第3話 自然は寛大

 さすがにまだ死にたくはないので水と食料を探しに行くことに。石ころ3つからステンレス製の水筒を作るという化学法則を逸脱したクラフトをし、近くに生えていた雑草から植物の繊維を編み込んだサバイバル感満載のショルダーバッグをクラフトする。


 まずは水を確保しよう。綺麗な水の流れる川、あるいは池を目指して深い密林の中へ歩を進める。焚火がある拠点に帰れなくなることがないように、目印として斧で木に切り込みを刻みながら探索する。


 しばらく進むと小川にたどり着く。――――水がピンク色の。


 俺とイヌヌは小川の目の前で立ち止まり、流れるピンクを見下ろす。


「これ、絶対飲んじゃダメなやつだろ」

「うん、さすがにこれは飲まない方がいいね」

「ああ、そうだな。俺はやめとくよ。


 子豚の頭をわしづかみにする。


 こいつに毒見させよう。そのまま子豚をピンクの中に叩きつける。


「――ぶがっ!?」


 間抜けなむせび声を発し、短い手足を懸命に動かしてもがく子豚。ゴボゴボと水中で何か訴えている。


「さっき火をつけられたお返しだよ。苦しめ…………ッ!!」


 突然、水中で何かが破裂するような籠った爆発音とともに、目の前で巨大な水柱が上がる。子豚を掴んでいた俺の腕が、下から湧き立った水柱に弾かれた。


「――――なっ、なにが起きた!!??」


 天まで届くような勢いの水しぶきが収まる。俺がつかんでいたはずの子豚の姿がなくなっていた。その代わりに目の前にいたのは……。


「誰、だ……?」


 そこにいたのは、ピンク色のボブカットの髪の少女。濁りのない真っ直ぐな目でこちらを見つめている。


 茶色い瞳。首まで覆う赤いセーターと黒いデニムのショートパンツ。赤い鼻先、頭には特徴的な犬耳が。


 犬耳……まさかこいつ。


「……イヌヌか?」

「そーだよ?」


 なぜそんな当たり前のことを聞くのか、とでも言いたげに小首を傾げるイヌヌ。


「なんで急に人型に…………ッ! まさかこのピンクの水のせいか!?」

「え?…………あ、言ってなかったっけ? 僕は人の姿にもなれるんだよ。むしろ人型が本来の僕の姿だよ。さっきは溺れそうになったからとっさに人型に変化しちゃったんだ」

「なら最初から人型になってろよ……ていうかお前女だったんだ」


 一人称が僕だったからオス豚だと思い込んでいた。正体はメス豚だったか。


 イヌヌのことには驚いたが、それよりまだ気になることが残っている。このピンクの水のことだ。少しでもこの水を飲んだであろうイヌヌに尋ねてみる。


「イヌヌ、この水、飲んだだろ? どうだった?」

「甘かったよー」


 天真爛漫に答えるイヌヌ。本人は何も気に病むことはないようだ。俺はそうはいかない。自然界に流れるピンク色の甘い水。そんな怪しい液体が人体に無害であるはずがない。最悪の場合は、死だ。俺は様子見させてもらう。しばらくイヌヌの経過を観察させてもらおう。不慮の事故でおぞましい液体を飲んでしまった哀れな少女、その尊い犠牲を無駄にしないた――――


「イズミも飲んでみよう!」

「え?」


 後頭部を掴まれる。頭を前に突き出され、眼前にピンクが迫る。前に倒れる体を抑えようとしたが、すでに遅すぎた。


 顔面に冷たい感触が染みる。口内に容赦なく甘い水が流れ込んでくる。それを拒むことはできない。息もできない。呼吸できない苦しみの末、自分の意思に反して体が液体をせき止めていた門を開く。喉の奥まで冷たい甘味が流れ込む。


――まだ死にたくないっ!


 気が付けば俺は小川の岸に倒れていた。


「おいしかった!?」


 イヌヌが屈託のない笑みを浮かべる。あの水を大量に飲んでしまった俺はすべてを諦め、口周りに残った液体を舐めて今一度味わう。


 甘い。それはどこかで味わったことのあるものだった。舌の上で甘い果汁が躍る。これは、俺が子供のころに好きでよく飲んでた…………


「桃ジュースだ」

「そうだね!」


 密林の中にある桃ジュースが流れる川。自然界でのサバイバルの雰囲気ぶち壊しだ。まあこの際、楽にサバイバルできれば雰囲気なんてどうでもいいけど。


 俺とイヌヌは桃ジュースをステンレスの水筒に汲んで、焚火のある拠点に踵を返した。木に刻んだ印を辿って密林を進む。来た時よりも周囲が暗くなっていて印を見つけづらい。見上げると生い茂る木々の葉の隙間から真っ赤に染まった夕暮れ空が見える。


「もう夕方か。森も暗くなってきたな」


 日暮れまでには帰りたい。夜の密林にどんな危険が潜んでいるかわからないからだ。


 もう夜か。そういえば砂浜で目を覚ました時から何も食べていないな。エネルギー不足のせいか、体がふらふらする。


「腹減ったな……」

「ふぇ? ほぉお?」


 俺の前を歩く人型状態のイヌヌが言葉になっていない声を出す。何か頬張っているのか?


