010 ジャムシード・ゴバール




 駐屯地に居るはずの兄のジャムシードが、右手に炎の鎚矛メイスを持ち、左手の上にごうごうと燃える火の玉を浮かべている。ぶつける気満々で、アミールを睨んだ。


「お兄様!」

「これでも婚約者なんだが。まったく。その物騒なものをしまえ」


 アーナヒターの兄であるジャムシードは、若き日のゴバール卿に良く似ていた。アーナヒターは第三夫人の母に似て、銀色の髪をしているが、兄は茶色の髪、青い瞳をしている。

 ジャムシードは、炎の魔法剣士を意味する赤い腰帯に鎚矛メイスを戻してから、地面に膝をつき、臣下の挨拶をした。


王の中の王シャーハーンシャー。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。父の命により辺境より帰還しました。僭越ながら、これより護衛をさせていただきます」


 アミールはお目付け役の到来に、面白くなさそうに腕を組んだ。だが、戦力的には頼りになる男には間違いない。


「先程は皇子と言ってたくせに。相変わらずの堅物だな」

「お褒めにあずかり、どうも」


 アミールはニヤリと悪戯な笑顔を向ける。対するジャムシードも同じような笑みをした。


「堅苦しいのは抜きにしてくれ。軍の見習いの頃のように接してくれ。今の私は吟遊詩人でね。身分が明かされるのは非常にまずい」

「ああ、事情は父から聞いている。国の一大事だ。俺は父より修行を受ける事になっているし、貴族たちにそれほど顔も知れ渡っていない。父が動くわけにはいかないからな」

「助かるよ」

「久しぶりに手合わせしないか? 七勝八引き分け六敗の記録を大きく引き離してやる」

「馬鹿なことを言うな。私が七勝だろう!」

「あの組み分けの模擬戦のことか? あの勝負は無効だと言っただろう! ずるしやがって!」

「いいや! 負けは負けだ」


 二人は笑い合いながら裏庭に向かって歩いて行く。アミールがこの屋敷に来たのは恐らく初めてでは無いのだろう。アーナヒターは知らなかったのだが、皇子時代に我が家に訪問していたようだ。途中でジャムシードがアーナヒターに向かって振り返った。


「アーナヒター。悪いが、裏の武闘所に冷たい飲み物を届けてくれ」

「わかったわ」


 アミールもアーナヒターに振り返る。アーナヒターにいつも向ける顔では無く、少年のような顔をしていた。


「ブラコンじゃないよな。君の兄を倒してしまうからね」

「いいや。妹の手前、将来の弟には負けられない」




 ゴバール家の武道場は、木々に囲まれ、石畳が敷かれていた。そこに、夏の風が吹き抜ける。

 アーナヒターが飲み物を持ち、武道場に来ると練習用の木の剣を持った二人が軽く準備運動をしていた。

 アーナヒターは武闘場の縁に腰を下ろす。

 二人は軽快に談笑していたが、その会話には二人の性格が良く出ていた。アミールもクールな外見に似合わず負けず嫌いだし、ジャムシードのほうは、見た目も中身も負けず嫌いだ。


「手加減してやろうか?」


 ジャムシードがニヤリと挑発すると、アミールは肩をすくめ、剣を軽く回した。強気な瞳が子供のようだ。


「寝言は寝てから言えよ」


 二人は構えを取り、一瞬の間を置いた後、ジャムシードが先に動いた。炎の魔法を纏った剣が鋭く振り抜かれる。アミールはそれを軽々とかわし、風のように間合いを詰める。


 アーナヒターは息を呑んだ。二人の間の空気は、切れ味の鋭いナイフのようで、戦い自体を楽しんでいるようだった。


 ジャムシードが両手で剣を持ち、上から鈍器のように振り下ろす。ジャムシードは鎚矛メイス使いのため、剣技は薙ぎ倒すことを基本としていた。当たれば木の剣でも、かなりの怪我をする。アーナヒターは一瞬身構えて戦況を見守った。怪我をしたらすぐに治療をしなくてはならない。


 アミールは余裕のある笑みを浮かべながら、ジャムシードの剛剣を受け止めると、そのまま力を抜いて受け流し、相手の重心を崩すように剣を弾いた。

 ジャムシードはバランスを崩すが、上手く立て直す。


「相変わらず、なよなよした剣だな」

「力任せに殴るよりましだろ?」


 それからの二人は、じゃれ合うように軽快に剣を交わした。

 アーナヒターは本気の打ち合いに発展するのではないかとハラハラしたが、先程の一撃で何かを見極めたようで、その後はしばらく型通りの打ち合いをしていた。


 アミールは、着やせをするタイプのようで、服の合わせ目から男らしく盛り上がった胸筋が見え隠れする。動くたびに汗がキラキラと飛び散る。


 ジャムシードが不意に一歩踏み込み、腕に炎を纏わせながら横殴りに剣を振るう。アミールはそれを見て、ほんの少しだけ鋭い目をした。


「ほう、少しは本気になったか?」


 アミールは相手の眉間に向かって剣を構える。ジャムシードが守るように額の前に剣を構えた。一瞬、彼は消えたように見えた。それはまさに瞬きの間の出来事で、ジャムシードの背後に回り込み、背中を軽く押す。ジャムシードは小さく舌打ちしたが、すぐに笑って言った。


「くっ、負けた。やるな、王の中の王」

「婚約者にカッコ悪いところを見せるわけにいかないだろう」

「だから、女ったらしって言われるんだ」

「うるさい」


 アーナヒターは思わず見惚れていた。アミールの動きは力強くしなやかで、彼の瞳は太陽の光を反射して金色に輝いている。

 勝負が着いた瞬間の真剣な表情。隙なく、相手を追いつめる剣技。どれを取っても男らしく洗練されている。

 二人は剣を下げ、楽しげに笑った。

 先程と打って変わって子供のような無邪気さだ。


 アーナヒターは胸の奥に、不思議なざわめきを感じながら、二人を見つめ続けた――特に、金色の瞳を持つ男の姿を。


「アナ。鏡の池の露台で待っていてくれ。すぐに行く」




 続く

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