第18話 時給0円の幸福
レストランでの業務を始めて何時間経ったのだろうか。窓の外を眺めると太陽はすっかり沈んで辺りは真っ暗になっていた。結構大きい街なのに、外に街灯はほとんどない。さながらゴーストタウンのような静寂と暗闇が広がっていた。
とても客が来そうな雰囲気ではない。もうすぐ閉店時間の10時だ。それは俺たちのこの仕事の終わりの時でもある。俺とエルハは疲労困憊で、時折会話を交えつつ店の外をぼーっと眺めていた。
俺は先程の金髪の客のことが気にかかっていた。結局アイツは元のラーメンの値段の半額しか払わずに帰ってしまった。それが許されてしまった。あいつが駄々をこねて強引に自分の意志を押し通し、俺たちがそれを許容してしまったから。いや、店側の立場として許容せざるを得なかったというのが正しい。
「エルハ……。俺の住んでた世界もそうだったけど……俺は、自分勝手に自分の主張を押し通す横暴なやつが得をするこんな世界はおかしい、と思う……。」
突拍子もなく俺はエルハに心情を吐露してしまった。
「ええ、そうね。……でも……――――」
エルハが何か言いかけたのと同時に入口の自動ドアが開いた。
入店したのは二人の子供を連れた女性だ。おそらく家族だろう。女性はまだ若く、子供は小学校低学年くらいの男の子と女の子だ。男の子の方がわずかに年上に見える。
こんな時間に家族客か……。
「閉店間際にすみません。まだ時間は大丈夫でしょうか?」
淑やかな声色の女性が足早に俺たちのいるカウンターに近づく。俺はカウンターを出て女性に歩み寄った。
「全然大丈夫ですよ。席はテーブルとカウンター、どちらにしますか?」
「――ありがとうございます! じゃあ、テーブル席でお願いします」
俺は女性の要望通り、子供含めて3人座れるテーブル席に案内した。子供たちは、シリコン製の足が伸びるカエルのおもちゃでじゃれ合っている。
俺はメニュー表を差し出した。
「ご注文決まりましたらお呼びください」
「あっ、今注文します…………じゃあ、私はこの和風定食で」
女性はメニュー表を開いて、和風料理メニューのページで指差す。
「はい、和風定食ですね。お子様はいかがなさいますか?」
「えっと……――――ケン、メイ。遊んでないで早く決めなさい」
女性はいまだに戯れている子供たちをたしなめて、二人にメニュー表を見せる。ケンとメイ。そう呼ばれた二人の子供。
「僕、お子様セットがいい!」
男の子が声を上げた。女性はメニュー表をめくってお子様セットのページを開く。
そこには、見開き2ページを埋め尽くすように多種多様なお子様セットが書き連ねられていた。見たところお子様セットAからお子様セットQまで、計17種類のお子様セットがあるらしい。
……お子様セットに力入れすぎだろ
男の子はお子様セットB、女の子はお子様セットKを選んだ。
俺は注文されたメニューをメモ帳に書き留めて厨房に戻った。
厨房でナルミさんたちにメニューを伝える。俺たちはすぐに料理を開始した。
ナルミさんとイヌヌは客がいない間も厨房での雑務をしていたせいでかなり疲労が溜まっているように見えた。ヘトヘトになりながらも料理をする二人。
閉店間際で、おそらくこれが今日最後の料理になるので俺とエルハも調理補助としてできることは手伝った。
そして、今まで静観していただけだった田島さんも料理に参加してくれた。というかほとんど田島さんがメインで調理は進んだ。同時に複数の器具を巧みに操り、今日まで培ってきた経験則から目分量だけで適量の調味料を振り撒いていく田島さん。食材たちが香ばしい匂いと食欲を誘う色合いに移り変わっていく。さすがは店長だ。
俺たちは5人で協力して料理を進めた。そして、一度に三人分の料理を作っていたので少し時間がかかったがなんとか完成した。お子様セット2種と和風定食だ。ホカホカの湯気が立ち込める、最高の出来栄えだ。思わず涎がこぼれそうになる。
俺とエルハで料理を客のところへ運ぶ。
「お待たせしました」
「わあー、おいしそう!」
女の子が幼気な声を上げる。
俺とエルハは三人の前に料理を置いてその場を離れた。カウンター傍まで退いて三人の様子を見守る。
そこには幸せそうに食事をする3人の姿があった。
無事に料理の提供まで終えて、俺は安堵と疲労からのため息をついた。壁掛け時計を見ると時刻は9時45分。もう客が来ることもないだろう。
エルハは3人の様子を神妙な面持ちで見つめている。俺は最後の仕事を終えた余韻に浸って店内をぼんやりと眺めていた。厳密には客が会計を済ませて帰るのを見届けるまでが仕事だが。
ぼーっとしていると三人家族の会話が聞こえてきた。途切れ途切れにしか聞き取れないが、薄らと話の内容を理解できた。帰ってくると約束していた父親が数日前から帰ってきていないらしい。仕事が長引いているのか、はたまた事故にでも遭ったのか、連絡は一切ないようだ。
子供たちは暗い話に、次第に元気を失っていく。せっかく食事をして幸せに包まれていた家族の表情が曇っていく。
5人で気力を振り絞って料理を作り上げた結果があの表情とは、腑に落ちない。どうにかして家族の笑顔を取り戻したい。俺は柄にもなくそんなことを考えてしまった。
残り時間15分程度の勤務時間。最後の任務を果たすべく、俺は厨房に踵を返そうとした――その時、ちょうどナルミさんが厨房から出てきた。手に何かを持って。
