第34話 バーサーク 

「…………ふぅ…………ふぅ………………アレ?」


 照明の消えた暗闇の中、白い毛皮の人狼から我武者羅に逃げ続けた。


 しばらく必死に走り続け、俺は既に人狼が追ってきていないことに気づいて足を止めた。それと同時に、一緒に逃げていたはずのエルハもいなくなっていることに気づいた。


「エルハ……?」


 暗闇の中ではぐれてしまったのか。それとも人狼に襲われて………………


 いや、エルハに限ってそんなことはない。あの怪力のエルハなら人狼に追いつかれてもフィジカルで迎撃できるはずだ…………だとしてもやっぱり心配だ。


 引き返してエルハと合流した方がいいかもな。


 俺は地下へ行くのは断念して、警戒を怠らずに来た道を引き返した――






 ――それから1時間近く城の中を巡ったが、エルハには会えなかった。


 走って逃げてきた道を引き返すと、誰とも会うことなく最初に人狼に襲われた場所に戻ってしまった。その後、エルハとはぐれたであろう地点から周辺を見て回っても彼女の姿はどこにもない。


 既に人狼に殺されているのかもしれない。そんな嫌な想像が脳裏をよぎる。


 ――まあ、仮に殺されていたとしてもどうせループするから大丈夫か。


 俺は繰り返される死とループの中で命を軽んじる不謹慎な思想になってしまっていた。いや、俺が不謹慎なのは母親の子宮の中にいた頃からかもしれない。


 そんなくだらないことを一人で考えながら歩いていると、廊下の奥の方に二人の人物の姿が見えた――――レルフェとゲッカだ。


 二人が何をしているのか、俺は廊下の曲がり角のところに隠れて観察することにした。


 何か喋っている声が聞こえるが、距離があって話の内容までは聞き取れない。


 壁際に立つレルフェ。ゲッカが追い詰めるように距離を縮める。


 ――なんだ? 何してるんだ?


 何かが始まる予感がした。


 ゲッカがレルフェの顎に手を添えて、さらにその距離を縮めた。二人は肌を寄せ合う。顔と顔が近づき、互いの唇が重なり合う。


 ――こ、これはッ!?


 閉鎖空間のデスゲームでの禁断の恋、と言ったところだろうか。人狼に襲われる恐怖を二人で共有して過ごしているうちに、吊り橋効果みたいなもので互いに特別な感情を抱いてしまったのだろう。


 俺は二人の間に割って入って雰囲気をぶち壊しにするか、見なかったことにして立ち去るか。難しい二択に迫られた後、不本意ながら後者を選択した――





 ――二人の元を離れて再びエルハを探し始めた。それでもエルハが見つかることはなかった。


 歩き回って、2階の中庭に面した部屋に着いた。離れた位置に二つの寝具が配置されている至って平凡な寝室だ。その部屋の中庭に突出したバルコニーに、エルハではない少女の姿があった。


