地獄に砂糖

きこりぃぬ・こまき

1匙目 ファーストキスはキャラメル味

せんってさ、俺のこと好きなの?」


 初恋は実らないとはよく言ったものだなあ、と。言葉の意味を理解できたいのは高二の秋頃だった。つまり、俺の初恋はその時期に訪れた。

 それまで、俺にとって恋愛とは無縁なものだった。つるんでいる奴らが何組の誰々が可愛いとか、雑誌に載っているグラビアがえろいとか。年頃の男子なのでそういう話はいくらでもあった。その度に俺は言葉の通り可愛いという感想を抱くことはあるけど、それ以上の感情が芽生えることはない。きっと恋愛感情というものがないんだろうなあと、中学生くらいのときに女子との甘酸っぱい青春を諦めていた。でも、それで困ったことはない。友達と過ごす時間も十分に楽しかったから。彼女ができたと鼻の下を伸ばして毎日のように自慢されるのは腹が立ったけど。


 「なあ、柳桜やなぎざくらくん。去年卒業した先輩から屋上の鍵もらっているってマジの噂?」


 高校入学して何度目かの体育、先生に聞こえないひそひそと聞いてきた奴がいた。隣のクラスの誰だっけ、背が高くて目立っている奴。顔は見おぼえるけど名前が分からなくて首を傾げる。そいつは自己紹介をするよりも先に屋上に出てみたいから本当なら連れてってよと言い出す。

 その噂は本当。近所に住んでいる卒業生がこの高校の伝統なんだ、入学祝いね。そう言ってくれた。貰えるものは貰っておこうと受け取り、怠い入学式をサボるため早々に使った。持つべきものはやんちゃな先輩である。この話は誰にもしていないのにどこから漏れたんだろうか。眉間に皺を寄せて考える。その間、そいつのことは無視していたけど、諦めることなく隣で話し続けていた。


「あ、柳桜くん」

「うげ」

「なになに、今から屋上? 俺も混ぜて混ぜて」

「お前、まじなんなの」

「俺? 隣のクラスの甘露時だよ。もしかして覚えてない?」

「隣のクラスのやつなんて覚えないだろ」

「えー、俺は柳桜くんのことすぐ覚えたよ。綺麗な顔してる子がいるなあって」


 人懐っこい笑顔を浮かべて、あっという間に距離を縮めてくる。顔色を窺うことなくパーソナルスペースに侵入してくるが、不思議と不快感がないのはこの男の個性なのだろう。

 初対面で臆することなく綺麗だと口にした同級生はこの後仲良くなりたいと思っていたとか、思っていた通り優しい奴なんだなとか、恥ずかしげもなく言い続けた。

 そんな調子で体育でも、休み時間でも、いつどこでも鉢合わせすれば声をかけてきた同級生の甘露時かんろじ翔梨しょうりつるむようになるまで時間はかからなかった。

 二年生からは同じクラスになって一緒にいる時間は当然のように増えていった。授業や行事で二人組になるときはだいたい組んでいるし、昼飯も一緒に食べている。帰宅部な俺たちは授業後に寄り道をして遊ぶことも多い。それくらいの仲になって、俺は初めて恋というものをした。

 なるほど、どうりで女の子に可愛いと思うことはあってもそれ以上の感情を抱くことがなかったわけだ。俺の恋愛対象は同性なのだと、人生17年目にしてようやく自覚をした。


「鮮。おーい、せーん。聞こえてる?」

「あー、考え事してた。何?」

「だから、鮮って俺のこと好きなの?」


 いつものように学校の屋上でだらけていたら前触れもなくぶっこまれた質問に現実逃避をしていた。それを知らずか、それとも気付いていて無視をしているのか、翔梨は質問を繰り返す。

 お前のそういうところ本当に嫌だ。そう訴えるように大きな溜め息を吐く。翔梨はわざとらしく唇を尖らせ、俺の手よりも一回り大きい手で頬を摘まんでくる。俺の名誉のために主張させてもらうが、俺の手が小さいわけではない。俺の手は人並みであり、翔梨が大きいのだ。

