《風は目覚める》4

 戦場は、沈黙から始まった。




 リィゼ・クラウスが詠唱を終え、空気が震え、風が逆巻いたその瞬間――世界の貌は一変した。


 王都セリヴァの外縁、かつて実り豊かだった農地は、今や血と灰にまみれた焦土と化している。そこに満ちていたのは、王都を包囲せんとする敵国フォリスの大軍。


 その大地に、異変が起きた。




 現れたのは――千を超える幻兵たち。




 蒼白に輝く魂の光をまとい、かつてこの国のために斃れた王国の戦士たちが、再び地に立った。




 音もなく、血もなく、ただ静かに、しかし確かな誇りと憤怒を身に宿しながら、霧のように揺らめく足取りで前進する。




「な、何だ……あれは……!?」




 敵軍の兵士が叫んだ。


 だがその声すら、戦場の底へ呑まれるように掻き消えていった。




 幻兵たちは、すでに動いていた。




 その動きはまさに、亡霊そのものだった。


 気配もなく、声もなく、だが確実に敵陣へと入り込み、剣を振るう。


 霧のように揺れ、盾をすり抜け、槍の先を避け、喉元を貫いていく。




 悲鳴と血飛沫が、無数の花のように咲き乱れた。




 敵将格の騎士が恐怖に駆られて剣を振るうも、それは空を切っただけだった。


 幻兵はその身を揺らして背後に現れ、無言のまま鎧ごと一突きにする。




 戦場の一角、重厚な鉄槌が唸りを上げた。




 フォリス軍の重騎兵が巨体と共に幻兵を叩き伏せ、装甲を砕いた。


 蒼白の霧が飛び散り、骸のごとき影が地に沈む。




「倒せぬ相手ではない! 皆、戦え!!」




 勝ち誇った叫びが上がる。


 だが、それは刹那の幻だった。




 倒れた幻兵の影が、ふと脈動を始める。


 霧のような魔力が漂い、砕けた甲冑が音もなく再構築されていく。




「……な、なんだ……!?」




 立ち尽くす重騎兵の前で、地に伏していた幻兵が静かに起き上がる。


 骨も肉もないその身に、魂の光が灯る。




 無言のまま、剣を取り直し、再び立つ。




「ば、化け物め……ッ!!」




 悲鳴を上げて後退する兵士。だが幻兵は追わない。


 怒りも執着もない。ただ、命じられた“守るべきもの”のために、その場へと戻るだけ。




 戦場のあちこちで、同じ光景が繰り返されていた。




 矢に撃ち抜かれた幻兵が、矢をその身に刺したまま立ち上がる。


 火矢に焼かれた影が、黒煙の中から静かに現れ、焦げた剣を握り直す。


 胴を断たれたはずの幻兵が、ふたつに分かれた影を結び、一つとなって再び歩み出す。




 それは再生ではなかった。蘇生でもなかった。




 あくまで、“留まり続ける”力。




 死を越えてなお、魂だけでこの世にとどまり、王国の祈りに応え続ける幻影の兵たち。


 彼らは、倒れてもなお終わらない。


 時間の果てでまた立ち上がり、命の残響を戦場に響かせる。




 そして、それを可能たらしめているのは、


 戦場の彼方に立つ、一人の魔女――リィゼ・クラウスの魔力だった。




 幻兵たちの命は、彼女の祈りと引き換えに存在している。




 彼らは生きてなどいない。


 だが、死んでもいなかった。




 そしてそのどちらでもないという“状態”が、


 どれほどの代償と意味を孕むかを、まだ誰も語ろうとはしなかった。

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