3 My heart was so hurt.
01
『一昨日、☓☓区の青島植物園で働く五十代の女性職員が閉館作業中に、突然何者かに右腕を鋭利なものでえぐられ、下半身に火をつけられ重体となっています。女性職員は同じ園で働く職員に発見され、救急隊により病院へ搬送されました。
警察は殺人未遂の疑いで犯人の捜査を進めるとともに、付近の防犯カメラの映像を解析するなどして逃げた犯人の行方を追っています』
「――その動画って、先週あった事件のニュースだよね?」
大学の食堂で昼食を食べ終わり、外のベンチでスマホを見ていると声をかけられた。顔を上げると、同じ学部で春吉の想い人である冬田遥が文庫本を持ってこちらを見下ろしていた。
距離の近さと、半袖のワンピースがあまりに似合っている可愛さで「わっ!」と春吉はスマホを落とした。
「ごめん、びっくりさせちゃった? ご容赦ご容赦」
地面に落ちたスマホを拾った遥は春吉の隣に座り「はい」とスマホを手渡してくる。春吉はしどろもどろに受け取った。
冬田さんがまた隣に座ったぞ……!
「あ、ありがとう」
「その事件の動画、学食でお昼食べてるときも観てたよね?」
「どうして知ってるの」
「“七飯君”って声かけたのに集中して気づいてくれなかったんだもん」
「ご、ごめん。頭叩いて気づかせてくれればよかったのに」
「そう? では今なさろう」
遥は春吉の頭に軽くチョップしてはにかんだ。つられるように春吉もはにかみ、そして誤魔化した。
「ここの植物園、何度か行ったことあるから気になって」
「私も一回だけある。温室が広くて綺麗なところだよね」
「そ、そう。南国って感じの」
嘘だ。本当は一度も行ったことがない。
春吉はループ再生しているニュース動画を閉じた。
先週のことだ。
春吉は同じ大学に通う倉部光輝と家族の死の真相と犯人を見つけるために、地元に足を伸ばした。その帰り、電車をおりるなり黒いスーツ姿の男二人が倉部に声をかけてきた。
「倉部、知り合いか?」
「ああ、ちょっと。話してきたいからここで解散でいい? 七飯先輩一人でおうちに帰れる? 改札の抜け方わかる?」
「……俺を子ども扱いするとき、君は生き生きしてるよな」
「そうでもないよ」
ジト目の春吉に軽く手を振った倉部とは、そこで別れた。
あれから倉部とはなぜか連絡がつかないし、大学に来てる様子もない。
春吉の父親が元捜査員だったかどうか、倉部は二週間に一度会う監察官に訊いてみると言っていた。その件で忙しくて休んでるんだろうか。ただ、連絡がないことが気にかかる。
“お前のことは信用できない“と、敢えて無視されてるだけかもしれないが。
「あのね七飯君、先週チャットで送った花火大会のことだけど」
「あっ、覚えてるよもちろん。交流授業で一緒だったみんなと行くんだよね?」
地元のコーヒーショップでスパゲッティを食べてるとき、遥から電話がきた。
そのあとチャットで『みんなで七月に花火大会に行こうって話でてるんだけど、七飯君は予定大丈夫?』とお誘いがきて、嬉しくなったのを覚えてる。
縁日や花火は地元にいた頃から(例え最後尾から眺めるにしろ)大好きだったが、家族が亡くなってからは人が賑わう場所で楽しみに浸ることへの申し訳無さで関心が薄れていた。
でも今回は……。
春吉はスマホの画面に、祖母からのメールを映した。
『久しぶりに会えて本当に嬉しかったです。来月、ご飯をたくさん送ります。それと、倉部さんに気にしないでねって言っておいてね。大学生活の夏休み、たくさん満喫してください。
追伸 川で溺れた男の子のご家族がお礼を持ってきてくれました。男の子がオオカミのぬいぐるみ(春ちゃんとおばあちゃんがお腹の手術をした子です)を、やっぱりかっこいいから欲しいと言うので渡しました(元は男の子のぬいぐるみだったのね)。
おばあちゃんより』
これまで届いたメールは全て短文だったが、最新のメールは長文になっていた。以
前の自分なら困ったろうが、今は嫌じゃないし返信もすぐできる。
「そのことなんだけどね……チャットでは言わなかったんだけど、よかったら後半二人で、」
「そういえば冬田さんが持ってる文庫本、不思議の国のアリスの本? ルイス・キャロルの」
「あ、ああこれね」
遥は左手に持っていた文庫本の表紙を、乙女心を察することができない春吉に見せた。
表紙に描かれた金髪の女の子が、暗闇の中に消えるウサギを目で追っている。
「児文Bの課題で使うから、読んでる途中」
