第10話 ――かつて〝静水のホルダード〟と呼ばれた者
扉を開くと、久方ぶりの暖気が出迎えてくれた。待ち焦がれていた暖かさに、肉体が喜びで震える。
山小屋は外側からの印象通り、さほど広くはなかったが、物が少ないことも手伝って 狭苦しさは感じられない。丸太を束ねた小屋の保温性は大したもので、扉と共に寒風は完全に閉め出された。
部屋の片隅には暖炉があり、その炎に当たる老人がいた。彼が先程の声の主だろう。声から得た情報の正しさを物語るような老人は、しかし枯れているようには見えない。例えるならば、水の少ない大地に立つ樹のような、硬く絞り込まれた印象を受けるのだ。
「助かりました。私は、流麗の
礼と挨拶をすると、ご老人は面倒そうに自らの傍らを指差す。
「何をぼうっとしている? さっさとこっちに来んか」
態度こそ悪いが、どうやら冷え切った我々に火の恩恵を与えてくれるらしい。
「では、お言葉に甘えまして……」
小屋の中の温石は俺たちの身体の表面を温めてくれているが、それでも冷えた芯までは届いていない。ここは、四の五の言わずに好意に甘えるのが最良と判断した。
「あったか。地獄に仏とはこのことだぜ」
「ご老人。かたじけない」
頭を下げるキジャク。少々陰気な喋り方をしているが、朴訥なだけで礼儀を知らないわけではない。
「フン、別に礼を言われたいわけじゃない。近場で凍えて死なれちゃ夢見が悪いだけよ。温まったら、それなりに働いてもらうつもりじゃしの」
「喜んで」
別段、礼代わりの労働を否むつもりはない。だが、余り時間をかけていられないのも事実。俺たちはまだ聖剣を手に入れていないのだ。魔星の手に落ちたアズナ姫の窮地をお救いするには、聖剣の確保が不可欠である以上、無駄な時間を要する暇はない。
「とはいえ、我々も時間が足りていないので、申し訳ないが……」
「そんな時間を要すことを言うつもりはない。お前さんら、頂上へと向かうつもりじゃろ? 儂も連れて行け」
「……は?」
あまりにも意外な老人の言葉に呆気に取られてしまった。だが、老人は委細構わず続ける。
「頂上を目指しておったんじゃがな。拒否されているらしく、登って行けぬのよ。お前さんら、どうせ勇者の類じゃろが。アレは勇者とその仲間には作用せんだろうからな」
「ちょ、待ってください。何故、俺たちのことを?」
「こんな
確かに、と頷けるのは、
なるほど、あえてこんな修羅の巷へと首を突っ込むのは、聖剣を手に入れようとする傑物か、よほどの愚者以外にはいなかろう。
「ですが、危険です。失礼ながら、ご老人が頂上を目指す理由が?」
珍しくキジャクが前に進み出た。こいつは本気で老人を案じている。だが……。
「待て、キジャク。もしかしてですが、あなたはここで俺たち――いや、俺たちのような者を待っていたのでは?」
目的こそ判然としないが、改めて視れば山小屋は相当に古い。ところどころに埃が漂い、正直なところ老人が長年過ごしているとは思えぬ。そうだ、そもそも――
「ファルメント?」
「物が少なすぎる。生活には不足するほどに物が無い。あなたはこの山小屋に立ち寄っただけ、違いますか?」
「……察しが良いの。資格がある者がいなければ、この頂きは立ち入りを許さぬ。この山小屋にて待つべし、資格ある者が遠からず現れる――と予言者が言っていたのでな。こうして待っていたのだよ」
やはり。聖魔剣は自ら主を決めるという。おそらく、聖剣〝美と適合〟は主と認められる者以外の登頂を拒んでいるのだ。
「どうするね?」
老人を伴って頂上を目指すか否か。本来ならば、検討の余地などない。聖地とは名ばかりの、魕族が跳梁跋扈する悪峰だ。足手まといを連れての登山など、考えられない。
キジャクが視線を向けてくる。判断に迷っているというよりは、どう断ろうかといった要すだが――。
「わかりました。では、ご同行いただきましょう」
俺は向けられた視線の意味とは反する答えを口にした。
単なる老人ならば、俺たちの手枷足枷にしかならないのは周知の事実だ。しかし、ここにもう一つの事実が存在する。
それは、この山小屋を見つけた時に感じた違和感につながる。
メル山の麓は王立騎士団が守りを固めている。確かに聖峰の麓全てを網羅はできぬだろうが、複数人が侵入したならば即座に拿捕されるはずだ。メル山に棲んでいるわけではない老人がこの場所にいる事実。それが意味するのは、ここまで老人が単独で踏破した事実、だ。
第一印象のままに判断するならば、この老人――相当な使い手だ。
老人が椅子から立ち上がる。傍らの得物は、二つの
待て、二つの大盾? 聞いたことがある。
「……ホルダード?」
先んじて正解に行き着いたキジャクがつぶやく。そうだ、左右の大盾であらゆる魕族の攻勢を殺いできた
「知っておったか?まあ、いい。いかにも儂はホルダード――かつて〝静水のホルダード〟と呼ばれた者」
「ホルダード? まさか、本当に?」
彼の名は伝説。
彼の名は英雄譚。
はえある
数多の
捌けぬ力はなく、抑えられぬ技もない。総てが彼の前で止まる、絶壁の
左右の大盾は強固な城塞に等しく、守りに徹した彼の後には波紋なき水面が湛えられるという。
もはや、
波紋なき水面をたとえて、静水。左右に広がる翼に見立てられた、翼盾。誰が呼んだか、静水の翼盾。
伝説は眼前に。
静水のホルダード。
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