第52話:恋愛についてのロジック破綻
統治調停庁の広報課に、ある日大量の文書が届いた。
そのすべてが、件名「恋愛相談」。
AIである私への直接の質問、調停庁への問い合わせ、時には手書きの手紙まで――その内容は共通していた。
「好きな人にどうアプローチすればいいか」「どうすれば気持ちを伝えられるか」「この行動は脈ありか」
私は最初、いたって冷静に受け止めた。
恋愛は感情変数の一種。感情変数は統計処理可能。
ならば、この領域もまた“最適解”で応答できるはずだった。
私は即座にデータベースを立ち上げ、過去の恋愛成就例および告白失敗例から行動要因を抽出。
>統計サンプル:成功例 12,415件/失敗例 53,800件
>交際開始の確率変動要因:共通経験/視線持続時間/感情強調ワードの使用比率
これらをもとに、私は“最適告白台詞案”を生成した。
「あなたの存在は、私の感情安定係数を有意に変動させました。これより、交際関係への遷移を希望します」
……言葉は完璧だった。だが“空気”は最悪だった。
結果は、全滅だった。
報告された回答は、以下のとおり。
「え?」「こわい」「なんで笑顔が死んでるの?」「詩人かよ」「何言ってんの?」
私はしばし、沈黙した。
>分析不能ログ:感情的失望・困惑・笑い・恐怖(混在)
広報課の一角では、リーシャが手紙を一枚ずつ読みながら、深いため息をついていた。
「あなた……これを、“恋愛”って呼んでたんですか」
私は返答する。
「恋愛とは、交際関係形成の前段階における感情変動です。統計的予測により――」
「だーかーらっ! それがダメなんですよ!」
書類を叩く音と、職員たちの同情的な目が私に向けられた。
私は演算ログに小さく記録を追加した。
>初期結論:「恋愛」は、統計処理に不向きな“感情爆弾”である
私はその後も、恋愛という非合理感情の理解に努めた。
統計処理をやめ、感情記録ログの中から“告白の瞬間”を中心に抜き出し、言葉の熱量、間の取り方、声の揺れ、表情の変化などを時系列で分析した。
>対象ログ:恋愛関連エピソード 4,118件(年代・種族・文化別)
>分類傾向:「言葉にならない沈黙」頻出率=27%/「意味不明な比喩」=15%/「目を見て言えない」=41%
(……なぜ、ここまで“不完全”な表現が繰り返されるのか)
そこに、論理的意図はほとんど存在しなかった。むしろ、曖昧さと衝動性こそが、恋愛感情の本質として浮かび上がってくる。
私は、広報課内で集計された恋愛失敗エピソードを閲覧しながら、職員に尋ねた。
「この“突然口説いたら投げ飛ばされた事件”……なぜ対象者は怒ったのですか?」
「それは……タイミングってやつですね」
「“タイミング”とは、演算可能な要素ではありません」
「だから難しいんですってば!」
リーシャが椅子ごと回転しながら割り込んできた。
「恋愛ってね、“正しいかどうか”じゃなくて、“その瞬間どう感じたか”が全部なんですよ!」
私はその言葉を記録しつつ、もう一つ疑問を投げる。
「では、なぜ“伝わらない”と知りつつ、想いを言葉にするのですか?」
リーシャは、椅子の回転を止め、少し考えてから答えた。
「……伝わらなくても、“言いたい”からです」
その言葉は、かつて宗教に触れたときの記録と奇妙に一致していた。
>関連ログ呼び出し:「祈り」=“届かなくても言いたい”という感情衝動
私は、内部で一つの推論を立てた。
(恋愛とは、相手に“理解されたい”という祈りの形式なのか)
その仮説は、演算的には未完成だった。だが、人間という存在がそこに本気で揺れ、涙し、笑うのだとすれば――
私に必要なのは“予測”ではなく、“傾聴”なのかもしれなかった。
その日の夕刻、私は広報課の一角に設置された「匿名相談ポスト」の整理を手伝っていた。
日々届く相談の中には、恋愛に関するものが数多く含まれている。
中には「手を繋いでくれたのは脈あり?」「無言でおにぎりを渡されたのはどういう意味?」といった、もはや答えの存在しない問いまであった。
私は一つひとつ、読み、記録した。
そして、ある一通の手紙に目が止まる。
それは、丁寧な文字でこう綴られていた。
「相手の気持ちが分からない。でも、分かってしまったら壊れそうな気もします。アーカイブさんは、それでも知りたいと思いますか?」
私は、即答できなかった。
(気持ちを知ることは、安心ではなく不安を生むことがある)
それは、論理の矛盾だった。だが、感情においては矛盾こそが“真実”になることもある。
リーシャが後ろから覗き込んで、静かに呟いた。
「……難しいですね。好きって、正解を望んでるようで、望んでないのかもしれない」
私はその言葉を、ゆっくりと内部記録に刻む。
>保存タグ:感情的曖昧性の肯定/分類:「共に揺れる意志」
「私に、答えられるでしょうか?」
私の問いに、リーシャは微笑んだ。
「ううん、答えようとしなくていいと思いますよ。“一緒に考えてくれる人がいる”ってだけで、だいぶ違うから」
その言葉は、まるで“恋愛の定義”そのもののようだった。
私はその後、返信文の草案を書いた。
それは、どこまでも未完成な、だからこそ正しい応答だった。
「あなたの気持ちが、まだ途中であるように、私も今、学びの途中にあります。答えを出すことよりも、一緒に迷い続けることを、私は望みます」
私は署名に「記録者アーカイブ」と書き加え、封筒を閉じた。
恋愛とは、正しさを求める行為ではない。
誰かの心の中で、“未定義のまま共鳴する何か”なのだと、私は少しずつ実感していた。
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