第8話「アーカディア祭りが始まった件について」

 朝日が木立村を照らし始める頃、俺はすでに目を覚まし、準備を整えていた。窓から覗く景色は、いつもと違う活気に満ちていた。家々の軒先には翡翠色の飾りが揺れ、通りには色とりどりの旗が立ち並び、風に揺れていた。


《ご主人様、祭りの日ですね》


「ああ」俺は短く答えた。声には緊張が混じっていた。「楽しみたい気持ちはあるが……今日は気を抜けない」


 髪を整え、装備を確認しながら、昨夜の会議を思い返した。銀翼結社の残党、ガリア帝国の不審な動き、そして封印の儀式——すべてが今日、交錯する。


 玄関のノックの音に、俺は緊張から一瞬身構えた。


「兄ちゃん、起きてる?」


 ルークの無邪気な声だった。ほっと息をつき、ドアを開けた。


「おはよう、ルーク」


 少年の顔は興奮で輝いていた。彼は特別に仕立てた祭りの衣装を身につけ、右手には「選定者の印」が微かに光を放っていた。その横では黒猫のバスターが尻尾を高く掲げて立っていた。


「すごいね、村中が変わったみたい!」ルークは目を輝かせて言った。「もうたくさんの人が来てるよ!」


 俺は微笑みながらも、内心では警戒を強めていた。人混みは結社にとっても好都合だ。自分の胸の内をルークに悟られないよう努めながら、「朝食を食べてから出かけよう」と提案した。


 ***


 俺たちが村の中心部に向かうと、その賑わいに驚かされた。村の広場には全国から集まった観光客で溢れかえり、竜をモチーフにした屋台や展示が立ち並んでいた。色鮮やかな旗や装飾が村中を彩り、竜をモチーフにした食べ物や雑貨が並ぶ屋台がずらりと並んでいた。


 リリアの薬草園では特製の「竜の息吹茶」が振る舞われ、長蛇の列ができていた。ガルドの工房では竜の鱗を模した装飾品の展示と鍛冶体験が行われ、村の子供たちが熱心に見入っていた。


「すごい人出だ……」


 俺は物陰から祭りの様子を窺っていた。ルークは傍らで、興奮を抑えきれない様子だった。


「アルト」


 背後から声がした。振り向くと、マックスが立っていた。


「銀翼結社の動きは?」俺は小声で尋ねた。


「まだ目立った動きはないが、村の各所に潜んでいるはずだ」マックスが答える。「衛兵隊は警戒を強めている」


「儀式の準備は?」


「整った。後は夜を待つだけだ」フレイヤが近づきながら答えた。彼女は祭りにふさわしい華やかな衣装を身につけていた。「今のところ、ガイアス王子は私の『接待』で忙しい」


 彼女の口調には少しの皮肉が含まれていた。「王国と帝国の友好関係促進」という名目で、王子を祭りの公式行事に引きずり出しているのだ。


 俺は頷いた。「ありがとう。ルークは?」


「サーラと一緒に遺跡展示コーナーに行かせようと思う」


「よし、俺が見守っておく」


 マックスは敬礼して去り、俺はルークの手を取った。


「さあ、行こう。サーラさんが待ってるぞ」


 ***


 遺跡展示コーナーは、村の広場から少し離れた場所に設けられていた。古代アーカディアの遺物や文献の複製が飾られ、サーラが熱心に解説していた。


「これが『選定者の印』と呼ばれる古代のシンボルです」


 サーラは大きなパネルを指差した。そこには、ルークの右手にあるものとそっくりな印の図が描かれていた。


「僕の手のと同じだ!」ルークは驚いて自分の手を見せた。


 数人の観光客が興味深そうに近づいてきた。俺は即座に警戒態勢に入り、彼らの様子を観察した。しかし、どうやら純粋な観光客のようだった。


「これは珍しい」一人の男性が言った。「古代の選定者の末裔なのかな?」


 サーラはうまく場をかわし、「昔から村に伝わる印です。今夜の儀式再現でも重要な役割を担います」と説明した。


 俺は内心でサーラの機転に感謝しながら、周囲の様子を探った。遠くには、クロノスの姿が見えた。老人は子供たちに囲まれ、竜の伝説を語っていた。


「そうじゃ、かつての竜たちは空を自由に飛び、大地を守護していたのじゃ」


 クロノスの声は朗々として会場に響き、子供たちの目は輝いていた。彼は本物の竜であることを隠しながらも、自分の経験に基づいた生き生きとした物語を紡いでいた。


 俺はクロノスの具合を確かめるため、展示コーナーをサーラに任せ、一瞬だけ老人のもとへ向かった。


「調子はどうだ?」


 クロノスは俺を見ると、微かな笑みを浮かべた。「なんとかじゃ。満月の影響は強いが、昼間は制御できる」


「良かった。夜の儀式まで持つか?」


「心配するな」クロノスは小声で付け加えた。「しかし、『門』の反応が強まっている。何者かが働きかけているのかもしれん」


 この言葉に俺の表情が引き締まった。すぐにルークのもとへと戻り、少年が安全であることを確認した。


 午前中はこうして緊張の中にも平穏に過ぎていった。しかし、俺の心の奥では、これが嵐の前の静けさにすぎないという予感が渦巻いていた。

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