・あ、あそこの切り株の所で休みましょう!」



 さっきまで重そうだった足取りが嘘のように軽くなり、ぴょんぴょんと跳ねながら切り株へ駆け出していく。そして切り株の側に来ると、勢いよく振り返りながら両手を振った。



「ディアナさーん!はやくはやくーっ!」



 無邪気に飛び跳ねる姿は、まるで野兎がぴょんぴょんと跳ねているかのようだった。その光景に目を細め、ディアナの唇から自然に声がこぼれる。




「ふふっ、可愛い子・・・」



 やがて二人は切り株に腰を下ろす。歩き疲れた二人の体を癒すように。森のあちこちから響く虫や鳥の鳴き声、それはまるで合唱の様に重なり合い、どこか規則的な調べを奏でていた。



「合唱の森・・名前の通り、ここは美しい自然の歌声を聞かせてくれますね。心が安らぎます」



「・・そうですよね、私もこの森が大好きです。この森の生き物達の声を聞いていると・・えへへ、耳が気持ちいいんですよね・・」



 フレイは照れたように笑い、背伸びをして胸いっぱいに森の空気を吸い込んだ。



 それからというもの2人の間に言葉はなく、ただ静かな時間だけが流れていく。



 動きのないこの状況に手持無沙汰になったフレイは足をパタパタと遊ばせながら、今感じる自身の気持ちに思いを馳せる。



 ・・・不思議だな、さっき出会ったばかりなのに、ディアナさんとは初めて会った気がしない。



 長い間ずっと傍にいたかのような親近感。なんでだろう、この気持ち。ずっと傍に居たいと思う・・この、胸が締め付けられるような切なさは。



 隣で物静かに空を見上げるディアナの方をチラリと覗き込むと、フレイは彼女から目が離せなくなった。



 長い銀髪は風に揺れ、透き通るような白い肌は陽を浴びて淡く輝く。微笑んでいるはずなのに、その翠の瞳の奥からは、どこか底知れぬ悲しげな色を感じる。



「・・・綺麗だなぁ」



 思わずこぼれたフレイの呟きに、ディアナがゆっくりと振り向いた。翠眼が真っ直ぐこちらを見つめる。



「・・どうしましたか?」



「い、いえっ!な、何でもないです、何でも!・・あ、あぅ・・そ・・・そのぉ・・」



 フレイは慌てふためきながら急いで眼を逸らすと、気恥ずかしさを隠す様に顔を伏せ表情を隠し、急いで話題を逸らす。



「・・さ、最初ディアナさんが家に来た時ビックリしましたよっ!。普段私達を尋ねに来るお客さんなんていないから。それも町の外からのお客さんなんて・・失礼な態度取っちゃってすみません・・・」



「気にしてないから大丈夫ですよ、事前になんの連絡もなく来たのです、多少の問題はあるとは思っていましたから。・・ですがまさかあそこまでフレイさんに怯えられるとは想像もしてませんでした。地面に倒れこみ、まさか涙を見せられるなんて。・・ふふ、案内してくれたあの人も、お母様も頭を抱えてましたね」



 ・・・あぁぁああっ!・・・・墓穴を掘ったーッ!?



 咄嗟に思いつき、何も考えず振った話が悪かった。あの時の事を思い出すと顔は赤く染まり、恥ずかしさの余り顔を上げられなかった。



「・・あ、あれは別に怯えてた訳じゃないんですよ!?。あれは、その・・ええと、そう、一身上の都合というものでして・・。は、恥ずかしい限りです・・・」



 そう、あれは私がお母さんと一緒に洗濯物を干していた時だった。



 普段は誰も訪ねてくることなんかない静かな私達の家、そこに突然扉を叩く音が聞こえて来た。



 閉鎖された静かな世界に響く来訪者の足音、私は心を躍らせ扉を開け音を迎え入れて、それで・・それで・・。



 何も考える事が出来なくなって・・頭が真っ白になったんだ。



 差し込む陽光を背にして立つ二つの影。

 


 レオさんの後ろで静かに寄り添うように立っていたのは、銀の髪を風に揺らす、優しい顔のディアナさん。そんなディアナさんの姿を見た瞬間、なんでかは分からないけど、私の胸の奥がキュッと締めつけられた。



