その翡翠き彷徨い【第4話 眠る愛の底】

七海ポルカ

第1話



 サンゴール王国には武の誉れ高い王妃アミアカルバが存在する。


 夫である国王グインエルが亡き後は彼の後を継ぎ、女王と呼ばれた。


有翼の蛇ゆうよくのへび戦争』終結後、短い時間ではあったがグインエルが王位につき、アミアが側でそれを支え、サンゴール王家は穏やかな時間に包まれることになる。


 そしてその『有翼の蛇戦争』終結直後、サンゴール王宮に密かに入城した一人の少年が存在した。

 当初城下にある修道院に保護され、二週間ほどのちアミア自ら迎えに行って今度は王宮に正式に入城する。

 王妃アミアカルバの命により、彼は王妃の『客人』として丁重に庇護されることになった。


『有翼の蛇戦争』終結の祝祭が連日続く中、密かに全ての手筈は整えられていた。


 国勢が落ち着き王宮議会が開会されると同時に、噂を聞きつけた元老院が王妃にこの少年の処遇について質問をしたが、王妃は「客人以上の扱いをするつもりは無い」の一点張りでこの質問に答えることは無かった。


 他国から嫁いだアミアが必要以上に国権に関わることを危惧していた元老院も、当初はこの招かれざる客人について難色を示したものの、ようやく夫婦揃って治世につくことになった王と王妃がまさか出自の定かではない少年に『それ以上の』処遇を与えるとは思いもしなかったのだろう、彼らはその時追求を止め、それから少年は暗黙のうちにサンゴール王宮に迎え入れられることになった。


 だがここが今日から貴方の家になる、と言われた時……サンゴールというこの国が、エデンの覇権を争うほどの強国だということも知らない彼がその大きくそびえ立つ城門を見上げながら一番強く思ったのは何だっただろうか。





 ……後にサンゴール王宮において『最も軽薄な王家の血』と囁かれることになる。

 



 この少年がサダルメリクである。





◇   ◇   ◇








 頭の奥がぼんやりする、とメリクは思った。


 出会って二週間ほど。

 メリクは自分をヴィノの村から救い出したのがアミアであること、そしてアミアはサンゴール王国の王妃であること、それはとても偉い人なのだということを理解するようになっていた。

 王妃アミアカルバが信頼するに値する人間だということも、幼い頭で分かっていた。


(アミア様は、好き)


 明るくて優しくていつも笑っていて、まるで太陽みたいだった。


 しかし周辺の村だけが知るような辺境の小さな村で生まれ育ったメリクにとって、巨大なサンゴール城の迷路のような廊下、整然と並べられた柱、厳めしい彫像……そして至る所にある国紋の竜をモチーフにした装飾も、少し恐ろしく見えるものだった。

 夜の廊下を歩く時、いつもその竜の像が全て自分を見下ろしているようで、彼は前を行く人間に遅れまいと一生懸命ついていく。


 その前を行く人間は、アミアやその従者で神官のオルハ・カティアであることもあったけれど、多忙な二人はメリクのもとにだけいられるわけもなく、命令を受けた侍女であることも多い。

 そして彼女達はいつも違う顔ぶれをしていた。


 サンゴール城での二週間ほどが過ぎて、日々の過ごし方が定着して来ると逆にメリクの精神は不安定になり始めた。


 頭がぼんやりとする。


 周りの人間の顔がよく見えなくて、右に行けばいいのか左に行けばいいのか分からない感覚があるのだ。

 そのことをアミアに伝えたかったが、幼いメリクはうまく伝えられなかった。



 最初に気づいたのはオルハだった。

 


「最近うなされておいでのようなのです」

 


 アミアはオルハの隣に座っているメリクを見る。

「怖い夢を見るの?」

 メリクは翡翠の瞳を揺らした。


 夢は、あまり覚えていない。


 でも近頃は起きて見える景色の方が、まるで夢のようでふわふわしている。

 広すぎる城内。同じような回廊。柱、竜。多すぎる人間達。

 四方から降り注いで来る声。


「……だいじょうぶ」


 小さく言ったメリクの言葉が偽りであることくらい、アミアにはすぐ分かった。

 恐らく環境のあまりの激しい変化に対応しきれないのだろう。

 ヴィノの村襲撃のこともあるかもしれない。

 メリクはそれについてはよく覚えてないようだったが、はっきりした記憶でなくとも五感が覚えているということもある。

 オルハと顔を見合わせてから、アミアの頭を撫でてやる。


「どうかしらオルハ。一度この子をラキアの教会に連れて行こうと思うの。少しずつ城に慣れさせたらって……」

「そうですね、あそこなら私がお供出来ますし」

「お願い出来るかしら」

「もちろんです、姫様。私こそ久しぶりで嬉しいですわ」

「手配してくれる?」

「はい、喜んで」


 オルハは微笑んでメリクを見下ろす。


「城下町にある教会ですよ。湖のほとりにあって、とても静かな所です。昔私やアミア様がお世話になった方が司教様として治められています。もちろサンゴール王宮も見えます……夕暮れ時の王宮などとても美しいものなのですよ」

 アミアもそこでしばらく過ごして、メリクが少しでもサンゴールの生活に慣れてくれればいいと思いつつ、椅子から立ち上がった。


「よし! じゃあその前にリュティスにこの子会わせなきゃね」

「殿下に?」

「あっちも少しずつ慣れてもらわなきゃいけないし。グインは今はちょっと体調的に無理だからね。これから呼んでくるわ。どうせ奥館にいるでしょう。

 そうね……礼拝堂で待っててくれる?」

「分かりました、それでは後ほど。さ、参りましょうメリク様」

 メリクは小さく頷いて椅子から足を下ろした。



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