シェブ・ホルシード−夜の太陽−〜顔出しNGの吟遊詩人は『あいのうた』を奏でる〜

麻生燈利@カクコンは応援のみ

第一章 薔薇のモスクの祈りと歌声の復活

001 アーナヒター・ゴバール




(まるで、万華鏡の中にいるみたい)


 光の屈折は虹色の結晶となり、アーナヒターに降り注いでいた。見上げるとドーム型の天井で、銀色と薔薇色の鏡がアラベスク模様になっていた。


 ひんやりとした水の魔法を感じる。


 澄みきった水面みなものような床に足を踏み出すと、波紋が広がり神秘的な水琴の音が微かに響く。

 アーナヒターが中央に進むと、泉の中から白い薔薇が浮かび上がった。


 この『薔薇のモスク』は、ホルシードハーク帝国の初代王に降嫁した女神の霊廟であり、良縁祈願の祈りの場所でもある。


 アーナヒターの父親は、この国唯一の宗教であるスプンタ・ナザル教の上級祭司マギだ。その第三夫人の娘であるアーナヒターは、生まれた時から王宮のハレムに輿入れすることが決まっていた。


 父は現世代の大帝国の王シャーハーンシャーとの婚姻を強く望んでいる。

 そのため、今夜の王との謁見の前に、この霊廟に祈りを捧げるようアーナヒターは言い付けられたのだ。


 女神の導きの純白の薔薇は、目の高さまで上昇してからほどけるように蕾を開かせた。

 ふわり、フルーティーなミルラが香る。


 あまりの美しさに目を奪われていると、流麗なナスタアリーク文字が白薔薇の周りに浮かんだ。

 最初は『アーパ』、次は女神の言霊が円環を成す。


 その神聖さに、アーナヒターは膝を折り祈る。

 水滴で潤う八重咲の白薔薇は、中芯が淡く薄紅色になっていた。

 その中心部に触れてみたい。

 誘惑に逆らえない。

 まるで何かの意志に操られるように、そっと手を伸ばす。


 触れた途端に、アーナヒターは電撃のような衝撃を受け、白い炎が全身を包んだ。

 すると、――忘れていた記憶がよみがえる。


 それは懐かしい調べ。狭い空間。溢れる拍手。真っ白のライトが目の前で瞬く。

 ダメージジーンズと白いTシャツ姿で歌う少女の幻影。

 アーナヒターは、すべてを思い出した。


 このホルシードハーク帝国で過ごしたこれまでの人生の前に、歩んでいた『もう一つの人生』の事を。


 そこは魔法の無い国。彼女は日本と呼ばれる国で、細々と活動するシンガーだった。ヒット曲が無いまま、バイト生活をしていた。歌うことが好きで、それが幸せだった。


(わたしは、何故歌わずにいられたのだろう。もう一度、歌いたい)


 胸の中に忘れていた衝動が蘇る。

 何を言われても気にしなかった。

 歌うことができれば、それで満足だった。

 貧しくても、生きていると感じていた。


 雷に打たれたように震える両手を握りしめ、フラつきながら薔薇のモスクの外に出る。


 夕焼けに照らされ、アーチが連なる回廊は、この世のものとは思えないくらい美しい。風が、甘くて爽やかな香りを運んできた。


 ふと視線を感じ見上げると、漆黒の髪と琥珀色の瞳の美しい男性がいた。

 目が合った瞬間、彼の瞳は揺れ、野生の動物のように鈍く金色に光る。

 その瞳はどこか遠くを見つめていた。そこには無いものを見ている。そんな瞳だった。


「アミール。アミール・ファリド」


 鈴を転がしたような声で名前を呼ばれ、彼はすぐにアーナヒターから視線を逸らす。


 高位貴族と思われる華やかなドレスを着た女性が、彼の元に歩み寄る。年上の美しいひとだった。彼女は親しそうに彼に腕を絡めた。


 アーナヒターは、なぜか彼から視線を外せずにいた。

 彼もまた、一緒にいるひとに悟られないようにアーナヒターを見ている。

 視線が一瞬絡み合う。

 何かを伝えようとしているのだろうか。




「あれはホメイニ家の長女か。男妾の高級奴隷を連れて、なんとふしだらな。戦争で死んだ入り婿は、さぞかし嘆いているだろう」


 背後からの声にぎくりとした。

 振り返ると、そこには父であるゴバール最高祭司が立っている。


「だん……しょう?」

「ああ、ハレムに入り大帝国の王シャーハーンシャーのものになるお前には関係のない男だ。ヤツはバルバット(弦楽器)なんぞ弾きおって、金持ちの女をたぶらかし金銭をゆするダニのような男だ」


 アーナヒターは、尚も忘れられず彼のほうを見た。

 とても洗練されていて奴隷のようには見えない。彼の視線は武人のように力強い。その反面、芸術家のような繊細さも持ち合わせていた。


「あの男は駄目じゃ。百害あって一利なし。ところで、薔薇は見えたのか? 何色だった?」


 アーナヒターは、今一度あの衝撃を思い出した。

 王との謁見で婚姻が決まれば、すぐに輿入れとなる。


 それは、嫌だ。せっかく思い出したのに。自分が何をしたいのかわかったのに。

 結婚なんてしたくはない。


『歌いたい』


 しかし、この世界では家長である父には逆らえないことも知っていた。意図せず、沈んだ声を出していた。


「――白い薔薇でした」


「白! 白薔薇か! でかした。これでハレム入りは間違いない。王の寵愛を受け、王子を生むのだぞ。お前は運がいい。世代交代したばかりの若い王は、子供のころから才色兼備と誉れ高く、美しい顔をしておる。なんと、めでたい」


(幼い頃から神童と名高い美しい王。そうだった。王がわたしを気に入るはずは無い)


 秀でて美しいわけでもない、地味な自分を王が選ぶはずが無い。いずれはどこかに嫁がせられるとしても、この世界の音楽を学ぶ時間がほしい。


「さぁ、向かうぞ」


 アーナヒターは機嫌のよい父親の後を追い、王の謁見へと向かう。


 夏の夕方はまだ暮れきらず、女神の恩恵を受けたオアシスを、さわさわと流れる風の音だけが響いていた。




 続く

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