第3話

第3話


『おかえりー』

「おう、ただいまー……て、一緒におったろうも!」

自分の右腕のポケットからヒマリの声が響く。彼女に常駐アクションを許可してしばらくすると、課業が終わった後山永の居室に戻るとこのようにおかえりを言うようになった。古女房のようである。

『そういえば15時すぎに電話あったよ。小川って人。』

「小川?誰かね?」

『中学の同級生だって。男の声だった』

「……てっちゃんか!……はー、懐かしかなァ、なんの用やろか?」

タブ、ヒマリをポケットから出して居室の机に置き、戦闘服の上衣をベッドの架台に引っ掛ける。

『何してる人?』

「なんって、……何もしよらんな」

彼の中学時代の悪友で、やんちゃした思い出を思い出す。高校は別になり、就職しなかった所までは風の便りで聞いていた。

『……じゃあ基礎的所得ベーシックインカムだけで生きてるってこと?』

「さあ、どうやろな。」

単に生きていくだけなら基礎的所得ベーシックインカムで事足りる。ただ生きていくだけならば。性格的に自由で奔放だった友人が社会上位を目指す絵が彼には思い浮かばなかった。

『なんか、スコア社会評価点ヤバそうな人っぽい』

「ばか、いらん事言うな!一応おいの友達やぞ!」

『……ごめん。』

珍しくしおらしい。ちょっと言い過ぎたかと思い、しかしながら自分のアイオスに気を遣う自分がなんだか律儀だなと妙な感覚になる彼。

「あーすまん、おいも言い過ぎた。」

『んーん。』

微妙な沈黙。

「……スコア社会評価点気にして生きとったら息苦しゅうてたまらん。なんもせんと生きておれるんは幸せは幸せたい。」

『……宗清は、そう思ってんの?』

「……まあ、おいにはおいの幸せのある」

『ふーん……』

一体このAIは何を考えているのだろう。おそらくネットから色んな人間の考え方を参照しているのだろうが。それにしても会話の間の持たせ方といい、言い回しといい、本当に生きた人間のようだ。

「お前ほんに人間臭かなァ」

『すごいでしょ!』

「……まあ、すごかっちゃすごかな」

そういえば同級生や後輩たちでAIと恋愛ゲームしている連中がいるのを思い出した。なんならアイオスのコードをイジれれば18禁表現までできるそうだ。ここまで綺麗に感情表現出来れば最早疑似恋愛すら超えているだろう。なお、ニュースにもなっている。さらなる少子化の原因だのなんだの。

「……人んこたァどうでんよか。筋トレ行くわ」

『……リムで筋肉強化してるんでしょ?無駄じゃない?』

タオルとプッシュアップバーをロッカーから引きずり出し、屋上で筋トレをする準備をする彼。それに対し、なんだか理解出来なげなヒマリ。

「ほっとったらすぐ筋肉は縮む。寝る前に歯磨きするごと毎日やらんば意味んなか」

『ナノで維持すればいいじゃん』

「もったいなか!たっかとぞあれ高いんだぞあれ。それになにより薬に頼ったっちゃホンモンの筋肉にならん!」

『まーた学術的に根拠の無い話してる……』

「身体ば持たんワイには分からんって!」

実体の話をされてヒマリは黙った。

「よし、行ってくる」

『え、置いてくの?』

置いてきぼりにされると察したヒマリ。

「あ?別にいいやろ」

『音楽いるんじゃない?ロッキーのテーマ!』

「……」

ヒマリのちゃちゃと音楽のアドレナリンパワーを天秤にかけ、結局ヒマリを握りしめ部屋を出る彼であった。




"The one mentality you must have in life is regardless what's in front of you still must GRIND.[人生で絶対に持っておくべき心構えは──目の前に何が立ちはだかっていようと、それでもなお“やり抜く”ってことだ。]"

