第24話 今度は俺の番だ

 奇しくも鏡写しのような二人の武芸者が激突した。


 聖剣〝美と適合〟を立て、八相に似た構えで趨るキジャク。精妙な操作を行うために柔く持つべき柄を潰す勢いで握っている。一方、立てた六弦棹琴を身体で隠したようなファルメントは、待ちの構え。


 ――また、か。


 御前試合でも、その後でも披露した構えと技。反撃を全く警戒していない攻撃一辺倒の構えと覚悟。あまりにも趨りに躊躇がなく、あまりに固く握りしめている。躱されただけで致命的な隙を晒す、致命的な欠陥を孕んだ剣術。


 だが。


 ――強い。


 流麗の吟ファルメントはそう結論付けた。この間、秒にも満たぬ。

 小細工を弄する性質の男ではない。奇を衒っているわけでもない。己の最大最高最強の一手のみを鍛え磨き上げた剣。


 かかる心理的圧力は御前試合をして、城壁のそれ。今や、聖剣の加護を得た兇剣士ベルセルクのそれは、大陸――否、小惑星の墜落にも似た。圧倒的、ただひたすらに圧倒的なるモノへの畏怖が足を引く。


 しかし、仮に城壁が迫ろうとも、大陸が押し寄せようとも、小惑星が墜ちてこようとも、ホモスひとりには過剰な質量、過剰な威力だ。つまるところ、どの結果でも畢竟するところは同じく死である。


 巨いなるモノへの根源的畏怖、己の消失の予感という生理的恐怖が足を絡め取ろうとするも、結果は同じならば対策も心持ちも一切変わらぬ。


 あとは完全に拭い去れぬ怖気を意識して、そうと弁えて行動する。


 元々が、自身を剣として見立てたが故の、死中に活を拾う術理を持っている。更に、全てを失った兇剣士は、故に自身の消失にも頓着しない。だからこそ、手強い。


 一方、ファルメントは異なる。

 男としての矜持でキジャクとの決闘を望むも、心持ちは正反対と言っていい。彼には未来がある。彼には夢がある。彼には伴侶かのじょがいる。


 全てを捨てて手に入れたアズナを手放さず、そしてその上で全てを手にするつもりか。麒麟児の瞳は未来さきを見据えている。彼の野望は終わってはいない。


 その重みがある。何もかも抜け落ちたが持つ強さがある。何もかも抱えたが持つ強さがある。


 全てを敵に回した兇剣士、未来を夢見る楽士。

 遂に両者が接触する。


 ――だろうな。


 やはり、キジャクはそのまま何の造作もなく、聖剣を押し付けてきた。渾身の膂力を籠め、地殻へと貫くが如き豪剣。刀身が折れるのではないかという、真正面からの打ち下ろしは触れずとも肉体をひしゃげさせると思わせる。


 数日程度で肉体的に大きく変化があるとは思えぬ。精神の在り方が現象を引き起こす光霊術シェキナーならばいざ知らず、肉体には限界がある。物理には限界が存在し、精神は深淵無辺だ。


 だがしかし。

 キジャクの剣技は、御前試合のそれよりも疾く力強かった。


 聖剣に由来するものではない。いくら強化されているとはいえ、それはファルメント自身も同じだ。現在の彼は負けられぬ戦で、過去に類を見ない高純度で光霊術が発揮されている。

 いくら聖剣が相手とはいえ、加護の通りにくい無霊力者アクタ・アルケライが術者であるならば、遅れを取ることはない。

 もはや、本人が聖剣の領域、ファルメントは入神の域にある。

 その彼をして、キジャクの剣が数日で成長している事実を認めるしかなかった。


 剣の上達はヒトを斬ることだという。度重なる追手を振り練磨された剣は、数日で兇剣士をあり得ざる領域へと押し上げたのか。


 余裕を持って回避するつもりだった楽士だが、予測の遥か上をゆく速度と圧力に体捌きが間に合わなかった。


 瞬時の判断で、ファルメントは強化した六弦棹琴で剣を受ける。当然、静水のホルダードの翼盾で受け禦する技術も盛り込んだ上で、だ。しかし、剣士の太刀筋は小賢しいと言わんばかりに、ファルメントの身体を


 まさかの御前試合の再演。


 流麗の吟ファルメントにとっては屈辱的であるが、それほどまでに忌剣は凄まじかった。これが、ヒトであることを捨てたモノが持つ境地なのかもしれない。


 六弦棹琴を相当に強化していたことが功を奏したが、ほんの僅かでもゆるく強化していたならば、そのまま押し込まれていた。静水の術技を見取って、衝撃を流す心得を会得していなければ、そのまま両断されていた。


 あまりに単純。あまりに直情的。あまりに暴力的。


 受け流したはずが、体勢を崩されたファルメント。防御ごと押し斬るつもりが、姿勢が前のめりとなったキジャク。


 次は――次はどう来る?