不思議の国のアリスは、世界的にも有名な児童文学だ。
主人公は好奇心旺盛なアリスという名の女の子で、奇妙な白ウサギを追って洞穴に飛び込むことから彼女の冒険がはじまる。
「渡先生の授業だよね? 俺、課題が大変って聞いてとらなかったんだよなぁ」
「とらなくて正解。AIとWikipediaをちょっと使って課題だしたものなら講義室から追い出されるよ」
遥は本のページをぱらぱらめくり、
「不思議の国のアリスについでのディベートが今度あるんだけどね。私、この話好きじゃないんだ」
本を鞄の中にしまった。
「ちょっと意外かも。冬田さん、ファンタジー好きそうだから」
「よく言われる。でも、不思議の国のアリスも、ナルニア国物語もハリー・ポッターも、みんな普通の生活を送ってるのに、突然勇気を出して新しい世界に飛び込んでいくでしょ?」
「好奇心旺盛だよね、ファンタジーの主人公って」
「うん。けど新しい世界が楽しいとは限らないじゃない? もしかしたら待ち受けているのは恐ろしい世界かもしれないのに、どうして飛び込んでいけるんだろう。行かないほうがずっと賢くて懸命で、安全なのに」
遥は下唇をつき出して、前髪を息でもちあげた。
確かにファンタジーの主人公は勇気を出して新しい世界に飛び込み、結果、必ずといっていいほど命の危機に遭遇する。
「じゃあ冬田さんがアリスならどうする?」
「白ウサギを見かけたらってこと?」
「うん」
「追いかけないで自分の心の中にとどめておくかな。たまに思い出して、あれは夢だ
ったのかなって考える、寝る前とかに。七飯君は?」
「俺は……どうしようかな」
春吉は自分がアリスになったところをイメージした。
白ウサギが消えていった洞穴の中を覗き込む自分。
「多分、飛び込む」
「うわ、七飯くんの回答こそ意外」
「でも怖くて途中で引き返すと思う」
「三十六計逃げるに如かず。なるほど、その手があったか」
遥が感心して頷いたとき、二人の足元に水が飛んできた。
見ると、学部間交流授業で一緒だった男子学生が、水鉄砲を持って立っていた。
「二人の愛の炎、俺の水で消火させていただきます」
「な、なに変な決め台詞言ってるんだよ!」
“二人の愛の炎”の言葉に狼狽えた春吉は思わず立ち上がった。遥はベンチに座ったまま「夏がきたって感じだねえ」と呑気に笑っている。
「咄嗟に出てきた決め台詞としては百点満点だろ? それより七飯、次のコマ空いて
ないの? グラウンド横で友達とサバゲーするんだけどさ」
「水鉄砲で?」
「青春って感じだろ。二チームに分かれて戦うからさ」
男子学生はにやりと笑って、ベルトにさしていたもう一つの水鉄砲を春吉に差し出した。
「一丁余ってるから俺のチームに入ってくれよ。ちなみに俺がいるチーム名は“彼女いないけどなにか?”な」
「……相手のチーム名は?」
「“彼女いますけどなにか?”。どうだ、めちゃくちゃ撃ち倒したくなるだろ」
「確かに」
春吉は水鉄砲に手を伸ばした。が、グリップに指が触れたところで震えたので引き戻した。
「……これ、銃口を人に向けて撃つんだよな?」
「銃口って大げさな」
「ゾンビとかを撃つんじゃないんだよな?」
「ウォーキング・デッドごっこはやらないぞ」
「ごめん、俺はいいや」
春吉は首を横に振り、目をそばめた。
「えー、いけずぅ。授業ないから暇なんじゃねえの?」
「これから行くとこあるから」
春吉はベンチに置いてある鞄を持った。遥が「え?」という顔をする。
「七飯君、三コマ目は? 私と同じ心理とってるよね?」
「間に合ったら途中から出るよ。間に合わなかったらそのまま休んでバイト行くつもり」
遥と男子学生に手を振ると、春吉は正門へと足早に去って行った。
「七飯のやつ、授業料もったいないからって絶対サボらなかったのに珍しいな……」
「そう思う?」
男子学生の呟きに、遥は素早く反応した。
「うん。教育にいる俺の友達も言ってた。真面目なんでしょアイツ」
「そう、だから最近の春吉君……変な感じがする。“あの人”のせいなのかな」
「ごめん冬田、声小さくて聞き取れなかった。なんて?」
「……なんでもないよ。水遊び楽しそうだけど、周りに迷惑かけないようにね」
遥は男子学生に注意をうながすと、そのまま大学の中へ去っていった。
自動ドアをくぐり、長い廊下を歩いて講義室についても、その表情には不安がのっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます