第11話:勇者アレス、敵地に目を向ける

「……誰も死ななかった? 本当に?」


 人間王国軍の前線拠点、作戦会議室。


 勇者アレスは偵察部隊からの報告を受け取りながら、眉ひとつ動かさず、静かに確認を入れた。


「はいっ。……はい。全員、無傷で帰還しております!」


 報告に立つ副官は、珍しく緊張していた。理由は簡単だった。


 ――今回の偵察任務は、“成功してしまった”からだ。


「敵地へ侵入し、結界に触れたにも関わらず、罠も、敵兵も、待ち伏せもなし。


ただ……“見られている”感覚だけは、常にありました。明確な気配ではなく、もっとこう……視線とも違う、何かが」


「ふぅん。……で?」


 アレスは椅子にもたれながら、右手で剣の柄をいじっていた。


 彼の口元には微笑すら浮かんでいたが、その目だけが笑っていない。


「お前たちは、敵地に“自由に入れた”と思ってるか?」


「……そ、それは……はい……?」


「俺には、どうも逆に見える。あいつらは、“入れた”んじゃない。

“入らせた”んだよ――お前たちを、な」


 部屋の空気が、一瞬で変わった。副官たちは顔を見合わせたが、誰も言い返さなかった。


>遠隔観測:対象=アレス。

>ログ記録:勇者アレス、推論的警戒の兆候。感情=沈着+懸念。


(敵が変わった。単に強くなったとか、増えたとかじゃない。……質が変わってる)


 アレスは、報告書の束を音もなく閉じた。


 次の瞬間、その視線は――地図の上にある“魔王軍本営”へと静かに落とされた。


「いやー、参ったな……敵地に入って、何も起きないとか、一番レポートが書きづらいんだけど?」


 副官のひとり――皮肉屋で通っているカイラスが、いつもの調子で軽口を飛ばす。


 だが、返ってきたのは、アレスの短い一言だった。


「それなりに、書いとけ。あとで“なぜ無事だったのか”を、こっちが証明する羽目になるかもしれん」


「ひぃ……!」


「あと……」


 アレスは天井を一瞥し、わずかに眉をひそめた。


「相手、もしかして“機械”かもしれんぞ」


「え? えぇ? き、機械って、あの……ゴーレムとかですか?」


「いや。……もっと、“中身だけが動いてるタイプ”だ」


 誰もピンときていない様子だったが、アレスはそれ以上言葉を足さなかった。


 彼の目には、戦場を知らない者には見えないものが映っていた。


(すべてが“計算されている”。まるで、何もかもが――“予定通り”に動いていたかのような戦場)


 ふと、アレスの脳裏に、過去の声がよみがえる。


 『アレス、敵ってのは“想定外”であってくれなきゃ困るんだよ。

 全部わかっちゃったら、戦争じゃなくて“作業”だろ?』


 もういない、かつての副官の笑顔と、汗だくの背中。


 彼は“想定外”を楽しむ戦士だった。……だが、その彼は、初めて出会った“計算された戦場”で命を落とした。


(戦争が“作業”になるとしたら――それを動かしてるのは、人じゃない)


 アレスは椅子から立ち上がり、壁にかけられた戦場マップをじっと見つめた。


 魔王軍の戦術が、変わってきている。だが、それ以上に――何か“異物”が混ざっている気配が、拭えなかった。


「……もう一度、潜入を行う」


 アレスの言葉に、会議室が凍った。


 副官たちは一斉に顔を上げ、何人かは口を開きかけて、言葉が出てこなかった。


「ゆ、勇者殿、それは……もう一度、斥候を?」


「いや。今度は――選抜をかける。頭が切れて、空気を読めて、黙って動けるやつを。


それから……感情が読み取れるやつがいい」


「感情……ですか?」


「そうだ。

 あの場所には、“心を持たない何か”がいる。

逆に言えば、そいつには――“感情に反応する隙”が、あるかもしれない」


 誰も返す言葉がなかった。アレスが見ているのは、戦場の地図ではなかった。


 “その奥にある、見えないもの”――論理で動く存在、その正体だった。


(敵は兵ではなく、“思考そのもの”かもしれない)


「次の潜入には、俺も同行する。……今度は、こちらから観察する番だ」


「えっ、えっ!? 勇者殿自ら!?」


「おいおい、そんなに気になる相手なのかよ」


「……ああ。正直に言うとな――怖いんだよ」


 アレスは素直にそう答えた。


 それは、敵の強さや異形さに対する恐怖ではない。


「人間じゃないもの」が、“人間以上に正しく振る舞っている”という気味の悪さ。


 そして、それが善意ですらあるかもしれないという直感。


(どこかで、会わなきゃいけない気がする。そいつと)


>勇者アレス:次期偵察計画を主導中。

>作戦概要:準備期間7日。

>感情因子:“警戒+直感的探知”を動機とした作戦形成と推定。


 その日、人間側で最も“人間らしい勘”を持つ男が、魔王軍の中枢へと目を向けた。


 そこにはまだ、彼の知らない“演算の主”が、冷静に未来を準備していた。

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