 

「はあ」

「うわ、心底うぜーって顔で二回も溜め息吐きやがった。傷つくなあ」

「そんな冗談言っている暇があるなら英単語覚えとけ」

「鮮は見た目のわりに真面目だよなあ」

「見た目のわりに不誠実なお前に言われたくない」


 摘まんだ頬をむにむにと揉み始める手を払う。触れられた頬が熱いのは気のせいだ。心臓の拍動が激しくて吐きそうだし、背筋には嫌な汗が伝う。平静を装うためにも翔梨から目を逸らし、英単語暗記用のアプリを開いたスマホに視線を落とした。

 どういうつもりでそんな質問をしたのか、意図が読めない。いつもの悪ふざけか、それにしてはしつこい。じゃあ、何か確信してのことか? そんなはずがない。俺は出会ってから今日まで、基本的に塩対応の姿勢を貫いている。他人から友達になる経緯で変化があったとしても、初恋だと自覚してからの変化はないはずだ。脈無しなのは明らかで、初恋は実らないと言った奴はよく言ったものだなあと最初から諦めていたから。

 

「今日は彼女とデートの予定だったんじゃないの」

「あー、別れた」

「またかよ。今回は順調だつってたよな?」

「それがさあ、受験勉強に本腰入れないと行けないよなあって話をして」

「おー」

「彼女の両親が遅くまで仕事をしてるからうちで勉強しようって誘われて」

「んー」

「彼女の家で勉強して集中できる男とかいないからー。それに勉強するなら鮮とやりたいしーって返して」

「俺を巻き込むな」

「なんやかんやあって別れた」

「俺を、巻き込むな」


 あれやこれやの意味を込めてのお誘いだっただろうに断られた。しかも、他の奴の名前を上げて。彼女さんが怒るのも当然だ。怒った勢いで別れるなんて口走り、引き留められることなく別れを受け入れた翔梨に言葉を失った姿まで目に浮かぶ。

 いつだったか、翔梨の元カノが言っていた。人懐っこい笑顔を浮かべて距離を縮め、恥ずかしげもなく人を褒めて、惜しむことなく優しさを与えるこいつは底なし沼だと。特別扱いを受けている気持ちになって沼に落ち、抱いた好意を包み込むように受け止めてくれる。そうやって彼女となって迎えるのはまさかの地獄の日々。翔梨とってそれは特別ではなく誰が相手でもそうだと気付いてしまうのだ。

 それを聞いたとき、毒を吐きたくなった。確かに翔梨は来る者拒まず去るもの追わずで誰に対しても同じ態度だ。彼女がいないときはふらふらと遊んでいて、肉体関係だけの相手もいる。けど、彼女がいるときは相手を大切にして浮気なんて決してしない。同じように見えて、ちゃんと特別扱いをしている。

 それに気付けず文句を言うなんて、異性というだけで彼女になれる立場なのに。求めることばかり言って贅沢すぎる。


「鮮かと勉強した方が捗るのは本当のことだし」

「進学先がどうこうとか大学生になったら何をしようとか、そういう話をしながら一緒に勉強するのが醍醐味じゃないの」

「そういうもの?」

「知らないけど、そういうものじゃないの」

「ふうん。でも、それ含めて鮮とした方が捗るよな」


 最後の設問で誤タップをする。あと一問で満点となったのに、くだらないミスをして気分が落ちる。別の問題をやってから後で再挑戦しようと、他の問題を選ぶ。

 単語や熟語が表示されて意味をタップ。正解の文字を確認してから他の選択肢の解説まで読み込む。発音も確認して、ぶつぶつと唱えて。

 集中さえできれば、翔梨の軽率な一言で乱されかけた心も落ち着きを取り戻せる。


「英語ばっかやってるけど、数学はいいの?」

「言うな。今は得意分野に集中して現実逃避してるんだ」

「逃げても苦手分野の点数は上がらないぞ」

「……」

「今日、母さんが夜勤だから夕飯を自分で用意しないといけないんだよなー。一緒にしてくれたら数学をいくらでも教えるんだけどなー」

「人の世話を焼いている場合か。翔梨も文系科目を捨ててきただろ」

「だから鮮に教わろうとしてるんじゃん」


 ついさっき、似たような誘い文句を聞いた覚えがある。そして、断ったら破局に繋がったという話もセットで聞いた。別れたばかりの彼女が使った手法を使うとはどんな神経をしているんだ。いくらなんでも図太すぎると思ったが、よく考えたらこういうやりとりは初めてではない。

