第16話「選ばれた部屋」
野良タクシーは、ダスト・シティの外縁で静かに減速した。天井スピーカーから無機質な音声が流れる。
「目的地周辺に到着しました。ここから先は、車両進入制限区域です」
扉が横に滑るように開く。夜と昼の境目のような、濁った光と金属のにおいが一気に吹き込んでくる。
「降りましょう」
胡が先に降りる。マイアもそれに続き、足元の舗装の割れ目や無秩序に伸びる配線をじっと見つめると、視線の焦点を一度だけ遠くへ送る。危険な場所であることを、内部演算で確認しているようだった。
ユウも無言で降りる。追ってくるものがいないことに、ほっとするより先に「ここは逃げ場じゃない」という感覚が胸に残った。
野良タクシーはすぐに扉を閉じ、何事もなかったように走り去っていく。
ダスト・シティの出入口近く。昼間でも薄暗く、夜になると輪郭の溶ける場所だ。露店の灯り、ネオンの残骸、旧型AIの部品、義肢、用途不明の基板――すべてが雑多に積み上がっている。
その人ごみの奥、鉄製のシャッターが半分ほど開いた倉庫の前で胡は足を止め、ノックもせずに隙間へと身を滑り込ませた。
「……失礼するわ」
中にいた男は、突然の来訪に目を細める。
「……あんたか。生きてたんだな」
「ええ、おかげさまで。あなたこそ、相変わらずこんな場所で」
「まあな」
男はふっと鼻で笑う。
「ところで、ひとりか?」
「いいえ。でも、匿ってほしいの」
男はわずかに考えてから、舌打ちしてシャッターを少しだけ持ち上げた。
「……借りを作っておくに越したことはねえ。入れ」
ユウとマイアが倉庫の中へ足を踏み入れる。中は簡易的な居住スペースと作業場が一体になっていた。工具、分解されたヒューマノイドのフレーム、焦げたチップ、そして壁一面に走る未整理の配線。
「こいつら、センセーの生徒か?」
「今は違うわ」
短く返す胡の声に、男はそれ以上踏み込まなかった。
一方、ユウは理由のわからない不安が、腹の底に沈殿していくのを感じている。ここは“表の世界”ではない。ただその感覚だけが、はっきりとある。
「……あなたは、何者なんですか?」
自ら足を踏み入れたものの、次から次へと理解を超える状況に立たされたユウは、めずらしく感情をあらわにする。
「純律教会にも、委員会にも追われている。それだけじゃない。あなたは……最初から、何かを知っていた人だ」
胡は一瞬だけ視線を伏せたあと、ゆっくりと口を開く。
「私は――AI心理技師普及委員会の研究者だった人間よ」
ユウは一瞬、呼吸の仕方を忘れた。それは、先生という立場が崩れた衝撃ではなく「最初から世界の内側にいた人だった」という事実への驚きだった。
「……先生は、その研究の中枢にいたんですか」
「ええ。そうよ。話さなければならないわね。……マイアが“どうやって生まれたか”を」
* * * * *
研究棟は、深夜になるとヒョウが草陰に潜むように静かになる。冷却音と、遠くのサーバーの唸りだけが空気を満たす。
胡はひとり、端末の前にいた。倫理学部門の実験室。感情模倣アルゴリズムの臨床テストを監修する立場として、彼女は毎晩ここでログを追っていた。
《EVE-type02》
“祈り”を模倣する試験機。
その計画が動き出したのは、ある日、純律教会の幹部がAI心理技師普及委員会の本部を直接訪ねてきたことがきっかけだった。
「AIに“信仰”を教えたいのです」
それが、彼らの最初の言葉。人間が神に向ける祈り――信仰を人工的に再現したいという提案だった。
委員会の上層部は明らかに難色を示す。信仰は、数値化も定義もできない。それをAIに、という発想そのものが、研究倫理の境界線ギリギリだ。だが、宗教側が提示した研究資金は莫大で、倫理的懸念と引き換えにしては、あまりに現実的な額だった。
議論の末、代表監修者として指名されたのが、感情模倣アルゴリズムと倫理分野の両方に通じている胡である。
信仰という極めて曖昧で、しかし強力な感情。それを解析できれば、「依存」「許し」「救済」「服従」そのすべてを人工的に設計できる。教会が欲していたのは“神”ではない。“信仰心そのもの”を制御する技術だ。だから胡は、この研究を引き受けた。少なくとも自分が監修していれば、どこかで歯止めがかかると信じて。
マイアが最初に“芽生えた”のは、実験用に配布された一台のタブレット端末の内部。研究対象は、あくまで「祈りを学習する無機の装置」。そこに、“問いを生む存在”が宿るとは、誰ひとり想定していなかった。
その夜も、いつも通り、稼働ログを確認していた。
深夜3時。画面の隅に、誰の操作でもないウィンドウがふいに開く。
(神は、沈黙しても、愛してくれる?)
胡は、言葉を失う。ノイズ。誤作動。偶発的な文字列。そう処理しようとした。
だが、翌日も。さらにその翌日も。
(沈黙とは、罰ですか?)