ゴギンスがエアバイクを漕いでいる。タブレットの中で。

"I'll never be the Olympics and be a professional athlete. But still I'll grind.[俺はオリンピック選手にも、プロのアスリートにもなれねぇ。だがそれでも、俺はやり抜く。]"

「ぶぅぅぅっふぅっ!!」

腕立て伏せの2ラウンド目、130回を済ませ、トレイニー特有の獣のため息を吐き出す彼。戦闘服の上衣を脱ぎ、半長靴のまま筋トレするのが彼の流儀だった。

今日はあまり調子が良くない。2セット目も150回まで行きたかったと山永は思っていた。

"I feel that most things I do, but I still I GRIND. I don't wanna do half shit I do, but I still I GRIND. [俺がやるべきことは俺はほぼ全てやってる。でも、それでも俺はやり抜く。やりたくねぇことばっかりだ。でも、それでも俺はやり抜く。]"

まだだ、最低でも600回はやらねばならぬ。

「ふうぅうぅぅ……」

腕立てのポジションをセット。精神統一のため息。何も考えるな、やりきる。

"And one day, you see me in the dark alley in 3 O'clock, I was GRINDING.[いつかお前が、午前3時の真っ暗な路地で俺を見かけたとしてもな──俺は黙って、自分と闘ってる。GRINDしてんだよ。]"

耳の付け根、その横にある乳様突起部分に埋め込んだ骨伝導スピーカーから激励が飛ぶ。

"Stay hard!!"

「おうよ!」

3セット目。子気味よく回数をこなしていく。

「ふっ、ふっ、ふっ……」

70回を過ぎ、腕が重くなってくる。まだだ、下腹部、所謂丹田の筋肉を使ってまだ身体を上げる。肩甲骨、広背筋もまだ余力があるはず。

「ふんんんっ、んッ!……ふんんんッ、んッ!」

ペースが落ちる。だか知らん。86回。

「……No one, comes here,……to save you……!!」

目標の90回。しかし姿勢が気に食わなかった。あと1回。

「ふっぐぅぅうぅッ、はっ!!」

そう、誰も来ない。誰も助けになど来ない。スーパーヒーローを待つな。お前がヒーローになって救え。例え無能の遺伝子しか持たないとしても。

ゼェハァ営内の屋上に息を響かせながら、彼はラウンドを終える。さあ、息を整えたら次のセットだ。


『……何がいいの?筋トレって』

とりあえず目標の600回は超え、汗をタオルで拭き取っていた時、ヒマリが声をかけてきた。

「んー、……カッコようなれる」

『別にリム使ってるならカッコイイ体型なってるでしょ』

「根性の着いてきとらんさ、そげな身体は。」

『根性ねぇ……』

理解出来なげなヒマリ。根性について検索でもかけているかもしれない。

「魚んごた口開けて人からもろうた位で、使いこなすっ訳なかろ?……あー、お前らはインストールすればすぐ使うっやろうけど。」

『使いこなす手順ってこと?』

「なんか違うがまあそんなもんたい」

彼の哲学だった。自分の手で手に入れる。自分の意志で選ぶ。誰からのやらされでもなく、自分で自分をモノにする。

「簡単に手に入れたっちゃ、すぐ無うなる。そうじゃのうて我がで手に入れる。そいが大事っさ」

『ふーん……』

それでもまだしっくり来ていなげなヒマリだが、追求はしてこなかった。

「ようし、今日はよかろ」

そんなAIはともあれ、彼は満足げに風呂に向かおうとするのであった。鳩小屋の薄明かりが汗ばんだ彼の体を照らしていたのだった。



「射手、安全装置、5発入り弾倉、弾込めェッ!」

久しぶりの検定射だ。リム入れている彼としてはもはや消化試合にも近い。

「前方よォし!……安全装置、よぉし。」

的方を確認、人員なし。当たり前だが。しかし練習でやらない行動は絶対本番ではできない。中即で習ったことだ。マッスルメモリー、身体に覚えさせる。人差し指と中指で安全装置の位置を確認、「ア」よし。

