最強デバッガーはVRデスゲームを修正(ハック)する

梵天丸

第1話 クリスマスイブの悪夢

西暦2134年12月24日、クリスマスイブ。街にはイルミネーションが輝き、人々は浮き足立っている。

しかし、株式会社NEED&luxuryのオフィスの一角は、そんな喧騒とは無縁だった。

フロアにはまばらに人影が残るのみ。

そのまばらな人影の一人、西島颯太(にしじま そうた)は、モニターの光に照らされながら、キーボードを叩いていた。

25歳という年齢に反して、どこか少年のような雰囲気を残す端正な顔立ち。

しかし、その瞳は鋭く、画面に表示される膨大なログデータを追っている。

彼は日本で爆発的な人気を誇るファンタジーVRMMORPG「クラウ・ソラスⅢ」のデバッガーだ。

「クラウ・ソラスⅢ」の魅力は、フルダイブ技術による圧倒的な没入感と、全国各地のゲームセンターに設置された専用カプセルによる安全性。

その安全なはずのゲーム世界を守るのが、颯太たちデバッガーの仕事だ。


(…ん? このアラートは…)


モニターの隅に、ゲーム内から送られてきた不具合報告が表示された。

内容は単純な座標エラー、いわゆる位置バグのようだ。本来キャラクターが立ち入れないはずの場所にハマってしまい、身動きが取れなくなったプレイヤーからのSOSだろう。


「…ったく、こんな日に限って」


時計を見れば、時刻は17時45分。定時は18時。今日はクリスマスイブということもあり、多くの社員が早々に帰宅している。

日勤と夜勤のスタッフが入れ替わる時間帯でもあり、社内は一年で最も閑散とする時期の一つでもあった。


(まぁ、簡単な位置ズレならすぐ終わるか)


颯太は立ち上がり、隣のデスクでまだ作業を続けている男に声をかけた。


「永礼(ながれ)、ちょっと付き合ってくれ。座標エラーの報告だ」

「んー? まじかよ、颯太。このタイミングでかぁ」


振り返ったのは、金子永礼(かねこ ながれ)。

一見チャラそうな雰囲気だが、NEED&luxury社が誇る天才プログラマーだ。

仕事中は銀縁のメガネをかけている。


「すぐ終わる。座標特定して送るから、修正パッチ頼む」

「へいへい。しゃーない、デートはちょっと遅らせるか…」


軽口を叩きながらも、永礼はすぐにキーボードに向き直る。

颯太はフロアの隅に設置された社員専用のVRダイブカプセルへと向かった。

社内には100機ほどのカプセルがあるが、今は誰も使用していない。

冷たいカプセルのシートに身を沈め、ヘッドギアを装着する。

目を閉じると、意識が仮想世界へと接続されていく感覚。


【LINK START】


視界いっぱいに広がるのは、剣と魔法の世界「クラウ・ソラスⅢ」のロゴ。そして――


(…なんだ? この感覚…)


ログインした瞬間、視界が一瞬、ぐにゃりと歪んだような奇妙な感覚に襲われた。

まるで水中にいるかのような、不安定な揺らぎ。

すぐに収まったが、胸騒ぎがした。


(気のせいか…? それとも、バグの影響か?)


