033 不死者と売淫の悪鬼の行方は……
「アナ。ところであれはどうする?」
アミールが後ろ手に、アズダールを指さす。
『レ・セフィード・シャブハンガーム(宵闇の白薔薇)』は、あれからずっと成長を続け、砂漠の向こうまで伸びていた。
アズダールは、蔓に体中巻き付かれ、幼児のようにわんわん泣いていた。胸には魔封じの矢が刺さったままだ。
暗黒の神龍もあれでは形無である。
そもそも、生まれて数年の子供なのだから、あの姿も当然と言えば当然だ。
「えっと、ナシール先生は、『宵の月明かりに花開き、朝日に溶けるように消える。『レ・セフィード・シャブハンガーム(宵闇の白薔薇)』が終焉を迎える場所は、肥沃な土地となり水が湧き出す』と言ってらしたわ」
「国主としては、これほどありがたいことはない。それでは燃やすわけにもいかないし、アズダールは朝まであのままだな」
「助けてあげたら?」
「無理だな。私まで飲み込まれてしまう」
アミールはアナを引き寄せ抱き上げる。そのまま、パティオまで降り立った。
パティオではジャムシードが、ミリアをいとし子のように抱いていた。
「良く寝ている。ミリアが戻ってよかったわ」
「苦労した甲斐がある」
ジャムシードが変なにやけ顔をして、焼け爛れたパティオの一角を指さした。
「見ろ。白い炎恐るべしだ。どうも大人しいと思ったら、あのナヴィッドが戦意を喪失している」
草むらに座るナヴィッドは、白い炎に包まれながら、ふにゃけた顔をしニコニコと笑っている。そのずっと先は、大きな蔓薔薇とアズダール。なんともシュールな光景だ。
「アズダールはお仕置きだ。しばらく泣かせておく」
「お兄様まで。ほんとにもう」
アズダールはこれから軍に配属され、ジャムシード鬼軍曹が直々に指導するらしい。それもそれで厳しい修行となるだろう。炎の魔法を持つものは、基本はスプンタ・ナザル教正規軍に配属される。
そういえば、アミールはアーナヒターの従者となった。炎の魔法は授かったのだろうか?
「ねぇ? アミール? ちょっと疑問なんだけど? 貴方って白い炎は使えるの?」
「ん?」
アミールは右手を広げた。アーナヒターとジャムシードはその手を凝視する。
すると、ボウッと白い炎が燃え上がった。
「……使えるみたいだな」
「それ、使い道がないぞ」
アミールとアーナヒターの目が合う。アミールが申し訳なさそうに目を泳がしていた。
「うーん。貴族との謁見の時に使おうかな。『予算をくれ』とか『軍を動かせ』とか言われて困ったときに時間稼ぎになるだろう? 勢いのある者が多いからな」
ジャムシードがちっちっちと指を立てた。
「術が解けた後に、前より元気になるぞ」
「それは、困るなぁ」
「もう! お兄様ったら、意地悪!」
「アミール。ミリアの黒い炎はいいぞ! 攻撃力が半端ない」
アーナヒターはしゅんとした。
確かにアーナヒターには、攻撃して敵を倒すような魔法は全く備わっていない。髪を飾っている瑞羽の弓も、攻撃とは縁遠いものだった。
「私はアーナヒターがいい。アナは私より強い。アズダールを見ればそう思う」
「確かに、あれは恐ろしい」
「二人とも、もう!」
東の空に太陽が昇り、夜の名残の月は朧げに霞んでいった。
『レ・セフィード・シャブハンガーム(宵闇の白薔薇)』に朝日が差す。すると、光が当たった場所から、ほどけるように光の粒となった。それは、雪のように降りそそぐ。
フルーティなミルラ香が、ふわりと漂ってきた。
光の粉が降り積もる大地は、みるみる緑に覆われ、真ん中に清らかな水が涌きだした。
「ねぇ、アミール。あの場所に孤児院を立ててほしいの。貧民街の子供を保護したいわ」
「そうだな。――悪くない」
湧き出す水は朝日を受けてきらきらと光る。この地方の