 リーナだ。


 赤いツインテールの少女がバルコニーの手すりに体を預けて上を見上げている。後ろからだと表情までは見えない。


 俺はバレないように忍び足で慎重に彼女に近づき、真後ろまで接近したところで声を掛けた。


「…………なにしてるんだ?」

「――ヒャアッッッ!!??」


 俺はあえてこの世に未練を残した男性の怨霊のような低い声色で話しかけた。それに反してリーナは飛び跳ねて甲高い悲鳴を上げた。期待通りの反応だ。


「ちょっとなんなの!!?? びっくりするじゃない!!」


 振り返ったリーナが怒気をはらんだ声を荒げた。眉尻をつり上げて俺を睨みつける。


「命を懸けた人狼ゲームの最中だってのにぼーっと気を抜いてるのが悪いんだろ?」

「アンタこそ人を驚かせたりして緊張感が足りないんじゃない!?」


 ヘラヘラと半笑いで揶揄ったらなかなかの正論を頂戴した。俺は気になっていたことを率直に聞いた。


「で、何やってたんだ? 上なんて見上げて」

「上を見上げてすることなんて一つしかないでしょ?」


 リーナはため息交じりに答えるとバルコニーの手すりを2、3度指先で小突いた。隣に来い、ということだろう。


 俺はバルコニーに身を乗り出した。隣にいるリーナと同じように顔を上げた。真上に見えたものは…………


「うわぁ…………綺麗だな…………」


 見上げた先には、満天の星空が広がっていた。城の中庭は屋根のない吹き抜けになっていて、見上げると空を仰げるようになっている。


 深い海原に光る砂粒を撒いたような青みがかった夜空。世界中の海がこんなに綺麗になったら、野蛮な略奪行為を繰り返す海賊たちも武器を捨てて贖罪の旅を始めそうだ。


「……これを見てたのか」


 隣のリーナに問いかけた。


「うん」

「星が好きなのか?」

「逆に、星が好きじゃない人なんているの?」


 リーナは冗談に返すような笑みを浮かべた。


「たしかに。それもそうだな」


 星を見て気分を害する人なんて聞いたこともない。この星空を見たらどんな人の心も浄化されそうだ。


 ――コンコンコン


 背後で扉がノックされる音がした。星空の仰げる部屋への3人目の入室者か?


 リーナと俺は振り返って扉に注目を寄せた。ドアノブが傾き、音もなくゆっくりと扉が開かれた。扉の奥から現れたのは――――


 ――黒い毛並みの人狼


 鋭い牙の隙間から涎が滴り、細い瞳孔が俺たちを睨みつけている。星空の下でもこいつの心は浄化されそうにない。


 エルハがいたら違ったかもしれないが俺がこの黒い獣と戦っても勝てない、ということは先刻の戦闘から自覚している。俺たちには逃げるしか選択肢がないが、唯一の逃げ道である部屋の扉は人狼に立ち塞がれている。


 人狼を前にして目を見開き、恐怖で震えるリーナ。抵抗の余地のない俺とリーナは少しでも人狼と距離をとりたい一心で後ずさった。


「クソ、どうすれば……………………――ッ!」


 臀部にバルコニーの手すりが当たって気付いた。この部屋にあるもう一つの逃げ道に。


 俺はバルコニーから身を乗り出して下を見下ろした。


 ここは2階の部屋。下にはちょうどいい茂みがある。いける…………。


「リーナ! 飛び降りるぞ!!」

「――ッ! えぇッ!?」


 俺は迷わず手すりに足を掛けた。


「ちょ、無理無理無理ムリ!! ここ何階だと思ってんの!?」

「たかが2階だよ。それに下にはクッションになりそうな茂みがある!」

「ッ! でも…………」


 リーナが駄々をこねているうちに人狼は一歩一歩着実に、俺たちににじり寄ってきていた。


「時間がない! はやく!!」

「……………………」


 それでもリーナは覚悟か決まらないようだった。ここで待っていても人狼に殺されるだけなのに。


「………………しょうがない……」


 俺は、苦渋の決断をした。


 リーナの肩と膝に手を掛けて抱え上げた。結構重たい。


「ちょ!? え!? なにすんの!!??」


 俺の突然の行動に驚くリーナ。頬を染めて、俺の腕から降りようと身じろぐ。


「運が良かったら生きてるよ」


 俺はリーナにそう言い残し、全身の力を捻り出してリーナの体をバルコニーの向こう側に放り投げた。


「ふぇ? ――――ッ! キャアアアァァァアアァアァァァ!!!」


 リーナの甲高い悲鳴が響き、下の方へ遠退いていった。


 バルコニーから見下ろすと、茂みの上で仰向けになった放心状態のリーナの姿があった。見た感じ無事そうだ。


 リーナの悲鳴に焚きつけられて猛突進で後ろから迫る人狼。俺も、リーナを踏み潰さないように位置をずらしてバルコニーから飛び降りた。


 体験したこともない速さで落下する。一瞬で地面に到達し、狙い通り茂みの上に落ちた。茂みの細かい枝がクッションになって衝撃を分散してくれたが、太い幹に当たった部分には鈍痛が残った。


