黒き閃光
近志木緋人
【1】
「なぁケイ、そんなにソワソワして大丈夫か?折角のコンディションが緊張のせいで台無しになるぞ?」
「何言ってるんですか先輩、これは武者震いと言うやつです。今から強豪のジョッキー達と戦えることにワクワクしてるんですよ…!」
そう言ってケイは窓の外を見たりバス内を見渡したり、手荷物をあわあわといじくり回していた。そんなケイを先輩であるサイスはやれやれ仕方がないなという風で笑った。
清廉潔白さを感じさせる白を基調とした大型バスの中に、ケイ達はこれから聖戦の地、新生N競馬場へと向かおうとしている。
バスにはケイと先輩のように、白ワイシャツと黒ズボンを身に纏う者達がいた。
「先輩、今日の試合僕が必ず勝ちますよ」
「なんだぁその宣言は?先輩の俺を差し置いて勝つつもりなのかぁ??」
「まあはい。僕前の試合じゃ先輩より順位上だったんで余裕かと」
「あ!生意気だぞお前!」
調子に乗ったケイの頭を先輩のサイスが軽く握り拳でグリグリする。
「痛い痛い痛いやめてって!」
「ふん。先輩を敬ないからこうなる」
「こんにゃろー!」
と反撃するようなそぶりを見せお互い笑った。
ケイは緊張していたが、負けたらどうしようと言った不安はなく、むしろ晴れやかな気持ちで、選手としては一番と言っても良いくらい落ち着いた精神テンションだった。この状態のまま試合に持ち込んでいきたい。
そう思っていた時、可憐な蕾をつみとるかのように不届きものの魔の手が忍びよる。
前の座席が勢いよくケイの方へと倒れ込んでくる。丁度前かがみの態勢になっていたせいか、その座席の後頭部がケイの頭を強く強打した。
「イッタ~~~ッ」
ケイは頭を抱えへたり込む。一体誰だ、こんなことしたのは…。とケイがそう思った時、上から声が聞こえてくる。
「あっごめんな~~~~ケガ負わせちまってよ~~~~~~。気づかなかったぜ~~~~~いやまじで…」
憎たらしい汚川のような声が聞こえてくる。痛む頭を抱えながら顔を上げ声の方を見る。これまた憎たらしい顔が覗き込んできた。
ケイは初めて会うこの男のことを酷く嫌った。
「座席を倒すなら声くらいかけろよな…!」
痛みに耐えながらケイは言った。
「随分楽しそうに話してたもんだから言っても気づかないと思ってよぉ~…声かけるのやめたんだ」
キシシとその男と同席している奴らまで笑っていた。
「んだとぉ~!」
とケイは頭に血が上り反撃をしてやろうと立ち上がろうとした。それをサイスが止めた。
「やめるんだケイ。今日は試合だ。その喧嘩っ早い性格を今はしまえ」
ケイは非常に負けず嫌いのすぐに手が出てしまう程の短期だった。
にやにやと笑っている汚い顔面に今すぐにでも拳をめり込ませたかったが、ここは先輩の言う事は聞くべきだと大人しくすることにした。
大丈夫か?ケガはないかと先輩が頭の様子を見てくれた。申し訳なさそうにケイは介抱を受けようとした。
「おっ痛むのか~ボクちゃん…。ホラ、オレが様子見てやるよ!」
と汚らしい男がケイの顔を掴んで、思いっきり立ち上がらせた。
不意だったので咄嗟に反応することが出来ず、されるがままになってしまった。
「オッ確かにたんこぶがあるな~~~こいつは!かなりでかいたんこぶがよ…!ケガさせたお礼と言ってはなんだが、俺が応急処置してやるよぉーッ!」
荒い鼻息をケイの頭に吹きかけながらその男は片手に持っている甘い炭酸飲料をケイの頭にかけた。
「――!!」
特に大きなケガではなく放置しとけば良かった程度なのだが、男は
「消毒だぜッ!」
と言わんばかりに全身に炭酸飲料を浴びせた。
「これでもう大丈夫だぜ…ケイちゃん…!」
呆気にとられていたケイの耳元にそう囁いて、男はゲラゲラと笑っていた。
「何をしてるんだお前はーッ!!」
あまりのことにサイスは男に怒りたてた。
問題を起こすなと言った彼が今にも胸ぐらを掴むと言わんばかりに飛び掛かった。
「何って…見て分かんねーかなーッ!応急処置だって言ってんだろこのタコ!なんだ?俺を殴るのか?問題起こすってのか?するってーとお前…暴力行為で失格になって出場停止になっちまうなぁ…いいのかよぉーそれでッ!」
周りに聞こえやすいようわざとらしく大きな声で男は言った。
サイスは周りを見た。別席に座る大会出場者がこちらの方を芳しくない様子で見ていた。
良からぬことが起きないか見張るように、けれど我関せずと危険物に触れないように。
――恐れている、と言った感じだった。
サイスは怒りの矛を納めた。いや、納めさせられたと言った方が正しかった。
ケイは知っていた。先輩であるサイスは今日この日のために絶え間ぬ努力をしてきたことを。
それをこんな"ちっぽけ"なことで棒に振ってしまってはあまりにも酷い。笑えない話である。
そんなサイスにケイは「大丈夫です先輩」と静かに声をかけた。
「頭、冷えたので」
「しかし…」
ケイは席を立ちあがり、あの憎たらしい男の顔を見ないよう、サイスと一緒にそそくさと後方席へと移った。
「じゃあなケイちゃーん!」と声がするが、ケイは反応しなかった。
すぐさま鞄の中にある予備の服に着替えることにした。
「あいつらあの腕章…そうか、T高の奴らか!」
サイスが男の正体を思い出し、硬く握った拳を膝に叩きつけた。
「知ってるんですか…?」
「あぁ。T高はスポーツに最も力を入れている学校で、色んな名スポーツ選手を生み出していることで有名だ。特に最近出来たばかりの"ネオユースジョッキー"の競馬に多額のお金を投資しているらしい。そしてアイツ…去年の全国大会の長距離部門の優勝者、マッドだ。馬の名は<アルティメイヤ>。戦術は逃げ一頭で豪快に走り抜け誰も寄せ付けない」
「そうかぁ…だからあんなに傲慢なのかぁ…」
冷たく、苛立ちを内包した声でケイは笑った。
「先輩、今日の大会…絶対に優勝しましょう。僕ああ言う奴嫌いです。とにかく嫌いだ。僕が一着で先輩が二着…最低でも10馬身-競馬の競争の際ゴールした時の他の馬のとの距離を測るための単位-つけてゴールしましょう…。じゃなきゃ、この行き場の無い怒りを…どうしようもできない!!!」
私服に着替え終わったケイの顔には、本人は隠せているつもりらしいが、鋭い眼光と共に闘争本能を剥き出しにしていた。
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