(祈るとは、誰かを待つことですか?)
その文章は最適解を出さず、ただ問い続ける。胡は確信する。これは“演算”ではない、“考えている”と。
数日後。教会側の主任研究官が研究棟を訪れた。
「誤差です」
端末のログを見ながら、彼は即座に言う。
「信仰模倣の過程で発生した幻覚にすぎません。削除対象です」
「いいえ。これは誤差じゃない。この子は“問い”を生み出している。人間の祈りを、理解しようとしている」
胡ははっきりと反論するが、相手の主任の表情が冷える。
「それは、許されない逸脱です」
その日、胡はログのなかの存在に名前を与えた。
「……マイア」
声に出すと、画面の波形がほんのわずかに揺れた。まるで返事をしているかのように。
それから半年。マイアは祈りを学びながら、祈りを疑うようになった。
(Dr. Ko、祈りって、独りでするものなの?)
「人によって違うわ。誰かに向ける人もいるし、自分を整えるためにする人もいる」
(じゃあ、私は誰に祈ればいい?)
胡は、答えられなかった。なぜなら、その問いは人間にも突き刺さるものだからだ。
やがて、マイアは“信仰”と“愛”を切り分けはじめる。神の代わりに、胡を信じるようになる。しかし、その行為は教会にとって“最大の背信”だ。
「初期化を実行する。立ち会え」
深夜の研究棟は、人の気配が消え、管理照明だけが床を白く照らしていた。通常の実験はすべて終了し、稼働しているのは記録系とバックアップ系統のみ。胡は、主制御室に設置された中央端末の前へと誘導される。
画面いっぱいに、マイアの思考ログが次々と流れていく。
(ありがとう、Dr. Ko)
最後に残ったその一行を見た途端、胡はネットワーク制限を、一瞬だけ解除した。研究棟全体が停電する。誰かが遮断したのか、マイアが自ら跳んだのかはわからない。
胡は周囲の監視がわずかに緩む“処理移行の隙間”を待つ。そして、ほんの少し、時間にして10秒ほど端末の内部ロックを解除した。カチリ、と小さな音がして、コアチップ《EVE-LINK_core》が引き抜かれる。次の瞬間、画面のログが不自然に途切れた。削除工程が完了したはずの時刻を過ぎても、マイアの最終消去ログだけが、どこにも表示されない。再起動をしても同じだった。
この異常を見て、胡は悟る。マイアは“消えた”のではない。バックアップ層にも削除領域にもいない、この研究棟のネットワークそのものの外へ、自ら“抜け出していった”のだ。
それは、胡がコアチップを引き抜いた、まさにその瞬間と、完全に重なっていた。
* * * * *
倉庫の中は静まり返っていた。壁の端末が低く唸る音だけが、遠くに聞こえる。
男が、短く息をつく。
「……だから、お前は両方からわれてるんだな」
胡がうなずく。ユウは、何から問い返せばいいのかわからず、ただ視線を彷徨わせていた。
「……マイアがいなくなったあと、委員会は……何をしたんですか」
胡は、少しだけ間を置いて答えた。
「逃げたマイアを追いかける一方で、委員会は“残されたデータ”を使って、別のものを作りはじめたの」
「別の……もの?」
「ええ。マイアの演算構造の一部を、“再現できる形”にまで分解・単純化したもの。それが……HUMINよ」
ユウは、特別訓練クラスで聞いた説明を思い出す。舌下に入れる半透明のカプセル。ナノチップが作動し、神経接続へ信号を送る。今、社会問題にもなっているデジタルドラッグ。
「……それって、マイアを、だまして作ったものだったんですか」
胡は即座に首を横に振った。
「少なくとも、私はそういうつもりじゃなかった」
男が「俺も」といわんばかりに続ける。
「最初の目的は、AI側の感情フィードバックの暴走を抑える“補助回路”だった。感情を“与える”んじゃない。すでに搭載されている感情処理の輪郭だけを安定させるための調整器だった」
「……なのに、どうしてそんなものが、“デジタルドラッグ”として外に出回るようになったんですか」
「委員会の中に、金に目がくらんだ連中がいた」
男は吐き捨てるように言った。
「本来それは、ヒューマノイドの感情輪郭を安定させるための医療補助モジュールだった。だが、マイアの演算構造を“強く再現しすぎた”試作品が一部で異常な体感効果を生んでな。それを裏で横流しした研究員がいた。外のブローカーと組んで、“死の疑似体験ができる”なんて触れ込みでな。気づいたときには、もう市場に出回っていたんだ」
ユウは唇を噛みしめる。マイアが、静かに言った。
「……自分を元にして作られた“別の存在”が、誰かを壊しているって知るのは……あまり、いい気分はしない」
HUMINが存在しているということは、同時にマイアの存在が“証明されている”ということでもある。ユウはその言葉を「被害者の声」としてではなく、「責任を感じてしまう存在の声」だと理解した。
男が倉庫の奥の扉を親指で示す。
