第8話 ノイズの声

「もしスコアが全部ウソだったら、あなたは生きていける?」


相川ユリナのその一言は、静かな空間を一瞬で凍りつかせた。


彼女の声は、穏やかで、澄んでいて、冷たい。


それは自嘲か、それとも警告か。

どちらとも取れる、絶妙なバランスだった。


僕は、答えられなかった。

目の前の彼女のスコアは、政府が掲げる「理想」そのもの。

けれどその完璧な数値の裏に、“もうひとつの数値”が揺れているのを、僕は見ていた。


《エモノード感知値:-3》


本来、人の内面感情を示すこの指標が、マイナス値になることはありえない。

それは、**“感情が凍結されている”**ことを意味する。


「……なんで、そんなことを聞くんだ?」


僕がようやくそう返すと、ユリナは小さく笑った。


「だって、誰も聞いてくれないから。

“本当の私”が何を思ってるかなんて──スコアに表れないんだもの」


その目は笑っていなかった。


「みんな、私を見て褒める。“よくできた子”“完璧な優等生”って。

でも、それって全部……数値の話。私自身じゃない」


ユリナは手帳端末を取り出し、自分のスコア画面を見せる。


「9.87。この数値があれば、何でもできる。

買い物も、病院も、進学も、婚約相手さえ、“自動的に最適化”される。

……でもね」


彼女は画面を閉じた。


「私は、誰にも“選ばせてもらってない”の」


その言葉が、静かに僕の中に沈んだ。


彼女はスコアに守られているようでいて、

そのスコアに“閉じ込められて”いた。


それはまるで、スコアという名の檻だった。


「……もし、本当に全部を捨てられるなら、君はどうしたい?」


思わずそう口に出していた。


ユリナは少し驚いた顔をした。


その瞬間、警告音が鳴った。


【ノード監視AI“ユグドラ”の視線を検知】


【会話内容に脱中央思考の兆候あり】


【警戒レベル:黄】


僕の背中に冷たいものが走る。

この会話が、中央AIに“異常会話”としてマークされ始めた。


ヤバい──

でも、彼女はそれに気づいていない。


「セツナ。もし、私が“この世界から落ちたら”、君は見つけてくれる?」


「……え?」


「怖いの。完璧すぎて、自分の居場所がないこの世界が。

このままスコアが下がったら、私は“誰”になるの?」


その声には、ひび割れた硝子のような脆さがあった。


「──君の信用は、ここには必要ない」


そのとき、不意に聞こえたあのフレーズ。


あの図書館の端末で最初に目にした、救いのような一行。


思わず、僕は手を伸ばしていた。


「……ユリナ、逃げる方法がある」


彼女の目が動いた。


「君にしか見えない“ノード”がある。

そこなら、スコアに関係なく──君は、君でいられる」


言いながら、僕は何を言っているのかも分からなかった。

ただ、今この瞬間、彼女を助けたいと思った。


そのとき、空間が凍った。


ユリナの背後に、白い人影が現れる。


【中央監視ユニット:“ユグドラ副視線体”】


【対象:相川ユリナ、対話相手:疑似スコア個体】


【干渉フェーズへ移行】


「……来た……!」


ノアの声が、バックノード経由で届いた。


「セツナ、まだ接続切らないで! 彼女の“意志”が、ノードを通れば──転送できる!」


「でも、もう──!」


「いいから、つなげ!」


僕はユリナの手を取った。

仮想空間の中の手の感触が、現実よりも確かに感じられた。


「ユリナ……君は、選んでいい」


「……私が、“私”でいる方法、あるの……?」


「ある。信じて、飛べ──!」


空間が弾けた。

視界がノイズに包まれ、音が消える。


その直後──


ユリナの姿が、中央から消えた。


【バックノードへの緊急リンク:成功】


【ID再構成:相川ユリナ(匿名キー発行)】


【接続遮断】


僕は、真っ白なログアウト画面の前で、ひとり呼吸を整えた。


静かだった。

でも、胸の奥が震えていた。


ユリナを“ノードの外”へ連れ出した──それは、僕にとって最初の“救出”だった。

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