 傷心中の翔梨がどこぞの適当な女に引っ掛かって爛れた遊びをするのを見るよりずっとましだ。翔梨の母親が夜勤の日に泊まって飯を食うっていうのもよくあることだし。


「それで、質問の答えを聞いてないんだけど」

「ハンバーグが食いたい」

「そっちじゃなくてさあ」


 振り払った手が今度は頬をつついてくる。英語暗記アプリを閉じてハンバーグの作り方を検索している間もずっとつついてくる。レシピから目を離さず、翔梨の手を払いのける。しかし、やめるどころかつつく力を強めてくる。適当にあしらわれることが不満なのだろう。俺も不満だ。意図的に無視をしていることを察して諦めろ。


「鮮。せんくーん」

「ああもう、しつこいなあ! さっきからなんだ、よ」

「やあっとこっち見た」


 怒った俺が翔梨を睨むと、雀の羽みたいな色をした目が嬉しそうに細まる。こっちは怒っているというのに嬉しそうにしながって、なんて毒を吐く余裕はなかった。

 鼻先同士が擦れそうなほどの至近距離に翔梨の顔があったことに驚いて、ぽってりと厚みのある唇から漏れ出る息に身体が強張る。

 距離を置こうにも後ろはフェンスで逃げ場がない。せめて横にずれようと身動みじろぎをすると、翔梨の大きな手がフェンスについて挟み込まれる。


「近い近いまじでなんなの人肌恋しい構ってちゃんか」

「はぐらかしてばかりいるからだろー」

「お前が突然気色悪いこと言い出すからだろ。なんだよ急に受験のせいでナーバスになってんのか、それとも彼女と別れて寂しがりか」

「別にその辺はどうとも思ってないけど、振られるのはよくあることだし。まあ、しばらくは彼女とかいいかなあとは思ったけど」


 擦り寄るように額を重ねた翔梨はにこにこと楽しそうに笑っている。もとからパーソナルスペースがないような奴ではあるけど、ここまで近いのは初めてのことで意味が分からない。こちとら必死に平静を装って今日まで関係を保ってきたというのに、簡単に崩してくる。

 心臓が騒がしくて耳元にあるみたいだし、そのせいで翔梨の声も上手く聞き取れない。顔どころか身体中が熱くて、喉が締め付けられる。

 このまま見つめ合えば三年間隠し通そうとしていた気持ちを読み取られそうで、せめてもの抵抗に目を瞑る。


「あ、目を瞑るのはずるい」

「知るか」

「鮮のキャラメルみたいな茶色の目、可愛くて好きなんだけどなあ。見たいなあ」

「しつこいやつに見せる目はない」

「ふうん。そんなこと言うんだ」


 唇に柔らかい何かが触れる。ひんやりとした秋の風によって冷えた人肌の温もりが唇から伝わってきて、咄嗟に身を引こうとする。しかし、フェンスについていた大きな手がいつの間にか俺の後頭部に回っているせいで動くことができない。

 唇をきつく結び、息を止める。ぬるりとしたものが唇を這い、動揺のあまり小さな悲鳴を上げる。手慣れたこの男はその隙間を逃さない。直前まで舌の上で転がしていたキャラメル独特の甘さが口の中を蹂躙する。厚い舌がこじ開けた口を閉じることができなくて、唾液が口の端から垂れてくる。


