1-1.目覚め

 午前六時。

 家の周囲を囲んでいる巨木から、丸窓へ陽が射し込んで目に当たる。眩しさ半分で体を起こしてベッドから抜け出すと、大きく一つ伸びをした。


 部屋に備え付けの洗面所で顔を洗った後、如雨露じょうろを蛇口の下に置き、水を加えながら髪を梳く。

 そうしている最中に、黒猫が足元に擦りついてきた。飼い猫のポラリスである。少女が物心ついた時には、すでにこの家に住んでいた。

 ステラの朝はいつもこうして始まる。


 梳き終えると、いっぱいに水を含んだ如雨露を抱える。そうして部屋中で世話をしている植物たちへ順に水をやっていく。乾いた体に潤いを与えられたことで、少し驚きつつも嬉しくもあるといった印象を受け、少女の顔に微笑がこぼれた。

 水をやり終える頃に庭の方から声が聞こえる。西に位置する大きめの真四角な窓を開けて見下ろすと、魔物と話す女性が居た。


「母さん、おはよー!」

 朝一番とは思えないほど快活な声に、呼ばれた者は笑いながら返事をする。

「おはよう、ステラ。随分と元気じゃないか。よく眠れたようで良かった」

 陽光に照らされ、煌めく銀髪を揺らしながら言うのは、ヴァニタス。魔女である。余分な脂肪がなくスラリと線の細い体型で、高身長の若々しい顔立ちだが、実際のところは、かなりの年月を生きている。


 というのも、魔女は一定の年齢を超えると成長が止まり、外見が変化しなくなる。年は重ねていくものの、肉体的に老いることがない。

 もちろん例外は存在するが、二十七から三十四の頃に止まるのが通常である。つまるところヴァニタスも例外ではなく、彼女は優に三桁を越えている。だからか、口調も少し年季が感じられるものとなっている。


「うん、しっかり眠れたよ。あ、バルトもおはよう」

 返事をした後、少女は母の隣に居る魔物にも目を落とす。

「おはようさん、ステラ。俺はついでかい」

 そう不服そうに話すのはバルト。立派な二本の角が生えた小柄のゴブリンである。魔物が暮らす森の中で、中間管理職のような役割を担っている。普段から家に来ては、ヴァニタスと昨日の森の様子や、農作物での相談をしていた。


「ごめんね~」

 軽く笑うステラにバルトは気の抜けた顔をして、ヴァニタスへと向き直った。

「じゃあ、ヴァニタスさん。ステラも起きたことですし、あっしは守護者様に報告してきますわ。一時間後くらいに来られるんじゃねえかな」

「ああ、いつもありがとうね、バルト」

 ヴァニタスの言葉に会釈をして去っていく。それを見送った後に上を見上げ、ステラへと声をかける。


「もう朝ご飯は出来てるからね。とっとと降りてきな」

「うん!」

 返事をすると同時にクローゼットに向かう。服装は前日に決めていた。勢いに乗せて着替えを終えると、もう一度洗面所へ。

 鏡に向かい髪をハーフアップにまとめる。橙色の綺麗な長髪が鏡の向こうで笑っているように感じた。

 階段を下り、テーブルに向かって座る。食事は既に並べられていた。

 席について手を合わせる。


「いただきます」


 朝食は丸パンとサラダ。パンの方は少し焼きすぎているため、固めの触感で、割るときめの大きいくずが落ちていく。口に含むと水分を吸収されるが、味自体は麦の優しさが感じられるものだ。小さく割った方を食べる。幸せが広がった。


「いつもよりご機嫌じゃないか」

 丸パンをかじりながら母が言う。

「仕方ないじゃん、ずっと楽しみにしてたから」

 少し照れ臭そうに頬を掻く。

「そうだね、ずっと。条件は忘れてないだろうね」

 もちろん、と返事。

「母さんと一緒に出ること、他の人には敬語を使うこと、それから……母さんから離れないこと」

 そうだ、と頷く。


「わかってるならいいさ。それとね、浮かれるのはいいが身の危険は自分で守るように。わかっているね?」

「わかってるって。母さんもウェンティさんも居るんだから、大丈夫でしょ」

 朝食を食べ終え、流し台に皿をつけながら受け答えをする。

「少しの危機感を持つことが大事だ、ということだよ」

 ヴァニタスも食べ終わり流し台につけ、手を拭いた後にステラの肩に手を置く。


「私でも手の届かない所はある。というよりも、届かないものばかりだからね」

 物思いにふけるような顔でステラを見つめる。

「わかった、気をつけるよ」

 ヴァニタスの顔を見てステラも素直に返事をする。


 ステラは部屋に戻ると荷物をまとめた。

 昨晩から用意していた物の最終確認していく。と、言ってもそこまで多くの荷物はない。村で使うために貯めていた小遣いの銀十二枚と、買ったものを入れるための鞄である。前日まで様々なものを持っていこうとしていたが、母に叱られて必要最低限の物だけを持っていくことにした。


 姿見の前に立ち、服装におかしなところがないかチェックする。白のブラウスにチェック柄のスカート、自身の持っている服の中から一番かわいいものを出したが、思っていた以上に気分が上がっていた。


「やっと、森の外に行くんだ」

 ふと、少女の心の奥に棲んでいた、愚直な欲求が口をついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る