「イテテ…………な? 大丈夫だったろ?」

「…………アンタ、運が良かったら生きてるって言ってたけど……」


 隣にいる意識を取り戻したリーナに声を掛けた。リーナは懐疑的な目で俺を見つめる。


 ふと上を見ると、バルコニーから身を乗り出した黒い人狼が俺たちを凝視していた。口元から涎が滴る。人狼はまだ俺たちを諦めていない様子だ。


 人狼は更に身を乗り出した。


「――ッ! 逃げるぞ!!」


 俺は茂みから飛び退き、リーナの腕を引いて走った。初動で軽く躓いたリーナだったが、すぐに立て直して足を速めた。


 人狼は茂みに降り立ち、一寸も怯むことなく俺たちを追いかけ始めた。


 俺たちは中庭から城内に逃げ込み、城の東階段を駆け上がる。3階まで登って、ある一室に飛び込んだ。


 すぐに扉を閉めて周囲を見回す。だが、それより先に逃げられそうな道はない。扉の向こうからは獣の足音が真っ直ぐ向かってくる――――追い詰められた。


「ちょっと! なんでこんな部屋入ったのよッ!?」


 俺を責め立てるリーナ。人狼は俺たちがこの部屋にいることはわかっている。もう逃げられない。


 ――人狼は一日に一人しか殺せないルールがある。つまり俺たちの片方が死ねばもう一人は助かる…………最悪、リーナを盾にして俺は生き残るッ!


 俺はリーナに考えを悟られないように部屋の中央でリーナに背を向け、人狼が来るのを待った。


 人狼の足音が扉の前で止まる。直後、扉の向こうから何かを叩きつけるような耳障りな騒音が響いた。先程ケルドが本棚を倒した時の音に似ている。突然の騒音に思わず体が跳ねた。


 ――それから、音がしてから数秒経つ。扉が開く気配はない。


 ――数十秒経つ。最早人狼の気配すらなくなった。


「…………あれ……」


 おかしい。本来なら既に人狼が扉を突き破ってきているはずなのに。


 異変を感じた俺は外の様子を確かめるべく、ゆっくり扉に近づいてドアノブに手を掛けた。


「――ッ! 開かない……」

「え?」


 この開き戸。出る時は外側に開く扉のはずなのに、力を込めて押しても全く開く気配がない。


 頭に疑問符を浮かべたリーナも扉の前に近づく。


「リーナ、一緒に押してくれ」


 俺はリーナと二人で体重を乗せて全力で扉を押した。それでも開かない。なにか重たいもので塞がれているような…………


 ケルドが本棚を倒したシーンが脳裏に浮かんだ。人狼が家具のような重たい何かを扉の前に倒して俺たちをここに閉じ込めたのかもしれない。


 村人を襲う、ではなく閉じ込める。その理由はわからないが、俺たちがこの部屋から出る手段がなくなったのは明らかだった。


「どうするか…………」


 俺はひとつ呟いてもう一度部屋を見回した。


「あぁ、この部屋」


 この城は3階フロアは左右対称の造りになっている。この部屋は西側にあった何もない無機質な部屋と対称の位置の部屋だ。だが西側の無機質な部屋とは正反対の性質で、この部屋は貴族が住まうような豪奢な装飾が施されている。


 広い部屋の一画を牛耳る幅広のベッド。その上に遠慮なく横たわるリーナ。


「とりあえず、部屋から出られないのならしょうがないわ。あたしはここで仮眠とるから」


 ベッドの上で体を伸ばすリーナ。


「意外と状況の飲み込み早いな。ていうか朝になっても部屋から出られなかったらマズくないか。どーするんだよ?」

「知らないわよ。起きてから考えるわ。それよりアンタは外から扉が開けられないように塞いでおいてよね。あと、寝たい時はこのベッドには絶対入ってこないで。床で寝て。それじゃおやすみ」

「そんな広いベッド独占すんのかよ!」


 リーナは自分の用件だけ一方的に伝えると俺から体を背けて睡眠体制に入った。


 リーナの自分勝手な物言いにため息を吐きつつも、今の俺たちには寝ることしかすることがないのも理解していた。


 俺はリーナに言われたとおりに扉のドアノブの下に椅子を配置し、ドアノブが回らないようにすることで外からの侵入を防ぐ簡易的な施しを完了した。


 それから俺は、硬いカーペットの上に体を横にして、睡魔の誘惑に全身を預けた。

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