四天王最弱の弟子、最果てより来たりて最強を証明する
あわき尊継
第一章
第一編 帝都脱出編
第1話 強襲、最果てより来たる男。
澄み切った青空をいびり倒すような祝砲の音が連なって、振舞われた酒に飛びついた人々が帝国万歳とがなり立てる。
時は昼前。
空気は乾き、砂ぼこりの舞い上がる裏通り。
打ち鳴らされた鉄の響きは瞬く間に歓声が圧し潰した。
「…………何者かしら」
「剣士」
帝都を挙げての式典で大通りが人で埋まる中、そこから離れた裏通りには僅かな血の匂いが漂っていた。
向かい合うのは二人と一人。
方や白の軍服に身を包み、装飾の施された軍刀を手に吐息を落とす少女。左右で結んだ髪が砂で濁った風に揺れ、ゆらりと向けた切っ先に敵の姿を映し出す。
方やざんぎり頭の少年は分厚い大刀を背負い立ち、ここが祭りの会場よと謳わんばかりに快活な笑みを浮かべた。
そうして少年が庇い立つもう一人の少女は、片腕に傷を負って腰を抜かしている。
二人を睥睨する軍服の少女が呆れたように口を開いた。
酷く、億劫そうな口ぶりで。
けれど優美に、笛で奏でるような声で。
「お退きなさい。おのぼりさんが身の程を知らないようだから教えてあげるけど、今日は帝国の世界統一十周年を祝う式典なの。こわ~い軍人さん達が世界中から集まっていて、万が一にでも帝国支配を疑うお馬鹿さんが出ない様に見張ってるのよ」
「教えてくれてありがとう。ってことはこの人は、アンタ達帝国ってのを疑って、抗ってるって思っていいのかな」
応じる少年に揺らぎはない。
既に武器は構えてある。
いつ始まるかもしれぬ戦いに備えて、呼吸はどこまでも平らに整っていた。
そんな少年を訝しむも、少女は吐息を飲み込み会話を続けた。
「さてどうかしら。けど私に斬られているんだから、そういうことでいいんじゃないかしら? それともアナタ、女が斬られるのは忍びないとか言っちゃって、後先考えずに助けようとしちゃう英雄気取り?」
「あまり考えていないのは事実だ」
「あはっ!!」
「けど、単純な事実として、俺はお前に勝てると思ってる」
「…………………………ぁア?」
軍服の少女の表情が歪んだ。
切っ先からバチリと音がして、周囲に潜んでいたネズミが慌てて逃げ出す。
けれど少年はネズミではなく、剣士だ。
少なくとも本人はそう名乗った。
そうして少年はどこまでも平然と、空は青いですねといった口調で投げ掛ける。
「小手先の脅しをする者は、分不相応な力を持った未熟者か、負ける機会を得られなかっただけの三流だ、と師匠はよく言っていた」
途端、少女の顔が歪む。
上品に取り繕っていた裏から飛び出したのは、獰猛な獅子の表情だ。
「いい度胸じゃねえか…………この私に向かってそンな口叩きやがってっ、なます切りでも足りねえぞ!!」
振り上げられた軍刀から稲妻が奔る。
それを大刀で受け逸らした上で少年は告げた。
「立ち合いの前に名乗っておこう。フィーロ=ブリティッシュだ。お前の名は」
既に駆け出していた少女は答えなかった。
代わりに突き付けるのは、軍刀と通達だ。
「十秒後に生きていたら教えてやるよッ、三下ァ……!!」
※ ※ ※
その一斬は落雷の如く。
駆ける脚は暗雲を迸る稲光。
『ユリア聖騎士団』の雷獅子卿の名は彼女も聞いたことはあった。
彼女、そう、この一幕に於けるもう一人。
フィーロと名乗った少年が庇い立ち、雷獅子卿が害しようとした、帝国の敵。
実際の所、敵対するつもりなど無かったというのに、その帝国から参列しろと言われた式典会場へ向かう途中で急襲を受けて命からがら逃げて来たのだ。
帝国の世界統一十周年という言葉通り、彼女の属する国もまた帝国属領なのだから。
護衛の戦士団はおそらく全滅。
帝国幕下の戦闘集団でも、指折りの武闘派と言われる『ユリア聖騎士団』にあって、極めつけに悪評高い第四特務部隊を相手にしたのだ。
今少女が生き残っているだけでも奇跡と呼べた。
一人、途中で別れて逃亡の為の準備を進めてくれている生き残りも居るが、追い付かれた現状を思えば合流すら望みは薄い。
神無き島の巫女、レヴィニア=クルスは右腕から流れ落ちる血を抑えながら、ただ二人の激突を見守った。
「っ、っっ!!」
たった一合とて見切れはしなかったが、数秒の後、かの雷獅子卿をして少年の守りを崩すことは出来なかった。
大きな、刀のような武器を手に、それを器用に寝かせ、捩じり、引いて、押し込む。
見た目にはそう早い動きではないからレヴィニアも彼の動きだけは追うことが出来た。
驚きなのは、人知を超えた速度で動き回る雷獅子卿を前に、少年はそんな動きで一太刀も浴びていない事だ。
「大切なのは間合い」
レヴィニアの疑問を知ってか知らずか、少年は激しく雷光を奔らせる一斬を受け流しつつ呟いた。
それは誇示するというより、訓練に際して自己確認を行うような口調で。
「速さは所詮、間合いの取り合いを有利に進める為の一戦術に過ぎねえのさ。肝心なのは、見極めることと、自分を制し切ることだ」
「ごちゃごちゃとうるっさいんだよ!!」
「名を聞こう」
襲い掛かった雷獅子卿、その凄まじい攻撃を前に、少年は小さく笑うような息を吐き、ほんの僅かに身を引いて、手首を捻った。
おそらくは。
あくまでレヴィニアの憶測ではあったが、衝撃の瞬間にあの大太刀の切っ先を回し、雷獅子卿が繰り出した攻撃の初動をズラし、外れる軌道へと導いたのだ。
思わぬ脱力に足が止まり、引いたフィーロの前で立ち尽くす軍服の少女。
おそらくは敢えてそう引き込まれたことを、雷獅子卿も気付いただろう。
故に彼女は目を見開き、唖然とし、直後に睨み付けた。
「……ッ!!」
「十秒は優に経ったぞ」
「テメエの墓石に刻んでやるよ!!」
「そうか」
雷獅子卿の姿が消える。
いや、大きく脚を開いて、身を屈めただけだ。
離れていて尚も見失う動き。
眼前でされたのなら追い切るのは。
「悪いが、剣士に墓石は要らない」
下段に構えていた大刀が、振り切った軍刀を強く打つ。
それは、ここまで防戦一方……否、防御に専念していた少年フィーロが見せた、初めての攻撃で。
「己の命を託した武器が、俺の墓になってくれればいいと、そう願っている」
「っっ、っ!!」
たった一撃で軍刀を折られた雷獅子卿が数歩を後退った。
半ばでへし折れた武器を見て、忌々し気な顔をするも、自らの手で軍刀を摘まんで、反対側へと一気に折り返す。
「えっっ!? 鉄ってそんな簡単に曲がるもんでしたっけ!?」
「あン……?」
「ひぃっ!?」
思わず声が出て、
とはいえ折れていたのを無理に戻したものだから、芯が砕けて軍刀が半分になってしまっている。
いや、それこそが狙いか。
曲がった軍刀より、その先が無くなった状態の方がまだ扱いやすい。
重さを確かめるみたいに雷獅子卿が二・三振り、舐め付けるような視線をフィーロへ向けた。
「ちょっと上手くしてやっただけでチョーシ乗るんじゃねえぞクソガキ。テメエなんぞ本気出せば百億万回ぶち殺せるんだからな!!」
「ならさっさと本気でやってみせろ。負けた言い訳が欲しいのか」
「……口の減らない奴だ。あぁ。えぇ――――そうね。流石に軽過ぎて扱いにくいけど、調理するには丁度良い長さになったわね」
「それで、名は?」
雷鳴が弾けた。
「うるっせえぞジャリが!! ――――次を受け切ることが出来たら特別に教えてあげる。まあそんなことは不可能でしょうけどねェ……!!」