 幾多もの選択肢。キジャクが取れる行動を想像し、先んじてそれを潰そうと試みるが……。


「くっ!」


 剣士の肩口を脚で圧した楽士は、ひとまず間合いを外すことに成功した。


 先ほどまでの距離を維持していては却って危険と悟った本能からの、脊髄反射的な行動だった。

 同時に、棹琴を爪弾き、大気に干渉。空気の槌で引き離しにかかる。流石の兇剣士も、肉体を後退させる勢いの風圧を受けては、次なる手を封殺される。


 迎撃を得手とするファルメントならば、本来二度目の対戦で遅れを取るなど考えられぬ。ましてや、相手の手口は看破している。というのに、それを意に介さない忌剣は道理を断ち切り、麒麟児の予想を裏切る。


 ――まさか〝王座ベーマ〟か?


 ファルメントに湧いた一つの考え。だが、その〝王座〟にしても、光霊術の原理と同じ――つまり霊素エーテルに干渉して不可思議な現象を引き起こしているといわれている。無霊力者には到れぬ境地のはず。


 あり得ぬと考えを振り払うことはできぬ。


 たとえば、ただ一つの術理のみを極め、他の術理を捨て去るとする。〝印璽〟と呼ばれる、制約とそれに応じた福音を得る〝王座〟だ。


 もし、仮にだが、忌剣のキジャクがこの〝印璽〟を獲得していたとするならば、おそらく転輪羅針世界アールダハングに存在する万象に宿る霊素の、その空隙を突き、必中の咒いを得られるかもしれない。


 この予想が正しければ、もしくは類するならば、ここからの戦いは未踏の領域。行くか退くかので鬩ぎ合い、あるかなしかの前兆や脈動を探り、不可視の鍔迫り合いが破綻している。お互いの一手が読めぬ以上、盤上での攻防が成立しないとなると、もはや達人同士の立ち合いはかなわぬ。


 つまり、一個のヒトとしてのぶつかり合いであり、熱量と質量と気概がどちらが上回っているかの単純な方程式の解答こそが勝敗を分ける。


 キジャクの瞳が虚無に燃えている。あまりに深く重い、地獄的な溶岩の熱が凍りつく瞳に閉じ込められているのだ。無表情に近い相貌だが、瞳の奥は読み解けない炎が渦巻いている。


 故に、読めない。


 相手の瞳を視て、意図するところを読み解く術が失われた今、ファルメントはその場の判断で戦いを組み立てていく他ない。


 再び、キジャクが構える。先ほどと同じ構え。またしても、単純明快な豪剣で両断を狙う。


「〝印璽〟を得たか? この短期間で異常に力が増している。あり得ぬことだが、そうならばお前の剣技にも説明がつく」


 ファルメントの声に、忌剣は応じぬ。ゆらりと聖剣が天を突く。


 先ほどで剣士の有り余る膂力の程は思い知った。つまり、相手の膂力の上方修正と、それに伴う捌き方の予行演習は脳内で済ませている。次に同じ手は喰わない。


 ――先ほどの一手、視せたのは失敗だったな。


 ファルメント程の鬼才を前にして同じ技が二度通用すると考えるなら、浅はかの一言に尽きる。仮に、一芸のみに限定する〝印璽〟を獲得しているのならば、なおさら。しかも、お互いを知った仲だ。有効打とはいえ、一手を視せた段階で即対応しきる。ファルメントが麒麟児たる所以の一つは、その対応力にある。


 だからこそ、力任せの一手よりも、変幻自在の手数に対応すべく備える。これこそが流麗の吟ファルメントの理。


 しかし、今の忌剣のキジャクの理は――麒麟児の理の埒外に存在していた。


 即ち、一手。あえて絞り込んだ必殺の一刀。全く同じ一手の選択。


 振りかぶり、地の底へどころか星を貫通するまで叩きつけよと渾身の力で振り下ろす。先ほどの駆け斬りの勢いを腰を落とし自重で代用した一手は、楽士には予想外に過ぎた。対応が遅れ……しかし、際で間に合った。


 六弦棹琴を翼盾に――。だが、強化に強化を重ねたファルメントをして、剣士の剣は規格外だった。強烈な圧力はには重すぎ、六弦棹琴が危険な軋み声を上げる。全身の撥条を総動員し、なんとか衝撃を逸したものの、即座に反撃に移れる体勢にない。


 結果、同時に立ち直る。間合いは……剣のそれ。


 ――振りかぶると同時に、仕留める。


 兇剣士の術理はつまるところ、振りかぶって振り下ろす――これだけだ。技の終わり際から再度の技に移行するまでに、振りかぶるという僅かな時間差が生じる。持ち得る最速の詩曲で、その腕を切り裂けば剣士は止まる。


 だが、それは兇剣士も弁えていた。

 いくら、一つの理しか持たぬとはいえ、己の剣の致命的な弱点は把握していて然るべきである。超近接距離での構えに移るまでの間。


 手首の返しで柄尻がファルメントを襲う。楽士の視点からは急に柄が躍り出たように視えただろう。


 しかし、そこは才覚溢れる楽士。不穏な気配を察し、身体を躱す。詩曲が根弦に触れることなく消え去るも、柄の打撃を食らったならば、続く一太刀で確実に屠られていた。


 ――ツィ、なかなかに小細工をする。


 瞬間、刃が踊る。今度は舞い散る華を切る勢いでの切り返し。連続で翻る刀身は先ほどまでの豪剣を思わせず。おそらく童子が剣術の真似事をしたらこんな具合だという稚拙な剣であるが、無呼吸で連ね重ね微塵に斬り突き薙ぎ払う。呼吸を止めての連撃は絶え間がなく、しかも的確に反撃の手を潰す。


