第15話 歴史は繰り返す
聖剣が咆える。聖剣が猛る。聖剣が燃える。
柄を勇者の手に掴まれた瞬間、聖剣〝美と適合〟は兇悪なまでの聖威を波濤の如くに溢れさせた。積もった雪が払い除けられ、黒々しい土が露わとなる。剥き出しとなった土の臭いが強烈に放たれるも、それよりも更に鮮烈な聖剣の波動により意識を塗りつぶされる。
鸚緑に染まった光が波紋じみた光を放ち、刀身に到っては黄金の光が視界を覆う。その中で、しかと俺は感じた。孤剣のキジャクの手の中の聖剣のカタチが組み変わっていく事実を。
その聖剣は担い手によって姿を変えるらしい。ならば、聖剣は今代の
光が収束し、そして絡みついた残滓を払うように、キジャクは剣を振るった。火の粉か蝶の鱗粉を思わせる燐光が大気を泳ぎ、そして聖剣が再び姿を見せた。
聖剣は直線的かつ複雑な意匠で、まるで
「あれは……! 聖剣はキジャクを認めたのか!」
その
キジャクの瞳孔が鸚緑に輝いている。限られた聖魔剣は手にした時、担い手の瞳孔に証が顕れるという。聖剣が放つ色味と同じ色に輝く
「…………」
幅広の聖剣を構える勇者。
光のない瞳では認めることはできなかっただろうが、男は聖剣の波動を常人よりも遥かに詳らかに感じれたとみえる。身体を肌を叩きつける雄弁な圧力のほどを、存分に感じ取れたらしい。
キジャクが聖剣を手に取ったことを理解し、男はため息交じりに首の後を掻く。
「はぁ……。面倒な。しょうがねえ、来な」
男の手招きに応じるかのように、キジャクは趨った。聖剣はキジャクの膂力を飛躍的に底上げしているとみえ、先の一手よりも捷い。地面が爆裂する勢いでの突進は、小細工も衒いも一切ないぶっきらぼうそのもの。だからこそ
しかし、そこは聖剣。たとえ天の雲を喰い破り、地の底まで割断する威力を誇ろうとも、効果範囲を限定させる。これは威力の減衰でない。余波を最低限にして、威力が収束しているのだ。
音速を突破した音の壁の破裂も、叩きつけられた大気が鎚となる爆裂の勢いも、全てが収束している。大陸規模の一撃がヒト属の域にまで集中しているのだ。おそらく尋常な威力という点では、衝撃波だけで聖峰メルが蒸発し、地の核にまで届いていただろう。
だが、男は瞬の間に巻き起こる一刀両断の技を、先程と同じく躱してのけた。あの圧力だけで総毛立つ一撃を躱せるだけで、どれだけの胆力を要するのか。鉄の城壁が如く、とシメオン王国で例えられるが、この場合は大陸が墜ちてくるようなものだ。致命的な速度で自身に墜落してくる地平を、そうと認めながら避ける。しかも、キジャクが止められず、方向づけも間に合わぬ時機を見計らって、だ。
「にわか仕込みの剣で
年長者が子弟に悟らせるが如き言説が、両者の未だ埋まらぬ歴然たる実力差を語っていた。
躱し、いなし、避け、抑えて、弾く。光刃で伸びた刃渡りに惑わされずに、刃線をくぐり抜け、大気が灼き裂かれる。うまく光刃ではなく、実体の刀身に合わせて、硬質化した五弦棹琴が剣を逸らす。
「チッ! キジャク、避けろ!」
キジャクの斬撃の間断を縫って押し寄せる、音の刃。連ね重ねた速弾きは、もはや一つの音。滝の音色に等しい。弦の絶叫が兇悪な鎌鼬と化して、男を軀に変えてなお切り刻まんと高く鳴く。
怪鳥の跳躍で男は宙空へと舞い上がり、五弦棹琴をかき鳴らした。
男の左手が残像を描いて弦を爪弾く。棹の下を潜らせて弦を抑える通常のそれだけに留まらず、手を返して上からも抑えにかかる。結果、棹を目にも留まらぬ速度で叩いているように見えるが、その旋律の確かさが男の芸技が伊達や酔狂や外連ではないと語りかけてくる。
あえて音階を変えながら放たれた数々の刃は、しかし男の速弾きによって術が解体された。先程と同じ無効化。逆位相の音圧をぶつけて打ち消したのだ。後出しで間に合わせた絶技が、男にとっては歩行と同程度の行為であるというのか。
「速弾きは大したもんだ。だがな。音があからさますぎる。手癖も否定せんがな。次手の読み取りやすさを考慮すべきだったな」
聖剣の刃が迸る。キジャクの剣技の冴えが増している。慣れにしてはあまりにも早すぎる習熟度合いだ。むしろ、無理矢理に達人の域にまで踏み込んでいるような――そう。