「しょ……り……っ、め」

「顔を真っ赤にしてかーわいー」

「ふざけたこと、してんじゃ」

「次はちゃんと息しなよ」

「ん……っ!」


 ようやく離れたと思えば再び口を塞がれる。喋っている途中だったせいで今度は抵抗する間もなく舌が入ってきて、咄嗟に引っ込めようとしたが絡め取られる。甘い唾液が混ざり、頭がくらくらしてくる。なんとか押しのけようと翔梨の胸板を叩くが、上手く力が入らない。

 背筋にぞわぞわと得体の知れない感覚が走る。身体の力が抜けて、何も考えられなくなりそうになる。そのとき、翔梨がふっと息を吐き出す。こいつ、この状況で笑ってやがる。人の気持ちも知らずに。それがどうしようもなく腹が立った。だから、噛んだ。俺の口の中で遊ぶように歯列をなぞる舌を、手加減せず思いっきり。


「いっ、だあ」

「やめろつってんだ!」

「ぐはっ」


 それだけじゃ気が済まないから、頭突きも加えてやった。口を押えて蹲る翔梨を見下ろし、ふんっと鼻を鳴らしてやる。ざまあみろ、これが人の心を弄んだ罰だ。とは、口が裂けても言えない。そんなことを言ってしまえば、質問を無視していた意味がなくなるから。

 悶える翔梨を横目に落としたスマホを拾う。ガラスフィルムと手帳型ケースにしておいてよかった、画面は割れていない。


「いたた……。このながれで、ずつきする?」

「お前、これ元カノやセフレにもやってんじゃねえだろうな」

「え」

「やめろつってもやめない。人の意見を無視して手を出すとか強姦同然だ。正直に言って軽蔑する」

「してないしてないしてない! 本当にまじでしてないから! 誘われたものに応じる以外してないから!」

「どうだか」

「本当だって! 女の子は小さくて柔らかくて簡単に壊れそうな身体してんだぞ。壊れ物を扱うように優しくするって」

「口では何とでも言えるな」


 口の開いた鞄から飛び出している参考書を適当に押し込み、スマホを放り込む。ファスナーを閉めてから肩にかけ、翔梨から逃げるように立ち上がる。早歩きで屋上から出ていこうとするが、同じ男なのに翔梨の方が歩幅は大きくてあっという間に追いつかれる。それがまた腹立たしくて舌打ちをする。

 ぴったりと隣に並んで歩く翔梨は俺の舌打ちを聞いて楽しそうに笑う。笑い声が無駄に爽やかなところも、その声を聞いて胸の奥が締め付けられることも、全部嫌になる。


「鮮。せーん」

「うるせえうぜえ黙れ」

「耳、赤いままだけど」

「っ、触んな!」


 長くてごつごつとした指が熱くなった耳をなぞる。不意打ちに肩が跳ねて、それを隠すように勢いよく手を叩き落とす。これだけ拒絶されれば心が折れて黙り込んでもいいはず。しかし、翔梨は傷つく表情一つ見せず、にこにこと嬉しそうにしている。本当に、何を考えているんだ。前置きもなくとんでもない質問をぶっこんできたところから俺の理解は追いついていないというのに、これ以上追い打ちをかけないでほしい。

 溜め息を吐きながら階段を下りていると、俺の手の甲に翔梨の指先が触れる。翔梨は距離が近いから、隣を歩いていると手が当たるなんてよくあることだ。気にしても意味がないのに、どうしても意識してしまう。


「今日、親いないけど泊まる?」

「この流れで行くと思ってんのか」

「だって夕飯一緒に食べるって話したじゃん。ハンバーグ作るんでしょ。途中のスーパーで買い物しよ」

「人の話を少しは」


 翔梨の指が俺の指と指の間に滑り込み、ぎゅっと握ってくる。足を止めて翔梨に目を向ければ、笑顔ではなく真剣な顔をしていた。

 なんて言えばいいか分からなくなり、言葉に迷っていると手の平に唇を押し付けられる。


「今日、泊まっていくよね」


 ああ、なるほど。こうして地獄みたいな日々を迎えることになるのか。

 身をもって知った俺は翔梨の元カノたちに愚痴を聞きながら心の中で贅沢な悩みだと毒を吐いていたことを申し訳なく思うのだった。

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