 呆然と立ち尽くす私に向けられた優しい笑み。それを見ると突然心が悲鳴をあげて・・呼吸が出来なくて・・体が震えて立っていられなくなって。崩れ落ちるようにして地面に膝を着いてしまった。



 そんな私を心配そうに見つめるディアナさん、その口から漏れる私の名前を聞くと、不思議と涙が溢れてきた。



 さっきから感じているこの温かい想いが、止まらなくなって・・・・。



 ・・でも、こんな事言えないよディアナさんに。これ以上変な目で見られたら嫌だし、それに何よりもディアナさんはお父さんの友達の人。もしディアナさんからこんなことがお父さんに伝わったら何て言われるか・・からかわれるか・・!。



 ・・うぅ・・考えるだけで、・・また恥ずかしくなってきたぁぁっ!。



 フレイは頭を抱えたくなる衝動を堪え、俯いたまま必死に表情を隠した。赤く染まる頬を隠そうと、ぶんぶん首を振ってごまかす。



「・・ふふふ、思うところがあったんですね。ですが安心してください、深くは聞きません。フレイさんが私に対して怯えていないのが分かればそれでいいです」



「・・ありがとうございます」



 短く答えたフレイの声音にまだ震えが残っているのを、ディアナは聞き逃さなかった。クスクスと笑みを漏らし、横目で彼の顔を覗き込む。赤らんだ頬、伏せた睫毛の影、肩に力の入ったぎこちない姿。そのすべてが彼女の目には愛らしく映った。

 


「・・笑ってる顔も素敵ですが、その恥ずかしがってる顔も素敵ですよ。純粋無垢なフレイさんの顔・・色んな表情が見たくなります」



「・・もう、そんな意地悪言わないでください。ディアナさん!」



「ふふふっ、ごめんさない。・・可愛くて・・つい」



「・・・もうっ!」



 体中が熱に包まれていくようで、顔どころか耳まで真っ赤になる。照れ隠しにわざとらしく口を尖らせると、その表情に隠しきれない笑いが滲み出ていた。ディアナの柔らかな笑みを受け止めながら、フレイは半ば悔しげに、しかし楽しげに視線を返すと、二人は小さく笑い合った。



 互いに笑い合った後、ふと訪れる静寂。ディアナはこれ以上の静寂を嫌うかのように唐突に言葉を切り出した。



「ではフレイさん、そろそろ行きましょうか。あまり時間をかけて帰りが遅れては、待っているお母様が心配しますからね」



 そう言って静かに立ち上がった彼女は、軽やかに修道服の裾を払うとフレイの前に立ち、ふわりと彼女の頭を撫でた。優しく、慈しむように。



「フレイさんとお父さんが見つけたという「遺跡」に早く行って、用事を済ませましょう・・」



「・・・そうですね、お父さんの用事を済ませて家に帰ったら、向こうでのお父さんの話、聞かせてくださいね。お母さんが美味しい料理を用意して待ってますから!」



「・・・・えぇ、あの人の話なら沢山あります。戻ったらいっぱいお話し・・しましょうね・・」



 ほんのり悪戯っぽい笑みを浮かべるディアナ、その様子を見て嬉しそうにフレイも笑顔を返した。



 一体どんなお父さんの話をしてくれるんだろう?、自分の知らない向こうでの父の姿を今すぐにでも聞きたい気持ちはあったが。彼女の見せるその楽しそうな顔を見ると、今はこれ以上聞くのが野暮な感じがした。



 フレイはどこか恥ずかしそうに、そっと右手を差し出した。



「そういう事なら早く行きましょう、ディアナさん♪」



「・・・ええ」



 ディアナの指先が触れた瞬間、驚くほど柔らかで、氷のように冷たい感触が広がる。  



 だが、しっかりと握り返されたその手に、フレイの胸は大きく高鳴った。

 


 繋がれた二人の手が、互いの存在を確かめ合うように強く結ばれる。


 

 差し込む木漏れ日を受けながら、彼女たちは再び歩みを進めた。目指すは合唱の森の奥深くに眠る「遺跡」。

 


 手紙に託された父の頼みを果たすため。二人は並んで、その道を進んでいった。


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