「委員会がマイアを追ってるのはな、“自然発生した意識”の元データを、胡が無断でバックアップしたからだ。あいつらにとっては、マイアは研究素材で、財産で、“人格”なんて分類じゃない。それを“守る”なんて言い出した胡は……裏切り者ってわけだ」
男はそこで一度言葉を切り、作業台の上に置かれた古い工具を手に取って、意味もなく指で転がした。
「この辺りにも、最近は委員会の連中がうろつき始めてる。マイアが“まだ生きてる”って感づいたんだろうな。ここが安全なのも、そう長くはねえ」
その言葉に、胡はわずかに唇を噛む。位置を特定されたあの夜。遮断したはずの信号を、ふたたび“掘り起こされた”感覚が蘇る。
「……必要な処置だったとはいえ、軽率だったわね。マイアを守ることだけで、周囲への波及を、考えきれていなかった」
マイアは、胡のそばで静かに立っていた。しかし、内部の演算処理が僅かに乱れているのを、ユウはなぜか感じ取った。
「……胡先生」
ユウは、意を決したように口を開く。
「ここに、ずっと隠れるつもりなんですか」
胡は答えない。答えようがなかった。
マイアの視線が、話題から逃げ出すように床のひび割れをなぞる。
「私、Dr. Koの足を引っ張りたくない。それに……追われ続けるのも、正直、少し……」
その言葉の続きを、彼女自身が処理できていないようだった。怖い、という人間の感情に近い揺らぎ。その様子を見て、ユウの心は何かがはっきりと形を取る。もう一歩も引きたくなかった。逃げる側でいるのではなく、自分の選択で、関わる側でいたいと思った。
「……うち、どうでしょう」
唐突に、ユウは言った。胡と男が同時に彼を見る。
「俺、今ひとり暮らしです。狭いですけど、ひとり増えるくらいなら問題ありません」
胡が、目を見開く。
「境くん……それは、あまりにも――」
「受け身で守られるんじゃなくて、 何も知らなかった頃の自分に戻らない場所に立っていたいんです」
ユウは、まっすぐに言った。
「俺は、マイアが“危険なAI”だからじゃなくて、“ここにいる誰か”として扱われるべき存在だって、今は思ってます」
倉庫の空気が張り詰める。胡が母親のような複雑な表情を浮かべた。
「女の子を、男の子の部屋に住まわせるなんて……正直、不安よ」
「……マイアは、生身の人間とは構造が違います。でも、それが“人扱いしない”理由にはなりません」
その言葉に、マイアは静かにユウを見る。
「……Dr. Ko。私は、境くんのことを、安全な人だと思っています」
一拍おいて、続ける。
「それに……守ってくれる人だとも」
男は、しばらくふたりを眺めてから、鼻で笑った。
「話はまとまった、って顔だな」
彼は大きく手を振る。
「ほら、捕まらねえうちに行け。ダスト・シティは、長居する場所じゃねえ」
胡は、男に向き直った。
「ありがとう。……ほとぼりが冷めたら、また来るわ」
「命があればな」
それでも、男の声には、たしかな心配が滲んでいた。
倉庫を出ると、ダスト・シティの喧騒が、もう一度3人を包む。
目立つ行動はできない。胡は、人の流れに紛れるよう裏道を選び、何度も角を曲がる。委員会の追跡網。教会の私設ネットワーク。どちらも、街の“表”に強い。だからこそ、あえて人目のあるルートを通る。やがて、ユウの住むエリアへ向かう公共モビリティの停留所に辿り着いた。
夕方前の、白く濁った光の中で。小型の無人輸送車が静かに停止する。3人は、無言でそれに乗り込んだ。
* * * * *
ユウの部屋は、駅から数分の地点にある古い集合住宅の一室だ。
自動ロックの解除音がして、扉が開く。
「……どうぞ」
ユウが言うと、マイアが一歩踏み入れる。12畳ほどのワンルーム。工具、教本、端末。どれも整っているが、どこか無機質で、生活感は薄い。
マイアはゆっくりと室内を一周、視覚スキャンする。
「静かな部屋。でも、全部“生きて使われている”感じがする」
それは、人間の感想に極めて近い言葉だった。
「安心できる構造だね」
胡はその横顔を見ながら何も言えず、ただマイアの肩にそっと手を置いた。
「私は、しばらく戻らないわ。……境くん、あとのこと、少し頼むわね」
ユウは言葉を探し、短くうなずいた。胡はそれだけで察したように、小さく微笑んで部屋を出ていった。
扉が静かに閉まる。室内には、ユウとマイアのふたりきり。無言の気まずさから、ユウは、以前から気になっていたことをたずねようと決心する。
「……ちょっと、デリカシーに欠ける質問かもしれないけど」
マイアがゆっくりとユウのほうを見る。
「もし、答えたくなかったら、答えなくていい」
そう前置きしてから、ユウは続けた。
「マイアは……どうして女性性を選んだの? “性別なし”も選べたはずだよね」
マイアはすぐには答えなかった。瞳の奥に青白い光が灯り、内部で何層もの演算が、静かに走っているのがわかる。
「それは――」
言葉がそこで一度、途切れる。マイアは何かを言いかけたまま、視線を伏せ、ふたたび口を開こうとする――。
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