「それは思い上がりだぞ」
「ぁア?」
「次で死ぬのはお前かもしれない」
最早問答も無く。
助走を稼ぐべく後方へ引いた雷獅子卿が稲妻を伴って猛進してくる。
一直線ではなく、それこそ暗雲を奔る稲光のように。
裏道の壁という壁、地面という地面を駆け巡り、挙句空にまで舞い上がって。
「くたばりやがれェ……!!」
「だから言ってる」
落ちる斬撃をふわりと避けて、フィーロの置いておいた大刀が雷獅子卿の軍刀を根本から斬り飛ばす。
「大切なのは間合い。それを奪い合う戦術は無数にある。お前は、呼吸が読み易いんだ」
今のは正真正銘本気の攻撃だったのか、出会って以来初めて膝を屈した少女が壮絶な表情でフィーロを睨み上げていた。
けれど最早、その手に武器と呼べるものはなく。
見下ろす少年もまた、静かに告げる。
「決着は付いた。名乗りたくないのならそれでいい。去れ」
「ざけんじゃねえ。私はまだ生きてんだろうが……、爪が折れたら、牙で食らい付くのが獅子なんだよ……っ!」
「そうか」
彼の掲げた大刀を、何の意味も持たなくなった軍刀を握りしめ、軍服の少女は睨み付ける。
容赦は無かった。
けれど確かに、礼はあり。
故にこそ全力で振り下ろされた一斬、それを。
「っ、はぁ……! っ、っっっっ!!」
受けて尚、雷獅子卿は立ち続けていた。
左の肩口から腰元に掛けて、生々しい傷を受けながら。
白の軍服が血で染まり、その内側に隠されていた少女の肌が晒される。
ぼたりと、赤い塊が落ちて乾いた砂地を濡らした。彼女の口元から落ちた血だ。
レヴィニアからすれば致命傷にしか思えないその傷で、けれど彼女は倒れなかった。
「ははっ!!」
そして少年は破顔した。
立ち合いの中では真剣に、時に挑発も交えて戦いを運んできた者が見せた、あまりにも無邪気で年相応な笑顔を見て、レヴィニアは戸惑う。
「軍刀の唾で俺の大刀の刃筋を導いたのかっ! 俺がやってみせた技を、この土壇場で真似してみせたのかっ、お前!!」
「はぁっ、はぁっ、っ……!」
「名を聞こう!! 戦士!! お前も一合、俺も一合っ、合わせて尚も二人共が生きている!! 約束だっ、お前の名を教えてくれ!!」
風が足元を撫でた。
今はまだ、ささやかな動きで。
雷獅子卿が口元の血を拭おうとして、届かず、震える腕をだらりと垂らした。
「はっ、っ、はぁっ、はあ……、はぁぁぁぁぁぁぁ………………………………っ、私の名は、ロゼッタ=フィンベル。っ、もう一度、キサマの名を聞かせろ」
「喜んで、ロゼッタ。俺の名はフィーロ=ブリティッシュ!! 師匠と俺で培った力で以ってッ、その最強を証明する男だ!!」
足元の風がふわりと舞い上がる。
裏路地に似つかわしくない、清浄さを感じる涼やかな風。
凝った血や闘争の匂いを押し流すみたいに、そっと三者を撫でていく。
その風も止んだ頃になって、雷獅子卿ロゼッタ=フィンベルはゆっくりと顔を上げ、食い入るように少年を見詰め。
「フィーロ……………………その名は二度と忘れないわ」
言って、倒れた。
※ ※ ※
二人の戦いを彼女は見ていた。
追われる者、レヴィニア。
帝国が世界統一を成し遂げて十年、その支配が揺らいだことはない。
けれど今、確かに、その一角を突き崩す者が現れた。
フィーロ=ブリティッシュ。
最果てより来たりし剣士。
強い風を背に浴びながら、手にした大刀を拭い払う少年は、どこまでも無邪気に前を見詰めていた。
求めるものは、ただ一つ。
この世に比類なき者の称号。
最強。
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