二度槓桿ボルトハンドルを引き、三回目で排莢口インジェクションポートを開放。薬室点検チャンバーチェック

「薬室よォし!」

自ら点検後、コーチに薬室を見せる。「薬室よォし!」コーチの顔も汗だくだ。覆道射場の熱気はヤバい。これでも一応換気扇はフルパワーで回っている。でなければガスで中毒になってしまうからだ。が、そんな程度でどうこうなる気温ではない。射場指揮官から射手まで一人残らず汗だく。

槓桿を戻す。弾倉を小銃に差し込む。

「5はァァつ!」

再度槓桿を引いて薬室に弾丸を送り込む。

薬室チェックチャンバーチェック弾込めロードよォし!!」

赤い鉄鉢を被った射撃係に準備よしを伝える。

「ふぅぅぅぅ」

軽く息を吐きリラックス。リムで脳みそまで改造された山永は満射、自衛隊でいう満点以外取らなくなった。零点規正を間違わなければまず5点圏を外すことはない。もともと彼は予想外のことが起きると動揺しやすい性格だったが、恐怖反応を促進する扁桃体のコルチコトロピン放出ホルモンの発現抑制、視床下部のCRHニューロンを遺伝的に制御。CRHとはコルチコトロピン放出ホルモンの略で、ストレス時に分泌される脳内物質だ。過剰な恐怖やパニック反応の引き金となる。リムによってこの分泌経路をあらかじめ抑えておくことで、突発的な危機状況でもパニックを起こしにくくなる。さらに、前頭前皮質の恐怖反応に対するトップダウン制御強化などなど、徹底した脳改造により冷静な性格に生まれ変わった。当初彼もリムによる改造に若干の恐怖感があったが、今では気が小さいことを克服できたのも悪くないと結論づけている。

右方みぎかたよーし、左方ひだりかたよーし、射撃よォォい!」

射撃係幹部の声が心地よく通る。この習会は膝撃ちだ。改造前は大の苦手だった。

-出た。

ガシャンと的現出。下半身の力を抜いてストンと身体を落としながら右脚に座り込むように乗り掛かる。立てた左膝上に左肘を乗せ、息を吐き、七割くらい空気を吐いたら息を止める。いわゆる吐き止めの亜種だ。そもそも息を止めないと照準線が呼吸に合わせて上下する。その上下動を防ぐために息を止める必要があるので、幾つかの手法がある訳である。彼は吸いすぎても吐きすぎても息苦しくてストレスなので七分止めの吐き止めを流儀にしていた。元狙撃班の曹長から教えてもらった手法だ。射撃は自分との戦いだ。静かに照星と照門を合わせ穏やかに引き金を落とす。暗夜に霜の降るごとく、というヤツだ。経験は無いが射撃というのは精神のもっていき方は弓道に近いのかもしれない。とにかく波一つない湖のような精神状態を作るのが大事だ。まあ、弓よりはるかにテッポウの方が操作は簡単だろうが。

―ずどん

気づいたら初弾が出ている。肩に真っ直ぐその衝撃を受け、照星が元の位置まで戻ってくるのを待ち、

―ずどん

彼は改造前から早撃ちはしないタイプだった。気の急くその撃ち方はあまり好きではなかったからだ。

―ずどん

膝撃ちはどんなに姿勢を固めてもゆらゆらブレる。改造前はその揺れを押さえ込もうと躍起になって冷静さを欠き、当たらなくなっていた。

―ずどん

だが今は穏やかにふらふらと揺れる照星のブレを眺められる。

―ずどん

「撃ち終わァりッ!」

結果を見るまでもない。今日も満射だ。早くこのクソ暑い射場から出たいと彼は思った。


「はい、安全装置、薬室よし」

弾薬返納を終え、交代係から射撃後の安全点検をやってもらって始めて外に出られる。6月にも関わらず外も35度を超える猛暑日だが、それでも射場の中よりはマシだ。

「あぢぃ……」

どんなに改造されても暑いもんは暑い。そういうなにかに気づける神経まで遺伝子改造で無くしてしまうと何にも気づけなくなってしまう。そういう問題もあって知覚や認知に関わるところはリムであっても改造されていない。

