第1章 閑話 火に手を伸ばす者
灯火屋商会。
冬の夜、ひっそりとした応接間。
暖炉の火が、ゆらりと壁に影を踊らせている。
机を囲むのは、三人。
老人。
その小さな商会を長年支えてきた、穏やかな瞳の男。
その娘、ハンナ。
そして、商会に身を寄せた若き男、アルフレッド・ヴァインベルグ。
外の世界は凍えるような寒さだったが、この小さな部屋だけは、静かな熱を孕んでいた。
「まず、現状をご報告します。」
アルフレッドは、机上に簡素な帳面を広げた。
「アーデルベルト家との契約は成立。現在、事業計画の策定段階に進んでいます。」
「鉱山、隊商、それぞれの責任者との連携も開始済みです。いずれも、当初見立てよりは好条件で話を進められる見込みです。」
端的な報告。
無駄な装飾も、曖昧な言葉もない。
だが——
「現場の協力体制を維持するためにも、この段階で可能な限り、高く売れる材料を整えておくつもりです。」
アルフレッドが、何気なく付け加えたその一言に、老人の眉がわずかに動いた。
高く売る。
確実に、取りこぼさずに、取りきる。
彼の声には、「失敗を避ける」よりも、「最大限を得る」ことへの執念が滲んでいた。
老人は、静かに問うた。
「……そこまで、金にこだわる理由はなんだ?」
暖炉の火が、ぱちりと弾けた。
アルフレッドは、一瞬だけ虚を突かれた顔をした。
だが、すぐに小さく笑った。
「……昔、家の商会を潰しました。」
ハンナが、思わず小さく息を呑んだ。
「小さな商いでしたが、幼い自分には、世界そのものでした。」
アルフレッドは、指先を火にかざすようにして言った。
「取引先の裏切り、信用の毀損、最後は、為す術もなく崩れていった。」
「気づけば、何もかも、失っていました。」
「そのとき、痛感したんです。」
彼は、視線を暖炉に落としながら続けた。
「金は、自由そのものだ、と。剝奪された自由を、買い戻す手段が金だ。」
「金がなければ、
選べない。
戦えない。
守れない。」
声は穏やかだったが、その内側には、焼けるような熱が燃えていた。
「だから、金にこだわるんです。」
「——二度と、何も奪わせないために。」
応接間に、静かな沈黙が落ちた。
火の揺れだけが、空気を満たしている。
ハンナは、胸が熱くなるのを感じた。
冷たい計算だけじゃない。
強欲だけでもない。
この人は、誇りと恐怖を両手に抱えたまま、
それでも歩みを止めないでいる。
(……すごいな。)
心の底から、そう思った。
老人は、静かに頷いた。
「……なら、好きにやれ。」
それだけを言った。
だが、その一言には、すべてが込められていた。
アルフレッドは、深く頭を下げた。
心のどこかで、わずかな緊張が解けるのを感じながら。
冬の闇。
静かに燃える焔。
それは、彼ら三人を、そっと包み込んでいた。
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