「…………!」
剣にして、天からの鉄槌。
「クッ、更に底上げしたか。まさか、完全に馴染んだか」
やはり、男も悟っていたらしい。間一髪の際どさで刺突を避け、男がつぶやいた。
「そらよ!」
あるかなしかの間断を縫う針の一刺し。鉄槌と化した五弦棹琴が勇者に叩きつけられる。まともに受け切るのは愚策。接触した刹那に弦を鳴らされたら、回避がおぼつかない。
よって、キジャクは後退し、数歩分間合いを開ける。男の次手を見極めるため。
男の戦い振りは
男は次第に自らを強化していく勇者に嘯く。余裕なのか、それとも矜持か意地か。
「本気、出させてもらうぜ」
男は剣圧で更に襤褸へと近づいたローブから、更に五弦棹琴を取り出した。右に五弦棹琴、左にも五弦棹琴。
まずい。俺の直感が男の底知れなさと狙いに警告を促した。
速射性に優れる空裂刃を放つ。それも連ね重ねて、だ。無為に終わるだろう。だが、奴にアレをさせてはいけない。そう、楽士としての本能が叫んだのだ。
当然、余裕を持って空裂刃は迎撃され、風を周囲に拡散させるにとどまった。
俺の焦燥が伝わっていたのか、キジャクが聖剣と共に突進する。間に合え――と祈る気分で送り出すが、祈るだけで現実に変化が訪れるわけがない。
途端、全くの同時に光霊術が放たれる。
キジャクを拒む障壁と、突き放す衝撃波。駆け抜けたそれを聖剣が受け止めるも、純粋な衝撃は減衰できなかったとみえ、キジャクは弾き飛ばされた。
考えられない。盲目の男は完全に俺の理外の域へと足を踏み入れた。
左右の五弦棹琴同士の合体。その異形の五弦棹琴で同時に異なる楽曲を奏でたのだ。
実際のところ、楽士で似た棹琴を用いる者はいる。二連棹琴と呼ばれる、二つに並んだ棹を持つ棹琴だ。上下に並んだそれはそれぞれ異なる調律が為されており、場合によって困難な詩曲を持ち替えによって奏でられる。しかし、男のそれは並んでなどいなかった。
交差するような連結。二連であれば左手で弦を抑え右で爪弾けるのだが、これでは抑えと弾きを同じ五指で成立せねばならない。常人ではにわかに信じがたいが、麒麟児と謳われた楽士は気づいていた。先程の格闘戦のさなか、単純な一節とはいえ、袖に隠していた弦を片手で奏でていた事実。
もう一本の五弦棹琴。先程からの片手での演奏の正体。氷塊に封印されていた時に持ち合わせていた二本の五弦棹琴の正体がこれだ。
両の手に両の五弦棹琴。弦を押さえて爪弾く。この一連の動作を片手で完結させることで成立する、二琴流。
当然、容易い芸当ではない。秒間ごとに状況が変化する闘争のさなか、最適な一手を選択して演奏するだけでも、
「おおおっ!」
「来い……」
大上段に構えたキジャクが飛び込む。小細工のない、地軸の底まで貫かんと振るわれる剛剣。
瞬間、一挙に爪弾かれる音の瀑布、音の群れ。一連の音色はもはや一つの音さえ判別が利かぬほどに短く刻まれ、男の圧倒的な技量を殊更に意識させられる。
生まれるのは衝撃波、雷霆、溶岩、氷塊……いずれもヒトの身という尺度から見れば、必殺の方程式が導かれる。それを否むキジャク。聖剣が不可視の圧力を側面で受け止め、雷霆を絡め取り、溶岩を斬り、氷塊を雲散霧消させる。護った勇者の背後から、楽士の術理が敵を穿たんと射放たれた。かくも凄まじい激突は、十把一絡げの魕族をその余波だけで解体せしめる威力がある。
炸裂する剣と琴が大気をさざめかす。本来ならば成立できぬ均衡が生まれつつあった。雲を突くほどの標高にいる男に対し、キジャクはあり得ない速度でそこへと辿り着こうとしている。聖魔剣の加護を得て……。
いや――。
聖剣は今や、完全にキジャクの物だった。振るうごとに強く、振るうごとに素早く、振るうごとに確かに、振るうごとに強力に――まるで、キジャクという剣が聖剣という主に合わせているかのような、奇妙な剣技。
そして、決着の時は刻一刻と近づいてくる。
幾多の敵を葬ってきたであろう最速細緻の楽曲も、流石にそれだけでは聖剣という極めつけの
強烈な音圧が奏でられ、距離が開く。再び構えを取る二人、それに後方からいつでも援護の弦術を爪弾かんと待ち構える。
「はぁ! はぁ! はぁ!」