「があああ!」


 流石に一手で生命を奪える深さはないものの、閃光の鋭さがあった。このままでは剣士の息が続く限り、百舌鳥の早贄よろしくなます斬りにされる。


 幸いだったのは、先ほどまでの剣技と異なり、聖剣の加護がうまく働いていない点だ。剣技とは言えぬ稚拙さがそうさせているのだろう。仮に兇剣士が〝印璽〟を獲得していたとして、ファルメントの想像通りだったとしたら、聖剣の加護を得られるのはしかない。


 しかし、単純に剣の切れ味で切り刻まれる現状は変わらない。


 六弦棹琴を防禦に回そうとしても、取り回しの点で一歩遅れる。純粋な体捌きだけで楽士は致命を避け続ける。


 そう、ローブが麒麟児の血に染まっていくも、ここで終わるファルメントではない。剣に絡む血しぶきの量が減っている。この窮地で途方もない才能が体捌きの要訣を掴んだのだ。


 所詮、相手は稚拙な剣。反撃と防禦が封じられた状態ではあったが、連撃も〝玉座ベーマ〟などのがなければ所詮一振りの剣に過ぎない。


 あとは、斬線の辿る軌道を対手の体勢や、剣の座標や角度を参考にして予測し、躱すだけ。そして、身体を自身の具体的なイメージ通り精密に動かすだけ。言葉では簡単だが、これを斬られながらも会得したのは、やはり天才というほかない。


 そして、もはや身体操作のみで回避かなうのならば、六弦棹琴が


 空破刃エアカッター。単純故に早撃ちに優れた光霊術を剣士は左肩に喰らった。血が飛沫しぶく。同時に、冴えが仄かに鈍った剣を弾く。


 六弦棹琴だけではかなわぬ、一手の内に差し込まれた二手。既に道筋は視ていたのだ。とうに到達点は視ていたのだ。結果が視えていれば、後はそこに辿り着くまで。


「…………ッ」


 忌剣のキジャクの睨めつける視線に熱が入る。憤懣やるかたない憤怒が熱量となって、ファルメントを射抜く。


「当然だろう? 俺にできないと考える方がおかしい。それとも……なにか。俺が奴と同じ技を使うのが許せないとでも?」


 嘲弄の声は剣士の怒りを更に煽る目的あってのものだ。怒気は、身体の制限リミッターを外す作用があるも、行動を単純化させる副作用もある。だが楽士の声よりも、何よりも剣士は尊敬すべき先達の術技をヒト属を裏切った者が扱う事実をこそ怒りを憶えているとみえた。


「形見分けに頂戴したのさ。ここまでさせるとは、流石はキジャクだな」


 額から一筋血を流しながらも、爽やかな笑みを浮かべるファルメント。その手には六弦棹琴と――霊聲のシャフレヴェルの五弦棹琴があった。


「…………」

「なんとか言えよ。まあ、いいか」


 楽聖マスターミンストレルの絶技、二琴流。棹部を柄の如くにし、胴は逆さに。キジャクからは、まるで棹琴を鈍器にでも見立てたように視えただろう。だが、楽聖の猿真似が本質ではない。構え自体は静水のホルダードのそれ。楽聖の変幻自在な手数と盾護士シールダーの城塞の如き鉄壁。


 五英傑アマーフラスバンドの内二名の絶技。模倣しきれば選良者アルダワーンの頂点となれるであろう。当然、一朝一夕で身につけられる容易い芸当ではない。芸当ではないというのに――


 模倣に視えぬ。そのもの。


「驚かされたが、今度は俺の番だ。来な……?」




 血に塗れ、もはや勇者ブレイブフェンサーですらなくなった兇剣士がいる。黒瞳には尽きぬ絶望を薪にして憤怒の溶岩がふつふつと熱せられている。


 赤熱化しない黒い溶岩に突き動かされた勇者の残骸。使命ではない、誉れでもない。ただ、報復と世界を否む熱量が、彼の原動力。


 鉄面皮の奥では人格さえも滅却されているのだろうか。


 彼の名は――忌剣のキジャク。折れて錆びた剣。




 総てを愛に捧げて燃やし尽くした楽士がいる。初めて欲したものを本当の意味で手に入れようと、欲動の高揚感に煽られている。


 ただ一人を追い求め、総てを捨てて手を伸ばした麒麟児の飛翔。祝福などいらない、名誉さえも要しない。ただ、谿壑の愛と世界を否む熱量が、彼の原動力。


 美貌は今、世界を壊す愛によって妖しい輝きを放ち始めた。


 彼の名は――流麗の吟ファルメント。羽撃き謡う鳥。

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