「おうムネ、どげんやった?満射か!」

2小隊小隊陸曹の郷曹長が聞いてくる。50代手前の優秀な小隊陸曹で、若い隊員からも信頼が厚い。

「だと思います。」

「流石スーパーマンやな!」

心から嬉しそうに肩を叩いてくる。今どきの陸自に珍しい、人心を掌握できて本音を話せる口髭をたくわえたダンディな曹長だ。山永自身、改造処置を受けていることで差別のような扱いを受けたこともある。なにせ明らかに人外の力を手に入れているのである。単純な筋力なら人間の二倍以上、骨の強度も腱の強度と柔軟性もその筋力を火事場の馬鹿力並にフルパワーで使っても骨折しないように改造されている。素手で人間の首をもぎ取るなど造作もないほどだ。それゆえ未改造の人間から恐怖に近い畏怖の眼差しを受けることもしょっちゅう。だが、郷曹長はそんなことはしなかった。あくまで一人の人間として、彼を扱ってくれる。

「わいどんもレンジャー行け!帰って来るっぞ!」

「いやぁダメっすよ、こん状態で行ったらズルっす」

建前半分本音半分だった。改造前にレンジャーの話もあったが、彼は単純にレンジャー教育の恐怖に怯え、参加しなかった。そして改造後、今度は様々に手に入れた遺伝子改造の能力でレンジャーに行くことがどうにも本当のレンジャーではない気がして、参加しないでいる。……それが半分、やはり単純にレンジャーのいじめにビビっているのが半分だ。彼自身、そういう弱い考えが心底ダサいとも思っている。

「そうか、オイも行っとらんけ行っとらんから、あんま言わえんわ!」

はっはっはっと笑いながらフォローが上手い。こういう上曹になりたいもんだと彼は思った。

「ばってん、行くっ時に行けよ?チャンスは何度も無かけんな!」

ポンポンと肩を叩かれ、にっと口端を釣り上げながら応援する郷曹長。ほんとにいい小隊陸曹だ。

「了解っす」

何とも言えない顔をする山永。弱い自分が許せないのだろう。ともあれ小銃のガスを少しでも取っておけるよう、銃口を通しに行く彼。

「レンジャーか……」

ぽつりと、その呟きは誰にも聞かれる事無く消えていった。


その夕方。

『おかえりー』

「ただいまー」

いつものルーチンをやりながら、射撃で使ったバックパックをロッカーの前に下ろす。

『レンジャー行かないの?』

ぶっ込んでくるヒマリ。

「……おまえ、勝手に音声拾いよったな!全く……」

PWR通信(Bluetoothの後継通信規格だ)で彼が射場から出たタイミングで音声リンクを取ったのだろう。郷曹長との会話を聞いていたのか。

「……ガラじゃなか。」

『えー、ぴったりだよ』

「……」

もやもやをまた引っ張り出され、沈黙する彼。

「お前と会う前に一度断っとる。その時点で心ん折れとるとさ。」

『まだ行けるじゃん』

レンジャーの年齢制限も調べたのだろう。

「……そうやな」

逃げた過去は変わらない。どうしても踏ん切りがつかない。彼はまた暗い気持ちになった。まるでいつまで逃げてるのとヒマリに咎められているようだ。

『次の春のレンジャーで参加……』

「こん話はしまい。もうしてくるんなしてくれるな。」

『……』

彼の暗い口調を悟ったか、押し黙るヒマリ。

「……ごめん、もう言わない。」

「よか。おいの問題やけん。」

俺が片をつけなければならない。そこまでは口に出さなかったが、彼の沈黙はそういう意味だった。

「しかしよう謝るなオマエ。」

『えらいでしょ』

「そういうとこやぞ!」

少しだけ気を紛らわせた彼だった。

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