第44話 鞘の中の死
剛が指定された控室に入ったとき、そこにはすでにその男がいた。
居合の達人——名は望月仁。六十を越えてなお背筋はまっすぐに伸び、無駄な肉の一片もない。灰色の道着に、黒鞘の刀を膝に置いて静かに座していた。
剛が入ってきたことに気づいても、望月は顔を上げなかった。ただ、微動だにせぬ姿勢のまま、風のように“間”を支配していた。
その気配に、剛は一瞬で理解した。
この男は“抜く”のではない。“すでに抜いている”のだ。
居合とは、読んで字の如く、“居合わせた敵”に応じ、即座に斬り伏せる術である。刀を鞘に収めたまま構えず、敵の動きに呼応して初動で勝負を決する。
一瞬。
たった一太刀。
そこには“構え”も“牽制”もない。
あるのは、鞘の中に潜む“死”だけだ。
望月の右手は刀にかかっていない。
だが剛は、その右手のわずかな動きひとつが、この空間の空気をすべて断ち切るのだと直感していた。
そして、奇妙な静けさの中で、望月が口を開いた。
「……斬らぬ者か」
それは問いではなかった。
ただ、呟くような確認。
剛は黙って頷いた。
望月はその返答に、わずかに口元を緩めた。
「ならば、斬ってやろう」
その言葉には威圧も、怒気もなかった。
ただ、事実としての死がそこにあった。
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