一足飛びどころか、一度に標高の高い座標へと跳躍したキジャクの息は荒かった。高山病よろしく、肉体が追いついていないのだ。だが、気力がまだだと叫んでいる。
一方、男は絶技とはいえ、もともと持ち合わせていた技術と肉体で戦っている。負荷についてはキジャクほどでなく、息も勇者と比較しても荒くはない。
この戦いが長引けばどうなるのか。キジャクは克己心が衰えぬ限り、聖剣の力を引き出し続けるだろう。その分だけ負荷が高い。男は継戦能力という意味では圧倒的に上回っていると断言できる。しかし、瞬間瞬間ごとに力を増していくキジャクに完全に追いつかれる可能性がある。
要はキジャクが耐えられるか、いや折れずにいられるか、だ。
一髪千鈞を引く緊張感が再び大気を汚染して――
「……………………やめだ」
唐突に光のない男が構えを解いた。
「押され始めてきたからやめる、だと? ふざけるな」
戦いを挑んできた側が、急に終わりを告げてきた。俺でなくとも苛立つだろう。
「相棒ならわかっているんだろ? 視えていない俺でもわかるぞ。無理を重ねて身体が悲鳴を上げているだろ?」
男の指摘はもっともだ。キジャクは息も絶え絶え、滂沱の汗をかき、構えているのはおろか立っているのもやっとといった様子だ。ただ、瞳に燃える闘志と翠緑の光だけは失われておらず、それが幽鬼の如き青白い相貌に鬼気迫るものを孕ませている。
「確かにこのまま進めば、お前らは俺に勝てるかもしれん。そいつの無謀さは特級だ。聖剣に身を捧げるつもりか? 剣は捧げるものではない。ヒトが使うものだ」
実際に、異常とさえいえる肉体的強靭さを引き出し続けているのだろうキジャクの様子は、尋常のものではない。男は連結した五弦棹琴を割ると、右のそれを背負い、左のそれを腰に下げた。
「…………」
男が臨戦態勢を解いたことを認めると、張り続けていた気が切れたとみえ、勇者は倒れ込んだ。
「おい、キジャク」
助け起こすと気を失っていた。聖剣の負担は著しいようで、未だに切れた息は続き、額には汗が光っている。
「今代の勇者は、なるほど相当にイカレた奴らしいな。しかし、魔星も去った今、そこまでして聖剣を求めることもあるまい?」
「あんた……知らんのか? 魔星が甦ったんだよ」
「! ――本当か?」
男は、我関せずを一貫していた静水の翼盾ホルダードへと振り返る。盲目だというのに、ホルダードの気配に気づいていたらしい。
「ああ。お前さんが隠遁しとる間にも外界は色々あったというわけじゃ」
「~~、マジか」
額を押さえる男。何処となく気安さを感じさせるのは、ホルダードと旧知の仲なのか。
「でなきゃ、こいつも馬鹿だがここまで無理はしない。俺たちは魔星を斃し、姫をお救いせねばならん」
男は俺の言に思い当たるものがあるらしい。
「歴史は繰り返す、ね」
「なにか、言ったか?」
「いや……手を貸してやろうというんだ」
「どういう風の吹き回しだ?」
訝しむのは当然の話だ。聖剣を渡すまじと対立してきた男が、一転して協力を願い出たのだ。
「信用できんな」
「そうかもな。だが、そいつをなんとかしないといかんのは理解できるだろう? 魔星に挑むなら聖剣の力は必要だぞ」
「……こいつを一旦休ませる」
「あの小屋ならゆっくり休めようて。お主は勇者の代わりに攻め手を担ってもらう」
ホルダードが先行する。特に異論を挟むわけでもなく従う男。
「クソ、重いな。一体、何食っているんだ」
ぼやきながらも、キジャクを担ぐ。ラメラーアーマーの重みだけではなく、本人の筋肉の重みもあり、楽士の俺では担ぎながらの戦闘は不可能だ。ホルダードはそこも見通していたのだろう。
「そういや、あんた名前は? ホルダードさんは知っているようだが」
先導する男の名を知らないことに今の今まで気づかなかった俺は、誰何する。
ホルダードが口を開こうとするのを手で制し、男は振り向きながら応えた。その眼は白く、視力自体がとうにないことを物語っていた。
「名も忘れた世捨て人だよ。あえて名乗るなら……ヌル。
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