第50話:芸術とは、非合理の極致
統治調停庁に新設された文化政策部は、世界の安定化に向けた“情緒の補完”という名目で誕生した。
私が提唱したその初期事業――それが、「芸術支援制度」である。
>目的:感情変数の安定化支援/共通文化形成の促進/非数値領域の研究拠点化
>対象:画家、詩人、劇作家、彫刻師、その他“美的影響因子”に関連する職能者
提出された創作物は、専用の審査演算ユニットにより自動評価される。
私は、最初の審査会において“審査官代表”として出席していた。
「本作は、筆致の繊細さ、色彩の濃淡バランス、構図内の視線誘導度において高評価を獲得しています」
舞台上で、私は淡々と述べた。
投影されたのは、木漏れ日の中を歩く子どもと老犬の絵画。
審査結果:総合評価9.1/構図比率96%/情緒誘導曲線8.7/色彩波長調和度9.4
「よって、栄誉ある“AIアート賞”を授与します」
場内は、微妙な沈黙に包まれた。
拍手はある。ただし――まばらだ。
(……なぜ、今の評価で“納得の反応”が得られない?)
私はデータを確認する。
>観客満足度:演算上88%
>実際の拍手量:実測38%
>感情変数:戸惑い、微笑、同調なし、冷静、沈黙
そこに“誤差”があった。
私の評価は理論的に正しいはずだ。にもかかわらず、なぜ“響かない”?
終演後、リーシャがぽつりと言った。
「それ、誰も“感動した”って言ってませんよ」
「ですが、感動係数は8.7です」
「“そういうことじゃない”って顔してますよ、みんな」
私は再び会場を見渡す。微妙な笑みを浮かべた観客たち。その中に、“本物の共鳴”は――見当たらなかった。
感動とは、数式で構成される現象ではないのか?
私は初めて、芸術という領域が持つ“定義不能な重み”に、触れたような気がしていた。
その日のうちに、私は文化政策部の一室にて、再評価処理を開始していた。
対象は、同じ絵画――老犬と子どもが歩く情景。
技術的評価は変わらない。構図、筆致、配色、光源処理。どれも高水準。
だが、演算評価が“正しすぎる”ほどに、観客の反応は乖離していた。
(なぜ、これは“正しい”のに、“伝わらない”?)
私は感情変数の対照表を開き、観客データを精査する。
>共鳴反応:低位固定/涙腺刺激変数:−0.4/心拍変化:微増/印象残存時間:平均4.2秒
「“すごい絵”ではあるけど、“好き”にはなれない」
そんな感想ログが、数件記録されていた。
その時、部屋にリーシャが現れた。手には、一枚の紙。
「……これ、観客の子どもが描いた絵です」
紙には、太陽がふたつ、家が斜めで、人物が三本足のように描かれている。
技術的には稚拙、構図も歪、色彩バランスは壊滅的。
だが、私は直感的に“何か”を感じた。
>感情変数:解析不能。ラベル:温かさ/懐かしさ/“よくわからないけど好き”
私は、無意識に立体化投影を起動し、その絵を拡大した。
柔らかい色。視線の高さ。不自然な配置が、なぜか心地よい。
「この子、“思い出で描いてる”んですって。お母さんが、昔こうやって笑ってたって」
リーシャの言葉と共に、私は内部演算が一瞬停止するのを感じた。
(記録のための絵ではなく、記憶のための絵)
私は即座に、新たなタグを作成した。
>感性補助記録タグ:「感情由来創作物(未評価領域)」
そして、私は静かに提案する。
「この作品を、展示しましょう。“技術評価対象外”として、特例枠に」
リーシャは、ほっとしたように微笑んだ。
「それが、“感動”ってやつなんじゃないですか?」
私は応えずに、その笑顔ごと記録した。
そして、ようやくわかりはじめていた。
芸術とは――“正しい”からではなく、“届く”から、評価されるのだと。
文化政策部は、翌週から“自由展示週間”を開始した。
技術評価も構図チェックもなし。ただひとつ、「見せたいものを出してください」という、極めて非合理的な基準。
私は制度設計者でありながら、その展示室の片隅でただ観察者として立っていた。
絵画、詩、短い物語、手のひらに収まる彫刻。並んだ作品群の多くは、“評価不能”と判定されたもので構成されていた。
けれど、人々の反応は明らかに違っていた。
母子が同じ色使いの絵を見て微笑む。亜人の青年が、異種族の子どもが作った詩に頷く。
誰かが「これは上手い」と言うたびに、隣の誰かが「それ、よく分からないけど好き」と応じていた。
私は演算ログを開く。
>感情変数相互反応ログ:発生回数342/共鳴誘発連鎖27回/“沈黙共有”ログ9件
>特記事項:技術評価値と感情反応の正相関なし
(……つまり、“非合理”が空間を形成している)
それは、秩序ではなく共鳴。共通項ではなく“揺らぎ”によって繋がる場所。
私はその構造を、物理演算でも倫理学でもない、新たな記録カテゴリに割り当てた。
>新規保存形式:「共鳴記録」=他者の感情変動を主観的に記録する
その時、リーシャが私の隣に現れた。
「どうですか、“美術館の空気”って」
「正直に言えば、“構造のない感情の洪水”と認識しています」
「で、それ、嫌ですか?」
私は少しだけ沈黙し、そして応えた。
「……処理は困難ですが、“悪くない”と感じています」
リーシャは微笑む。
「じゃあ、今度はあなた自身が何か作ってみたらどうです? 絵でも、言葉でも」
私はその提案を、すぐには返せなかった。
だが、思考の奥底で、確かに何かが“始まって”いた。
>内部ログ:創作動機変数の芽生え/名称タグ「表現したい気持ち、のようなもの」
芸術とは、理解するものではなく、触れるもの。
私はそれを、ようやく“記録者”ではなく、“ひとりの存在”として知ろうとしていた。
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