「あ、ナルミさん……それは?」
「えっ? このアイスを知らないんですか? アイスと言ったらこれ、アイスを代表するアイス、『ノリノリ君』ですよ。」
「ノリノリ……?」
ナルミさんが持っていたのは水色の小包に入ったアイスバー。それを二つ持っていた。
「なんで『ノリノリ君』なんだ……?」
「食べると気分が高揚してノリノリになるからですよ!」
「え? それなんかやばい薬入ってるんじゃねえか?」
「大丈夫ですよ! 安心してください! 危険なお薬等が入っていないことは国の研究機関が立証済みですから。おいしいから気分が高まるという企業の宣伝文句ですよ!」
「……ほんとに大丈夫かなぁ……」
ノリノリ君を俺に差し出すナルミさん。
「いや、俺は遠慮しときます」
「――イズミさんのじゃないですよ!」
そう言って客席の方に目を向けるナルミさん。
「――ああ! 子供たちに!」
「そうですよ。じゃあ、お願いしますね」
ナルミさんも俺と同じで、あの家族に笑顔で店を出てほしかったらしい。たかがアイスであの家族の根本的な問題を払拭することはできない。それでも、この店にいる間だけでも笑顔でいてほしい。俺たちのエゴでしかないけど。
俺はナルミさんからノリノリ君を受け取って、三人の元へ向かった。
家族が座るテーブル席の前に立つ。
「………………サービスだ、やるよ」
子供に無料サービスの品を渡すときの店員の言葉がうまく出てこなくて、俺は無愛想に呟いてノリノリ君二つを子供たちの手前に置いた。人と関わらない引きこもり生活の弊害がこんなところで顔を出してしまった。
戸惑う反応を見せる子供たち。だが、その表情はすぐに一変した。
「やったぁ! メイ! ノリノリ君だよ!?」
「うん! わたしノリノリ君大好き!――ありがとうお兄ちゃん!」
息を吹き返すように元気を取り戻す子供たち。目を輝かせて包みを開ける。女の子は満面の笑みで俺に感謝の気持ちを伝えた。
「ふふ、ありがとうございます」
お母さんも目を細めてお礼をする。
必要以上に感謝されている感覚が気恥ずかしくなって、俺は軽く会釈をして逃げるようにカウンターの方へ戻った。
「おかえり」
「お疲れ様です!」
カウンターでエルハとナルミさんがニヤニヤと目を細めて俺を待ち構えていた。逃げ帰ってきた俺をからかう目だ。
「なんだよ……気持ち悪い顔しやがって……」
俺は二人から目を逸らすように再び客席に目を移した。アイスバーを無心に頬張る子供たちの姿が視界に入る。今日見てきた客たちの表情の中で一番の笑顔だ。その笑顔を見ただけで今日一日の俺の疲れは浄化されていくような気がした。
ナルミさんが俺の隣に来て微笑む。
「ここで働いてるといろんな人が来店して大変なこともあるけど……やっぱりこれがあるから私はレストランでの仕事を頑張れます!」
子供たちがアイスを食べ終えるとお母さんは再び俺たちにお礼の言葉をかけた。そのままレジで会計を済ませ、3人は手を繋いで店を後にした。帰り際、子供たちが「ありがとー!」と叫びながら手を振ってくる。俺はカウンターから手を振り返して3人を見送った。
時計を見ると、10時ちょうどから3、4分過ぎた頃だった。レストランは閉店時間になり、俺たちの今日の仕事は終わりを迎えた。
俺、イヌヌ、エルハの3人は借りていた白いエプロンとバンダナを返却する。ナルミさんが、今日働いてくれたお礼としてパフェを振る舞ってくれることになった。
俺たち3人は横一列に連なるようにカウンター席に座る。疲労困憊でカウンターに突っ伏すイヌヌ。
「お待たせしました。どうぞ!」
ナルミさんが銀のトレーに乗った三人分のパフェを運んできた。苺と練乳をふんだんに使った、女の子が見たら歓喜の声を上げそうな苺パフェだ。
イヌヌはそれを見るや否や飛び起きた。
「わあーッ! おいしそう!」
歓喜の声を上げるイヌヌ。エルハもわずかに口角を上げている。
俺たちの前にパフェを並べるナルミさん。
「このパフェには急速に疲労を消し去って体を癒す効果があるんですよ」
「いただきまーす!!」
ナルミさんの話も聞き流してスプーンを手に持つイヌヌ。瞳を輝かせてパフェを食べ始めた。エルハもそれに続く。
「んー! おいしー! 心に染み渡るー!」
イヌヌが声を上げる。さっきの子供たちよりも弾けた無邪気な笑顔で。
「じゃあ、俺も。いただきまーす」
俺は銀のスプーンを手に取り、苺と生クリームを掬い上げた。それを口の中に運ぶ。
口の中に広がったのはクリームの甘味と苺の溶けるような柔らかい感触と――――
――ガリッ!
口内で響く異音と違和感。
「いてッ!」
俺は咄嗟に口の中の異物をスプーンに吐き出した。スプーンの上に現れたのは、
「と……トロフィー?」
そこには、ミニチュアサイズの、オレンジに輝くダイヤモンドトロフィーがあった。
「イズミさん! 約束通り、仕事を達成した報酬としてダイヤモンドトロフィーを差し上げます!」
「――ッ! 普通に渡してくれよ! なんでパフェの中に仕込んでんだよ!」
ニコッと屈託のない笑みを浮かべるナルミさん。今日一日ナルミさんにはいろいろ助けられたし、その笑顔に免じて許してやろう。俺は、スプーンの上でオレンジの液体になったダイヤモンドトロフィーを一口で飲み干した。
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