***
ラシュク・アスパンダーは、砂漠の真ん中で目を覚ました。誰かの膝に頭を預け、額には優しい手が添えられていた。
「睡蓮? 私は長い夢をみていたのだろうか?」
「その名を呼んでいただいたのは、いつぶりでしょうか? 夢と言うのなら非常に長い夢を見てらしたのね」
エメラルドグリーンの瞳を眩しそうに細める。白磁の頬には、涙の跡が淡く滲んでいた。
「金木犀の騎士様。さて、これからどうしましょう? ひと先ず、ザイマル帝国にでも身を隠しますか?」
ジャヒーは闇色のオニキスを結実させた。
ちょうど良いタイミングでキャラバン隊が東から来る。この首領を魅了してラシュクを運んでもらおう。そう考えて誘導しようと、オニキスに向かって魔法を唱える。
ラシュクは慌てて起き上がり、グンデシャープールの学院長がかつて作ったピンを、ジャヒーの服に強引に留めた。
「その魔法は使ってはいけない」
「騎士様?」
「貴女はもっと自分を大切にするべきだ」
ジャヒーはあっけにとられてラシュクを凝視した。
遥か昔、遠い国の清らかな泉で暮らしていた頃、ラシュクは金木犀の騎士と呼ばれ、ジャヒーは泉に咲く睡蓮だった。
彼は優しく、正義感の溢れる青年であったと、ジャヒーは思い出した。
「そうでした。貴方はそういう人でした。理想が高く、誇りに溢れ、そして尻の青い人でした」
「ひどいなぁ」
しかし、ずっと砂漠にしがみついていたら元の
しかし、ラシュクは浄化されてしまった。魔力が残っているのかもわからない。
さて、どうしたものかとジャヒーが考えていると、ラシュクは真剣な顔をしてジャヒーの手を取る。
「今まで申し訳なかった。私はどうかしていた。あの黒狼に勝てなくて、勝ちたくて自分を見失っていた。だって、酷いだろう? 私は頑張っていたのに、女神はいつの間にか黒狼の子供を宿していたんだぞ。それは無いよなぁ。私のプライドはズタズタだ」
「そうでございますね。女神さまも、……少しは従者の事を考えてくださってもよかったのに。でも、恋は盲目といいますでしょう?」
「そうだよな」
ラシュク、改め金木犀の騎士は今までの事を思い出すように遠くを見つめた。そして、全てを吹っ切るように立ち上がる。
「睡蓮。砂漠の影の魔力は凝縮され、私の魔法の力へと変わった。これからは、闇に支配されることは無い。だから、お前一人くらいなら守ることができる。あの泉へ一緒に帰ろう」
「
ラシュクは微笑み、ジャヒーの両手を引いて立ち上がらせる。
そして、頬に口付けをした。
「私はどうやら死ねないらしい。だから、何度でも咲き、私の傍にいてほしい。睡蓮なら故郷の水にさらされていれば、いずれ元にもどるだろう」
ジャヒーは、金木犀の傍らの泉に咲いていた幸せな日々を思い出していた。もともと、青臭いところのある人だった。完璧で美しい人を愛したわけではない。
正義感が空回りする、その欠けた部分こそが愛おしかったのだ。ジャヒーは涙を流す。アーナヒターの浄化は、ジャヒーにも作用していて透明な涙が溢れる。それが、何よりも嬉しかった。
「私が悪かったから、もう泣かないでほしい。睡蓮と過ごしていた日々が一番心安らかだった。気付いてやれずに申し訳なかった」
「騎士様。これはうれし涙です。幸せにしてくださいね」
「必ず。約束する」
黄金色に光る金木犀の騎士は、睡蓮の化身の精霊を抱きしめた。
「返しきれない御恩ができてしまいましたね」
「いつか、彼の国に危機が訪れた時は、必ずお役に立とう」
「ええ」
砂漠の太陽は、生きる者にとって厳しい試練だが、あの国の太陽は、まるで豊穣を約束するかのように光を称えていた。オアシスの国の幸運をそっと二人は祈った。
続く
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