「おい、なんか食ってんのか?」


 イヌヌが振り返る。リスのように頬を張り、手には――――食べかけのハンバーガーを持っていた。


「ハンバーガー!? なんでそんなもん持ってるんだ! 俺にもくれ!」

「ふぉ?」


――ゴクンッ


 口の中のものを一飲みにするイヌヌ。


「これでさいごー!」


 手に持っていたハンバーガーを自身の口に放り投げてそのまま一噛みもせずに飲み込んでしまう。ご満悦な表情を浮かべるイヌヌ。


「ふぅ、お腹いっぱい!」

「おいふざけんな!! 限りある食糧大事にしろよ!! 俺飢え死にしちまうよ!! 俺が死にそうになったらお前を食っちまうぞ豚肉が!!」

「まあ落ち着きなよ。まだ慌てる時間じゃない。クールダウンクールダウン」

「ころすぞ」


 イヌヌはキョロキョロと辺りを見渡す。そして何か見つけたのか、おもむろに近くにあった白い倒木に近づく。


「食料ならこの中にあるから」


 イヌヌは貝殻の斧で倒木の表皮を削ぎ始める。


 倒木の中の食料。脳裏に嫌な記憶がよぎる。それは昔、ネット動画で見た映像。ジャングルに住まう極めて原始的な民族に迫るドキュメンタリー。その民族の食事風景。朽ちた低木を斧で勝ち割って、中に潜んでいた肥え太った巨大な幼虫を素手で掴み、生きたまま口に押し込む。まさかイヌヌ。俺にそれをさせる気か?


 表皮を削ぐイヌヌの手は止まらない。


「あー、やっぱりそんな腹減ってないわ。なんか、あれだ。貧しい国の子供たちのことを考えたら悲しくて空腹も吹き飛ん――」


 ぎゅるるるるううぅぅぅ!!


 空気の読めない胃袋が俺の話を遮る。


「やっぱお腹すいてるんじゃん。ほら、出てきたよ」


 出てきてしまった。出てきたそれは光を反射する艶やかな表面、脂の乗った太々としたボディ。赤いドロドロした液体が中からあふれている…………ホットドッグだ。


「なんで木からジャンクフードが出てくんだよ! 幼虫じゃねえのかよ!」

「あれ、いらないの?」

「いただきます」


 俺は自然の恵み、ホットドッグを無心に貪る。肉汁の詰まったソーセージとふかふかのパン、そこにケチャップが混ざって舌の上で躍る。カロリーが体に満ち渡っていく。


「ここまでくるともうサバイバルでもなんでもねえな…………」


 ホットドッグを心行くまで食べた後、残った分は雑草から作ったショルダーバッグに詰められるだけ詰めて帰路についた。


 ひたすら印を辿って焚火の場所へ戻る。途中、生い茂る草木や泥に足を取られながらもなんとか拠点に帰ることができた。帰ってきたころには辺りは真っ暗になっていた。印を探すのに手こずって遅くなってしまった。散りばめられた白い宝石のような満天の星の下、焚火の炎が穏やかに周囲を照らして、探索から帰還した俺たちを出迎えてくれた。


 俺は水筒とバッグを地面に置いてその場に座り込む。今まで見たこともない絶景の夜空を見上げた。


 忙しい一日を終え、ゆっくりとこの世界のことを考える。まだこの世界のことは何も知らない。果てしなく広がる世界には自由を感じる。きっと、これから33のゲームをクリアするためにこの世界を旅することになるだろう。


 普通の人ならここでワクワクするのかもしれない。でも、俺の中では沸き立つ高揚感を塗り潰すように倦怠感が蔓延はびこっている。前に進もうという俺の意欲を、俺の中の怠惰がすべて食い潰してしまう。そのせいでいつも体は重い。時が流れ、大人になっていくにつれて新鮮な感動に活力を湧き立たせるための細胞は瘦せ衰えてしまった。どうしようもないな。


 考えていても仕方がない。一日中歩き回って疲労の溜まった体を休めるために寝具を探す。


 目に留まった木製の寝具を豚状態のイヌヌが占領していた。体を丸めて熟睡している。


「おい、どけよ! 俺が作った寝床だぞ!」


 叫んでみても揺すってみても全く起きる気配はない。


 自分が作った寝具を独占される怒り。俺はイヌヌめがけて片足を振りかぶる。


「くらえ」


 イヌヌへ一閃の蹴りを放つ。が、俺の非力な脚は片脚だけで自重を支えるには力及ばずだった。バランスを崩して俺の蹴りは木製の寝具の足に衝突。


――グギッ


 足首が絶対に曲がってはいけない方に曲がる。直後、足から膝へ進み全身を貫くような痛みに襲われる。


「ガアアアアァァァァ!!!!」


 転んで地べたでもがき苦しむ。


「なんで……こんなことに…………」


 地をのたうち回っているうちに次第に痛みが引いていくと共に目蓋が重たくなってくる。体力のない俺は、もう活動限界だ。目蓋が視界を塞いでいき、そのまま睡魔に飲み込まれた。

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