気を取り直し、颯太は自身のデバッグ用アバター「ルーカス」の姿でゲーム世界に降り立った。

痩身の美少年といった風貌のアバター。

メインジョブはウィザードだが、これはあくまで表向き。デバッグ用にレベル・ステータスはカンスト、全スキルが使用可能な特別仕様だ。

報告のあった座標へ転移する。そこは初心者エリアの外れにある岩場だった。

案の定、一人のプレイヤーが岩と岩の隙間に完全にハマり込み、身動きが取れなくなっている。


「よし、ここだな」


颯太は即座にシステムコマンドを操作し、バグが発生している正確な座標と原因(ポリゴンの欠損による衝突判定の異常)を特定。

外部の永礼にボイスチャットでデータを送る。


『永礼、データ送った。座標XXX-YYY、ポリゴン欠損だ』

『りょーかい。…んし、パッチ作成。そっちに転送するぞ』


すぐに永礼から修正プログラムが届き、颯太はそれを適用する。

プレイヤーを拘束していた見えない壁が消え、無事に脱出できたようだ。

プレイヤーは何度もお礼を言いながら去っていった。


「ふぅ、これで終わり。ログアウトして帰るか」


颯太はメニュー画面を開き、ログアウトボタンを押した。しかし――


【ログアウトに失敗しました。システム管理者にお問い合わせください】


「は?」


何度試しても、同じメッセージが表示されるだけ。

まさか、デバッグ用アカウントまでログアウト不能に? 嫌な予感が確信に変わる。


『永礼! ログアウトできない! そっちはどうだ?』

『颯太! やばい、こっちも大騒ぎだ! GMコールが鳴りやまねぇ! 全プレイヤーがログアウトできないらしい!』


永礼の切羽詰まった声が響く。尋常ではない事態だ。

颯太はひとまず緊急転移用のスクロールを使い、多くのプレイヤーが集まるであろう始まりの街「アークライト」へと飛んだ。

街の広場は、異様な空気に包まれていた。

プレイヤーたちが口々に不安を叫び、混乱が広がっている。

その時、全てのプレイヤーの視界に、強制的なシステムメッセージが割り込んできた。

片言の、感情の無い日本語音声が響き渡る。


『告。告グ。コノ世界ノ支配権ハ、偉大ナルT国ガ掌握シタ』


T国…? 隣国の、ならず者国家として知られるテロ支援国家の名前だ。


『我々ハ、システムヲ改変シ、ログアウト機能ヲ停止シタ。サラニ、新シイ世界ノ法則ヲ実装シタ。ソレハ――死ダ』


死? まさか。


『ゲーム内デ死亡シタ場合、諸君ラノ肉体モマタ、死ヲ迎エル。デスペナルティノ実装ダ』


広場が絶叫と悲鳴に包まれた。

冗談じゃない。

これはゲームだ。

死ぬはずがない。

しかし、音声は無慈悲に続ける。


『コノ呪イヲ解除シタケレバ、日本政府ハ、保有スル全テノ海洋権益ヲ、30日以内ニT国ニ譲渡スルコトヲ要求スル。期限マデニ要求ガ受諾サレナケレバ、諸君ラノ未来ハナイ』


音声が途絶えると同時に、颯太の元に会社からの緊急通信が入った。

それは永礼からではなく、プロジェクトの最高責任者からだった。


『西島君、聞こえるか!』

『はい! 聞こえます! これは一体…!?』

『落ち着いて聞いてくれ! 事態は最悪だ。T国の要求は本物だ。既に、パニックを起こしてモンスターに殺されたプレイヤーの本体死亡が数件確認されている! 政府は人質となった君たち1000名の安全確保を最優先に動いているが、海洋権益の譲渡は…絶望的だ』


日本の生命線である海洋権益を手放せば、日本は事実上T国の属国となる。政府がその要求を呑む可能性は限りなく低い。


『我々には時間が無い! 新たなログインは不可能だが、幸い、GMコールやシステムコールの一部はまだ生きている! 君が内部からシステムのエラー箇所を特定し、外部の我々が修正パッチを送る! これを繰り返し、システムの正常化、ログアウト不能とデスペナルティの解除を目指すしかない!』

『僕が…ですか?』

『そうだ! 君は今、ゲーム内に取り残された唯一のスタッフだ! 君のデバッガーとしての能力と、そのデバッグ用アカウントが唯一の希望なんだ! 期限はT国が指定した30日、ゲーム内時間で約180日! それまでに、必ず全員を救い出してくれ! 君の存在は最高機密とする! T国のスパイがプレイヤーに紛れている可能性も、他のプレイヤーから狙われる危険もある! 正体を隠し通せ! いいな!』


一方的な指示。

だが、颯太に否やはなかった。

デバッガーとして、この異常事態を引き起こしたゲームに関わる者として、責任がある。

そして、死の恐怖に怯える1000人のプレイヤーを、見捨てることなどできなかった。


「…了解しました。やります」


決意を固めた颯太の耳に、広場に響き渡る凛とした声が届いた。

アークライト最大のギルド「third eye」の盟主、ジニー。

彼女が、混乱するプレイヤーたちに呼びかけていた。


「皆さん、落ち着いてください! パニックになれば、敵の思う壺です! 私たちには、まだできることがあるはずです!」


颯太は、人混みの中で静かに拳を握りしめた。孤独な戦いが、今、始まろうとしていた。

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