《力の先に》1
リィゼが目覚めた日。
王セイル・セリヴァは、沈黙を破るべく、公の場に姿を現した。
王宮の正殿
円柱が連なる石の広間には、まるで時さえ凍りついたかのような静寂が漂っていた。
その中を、若き王は一人、毅然とした足取りで壇上へと進む。
彼の背には、戦場を越えてきた者にしか持ち得ぬ威厳と、確かな「意志」の灯が宿っていた。
信と畏れの狭間を越え、それでも国を導く覚悟を、その姿は雄弁に物語っていた。
「諸卿――」
澄んだ声音が、風が湖面を撫でるように広間へと広がってゆく。
「本日、一つの命が目を覚ました。 それは、この王都を、そして我が国を救った者。 恐れの中に在りながらも、なお希望を選び取った命である」
ざわめきが、微かな波紋となって石の床を揺らした。
「彼女を再び封ぜよ、という声もある。……だが」
セイルはゆるやかに、会衆を見渡した。
その眼差しは、誰一人をも恐れていなかった。
「彼女は“剣”であると同時に、“意志”を持つ者だ。 道具として葬り去るならば――我々の国は、誇りを失う」
「恐れではなく、信じること。 それこそが、セリヴァ王国の未来を紡ぐ礎となるべきだと、私は信じている」
一拍の静寂、その余韻を切り裂くように、宣言が放たれる。
「ゆえに、我はここに宣言する。 魔女、リィゼ・クラウスを、セリヴァ王国の《守護者》として任ずる」
その言葉とともに、天窓から注ぐ陽光が、議場中央の古き円卓を穏やかに照らした。
「……守護者、ですと?」
重苦しい空気を破ったのは、老臣ギルマントであった。
その声音には疑念と畏れが交じり、眉間の皺に深く刻まれている。
「魔女を守護者と据えるなど、正気の沙汰とは思えませぬ」
だが、その異議を断ち切るように、若き参謀長の声が響く。
「……彼女なくして、この都は、今や瓦礫の下に沈んでいたでしょう。 過去に囚われるのではなく、未来の盾として迎えるべきです」
重たく沈んでいた空気が、わずかに動いた。
石のように固まっていた心が、ゆるやかに揺れ始める。
「剣は、それを手にする者次第で、災いにも、救いにもなる。 王がその剣を持つというのならば、我らもまた、その覚悟に従いましょう」
ちらほらと上がる賛意の声。
それは歓呼ではなかったが、確かな現実として、場に根を下ろしていた。
王妃イリスは、一言も発さず、静かに席に座したままだった。
否定でも肯定でもない、沈黙。
だが、セイルにはその沈黙の奥にある「応え」が、はっきりと伝わっていた。
彼は深く息をつき、言葉を整えて告げる。
「ならば、これをもって正式とする。 セリヴァ王国は、魔女リィゼ・クラウスを《守護者》として認める」
その決定は、やがて天窓をすり抜けた風のように、議場を包み込んでいった。
■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇
同日、午後。王宮・東庭にて。
風に揺れる梢の囁きが、どこか懐かしい古語のように耳に届く。
リィゼは石畳の縁に据えられた椅子に腰を下ろし、淡い白衣の裾を静かに揺らしていた。
足元には、読みかけの一冊。
陽光がそれを淡く照らし、まるで時が止まったかのような静けさが庭に満ちていた。
やがて、柔らかな足音が近づく。
振り返ることなく、彼女はぽつりと呟いた。
「……会議は、終わったのね」
「結果は、聞かずとも分かるだろう?」
陽を背にしたセイルが、そっと笑む。
「そうね」
リィゼは微かに目を細めて笑った。
その表情は、まるで夢の余韻に触れたかのように、穏やかだった。
「正式に決まった。 君はセリヴァ王国の《守護者》だ。 かつての罪でもなく、恐れでもなく今を生きる者として、我らは君を迎える」
「……守護者、ね」
その響きを、リィゼは小さく唇の奥で転がす。
まるでそれが、遠い昔に交わされた、忘れかけた約束のように。
■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇
鋼のように厳しく、春風のように温かな眼差しを持つ男の言葉。
『君を、この国の“守り人”に任命しようと思う』
それは、彼女がまだ「魔女」と呼ばれる以前。
兵器として扱われることに戸惑い、人としての在り方を見失いかけていた、あの頃のこと。
『守るというのは、命を奪うことじゃない。
命を“背負う”ということだ。君には、それができる。そう信じている』
そのとき、彼女はただ、何も言わずにその言葉を胸の奥に沈めた――。
■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇ ■ ◇
「ようやく……あの人の言葉に、追いつけたのかもしれないわ」
「え?」
セイルの問いに、リィゼは静かに微笑む。
それは、遥か遠くの空を仰ぐ鳥のような、自由と安らぎを湛えた笑みだった。
幻兵たちもまた、空の彼方で静かに頷いている気がした。
新たな役割。だがそれは、彼女の自由を縛るものではない。
それは、彼女が選び取った「人としての生」の延長だった。
風が、東庭をすり抜けていく。
日差しの下で、セイルとリィゼの影が、静かに並んで伸びていった。
かつて“魔女”と呼ばれた少女は、
いま、“王国の守護者”として、凛とした足取りで立ち上がる。
未来は、まだ白紙のまま。
だが、その紙の上には、祈りと希望という名の筆が、確かに置かれていた。
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