05.褒めるばかり

 体育祭が終わったあと、九月にある文化祭の準備に取りかかるようになった。楓花たちのクラスは歌を歌うことになって、伴奏はクラスメイトたちに推されたのもあって楓花に決まってしまった。

「長瀬さん、佐藤先生が呼んでたで。昼休みに体育館に来て、って」

 朝のホームルームで担任が教卓から楓花に言った。

「はい……、って、体育館?」

「楓花ちゃん、何かしたん?」

「わからん。文化祭のことかな?」

 昼休みは舞衣と一緒に放送当番が当たっていて、いつもなら昼休みが終わるまで放送室で過ごしているけれど、楓花はこの日は空になった弁当箱を教室の鞄に片付けてから一人で体育館へ急いだ。

 体育館にはやはり、文化祭でピアノを弾く予定の生徒たちが集められていた。会場になる体育館にあるピアノは一年生はまだ誰も弾いたことがないので、試しに少しだけ触らせてもらえるらしい。ピアノは普段は運動の邪魔にならないように奥のほうに隠されているけれど、イベントのときは指揮が見える位置まで移動させるらしい。

「あっ、何これ、ちょっと重い」

 楓花を含め体育館のピアノを初めて触った生徒たちは弾いたあと同じことを言った。家にあるものとも、音楽室にあるものとも違う、微妙な鍵盤の重みがスムーズに弾くことを邪魔していた。

「こんなピアノやから、あんまり期待せんといてね。みんな上手く弾く子やし、間違えんかったら大丈夫です」

 それでは昼休みが残ってるから解散、と佐藤は言ったけれど、楓花だけは残されてしまった。

「長瀬さん、こないだ──渡利君、喜んでたで」

「あ──そうなんですか?」

「うん。分かりやすかった、って。あのあと授業で練習してるの聞いたけど、確かに前よりは吹けてたわ。どんな教え方したん?」

「え? 別に何もしてないけど……、そもそもドレミが分かってなかったから、そっからしました。渡利君は頭良いって聞いてたから、音階教えたらすぐ覚えたし」

「あーそう……。あ、それで今度やけど、夏休み入る前にお願いしたいって言ってたけど」

 楓花は佐藤に空いている日を伝えてから体育館を出た。外が賑やかだな、と思って見に行くと、バスケットボール部の生徒を中心に何人かが体を動かしていた。ギャラリーには舞衣の姿があって──、晴大もボールを触る順番待ちをしていた。

「楓花ちゃん、終わったん?」

「うん。ちょっとだけ先生と喋ってた。舞衣ちゃんは……渡利君?」

「楓花ちゃんを待ってたついでやけど。いつ見ても格好良いよなぁ」

 舞衣につられて晴大のほうを見ると、彼と目が合ってしまった。晴大は特に何も言わず、表情も変えずにボールを触りに行った。

「最近の渡利君、前より明るくなった気するんよなぁ」

「……そうなん?」

「何となくやけど」

 舞衣は話しながらずっと晴大を目で追っていた。楓花も何となく追ってみるけれど、晴大にこれ以上は気づかれたくない。音楽室でリコーダーを教えたときの彼とは様子が違うので、妙な違和感がある。

「あっ、悪い──」

 晴大の手からボールがこぼれたようで、舞衣のところに転がってきてしまった。舞衣はボールを取って、晴大に渡した。

「ありがとう──」

 舞衣は緊張していて気づいていなかったけれど、晴大はボールを受け取って戻る直前、ほんの一瞬だけ楓花のほうを見ていた。気づいた楓花は敢えて彼とは目を逸らした。

 廊下ですれ違っても、登下校時に近くにいても、楓花は晴大には話しかけなかったし、晴大も同じだった。連絡は全て佐藤を通すことにして、二人には接点がないように演じていた。

「なぁ、ちょっとぐらい喋らんらない?」

 夏休み前にリコーダーの練習に付き合ったとき晴大が言った。

「……接点ないのに、急に喋りだしたら友達びっくりするやん。それに──」

 楓花がいま晴大といるのは音楽室ではなく、放送室の隣の小会議室の奥の、放送部メンバーが〝秘密部屋〟と言った場所だ。先生たちには佐藤が〝会議室を使う〟とだけ話していたので誰も入って来ないけれど、普段通りクラブ活動が行われているこの日は、廊下を何人もの生徒が通っていた。その中には、〝晴大の靴は下駄箱にあるのに姿はどこにもない〟と探している生徒までいて声が聞こえた。

「一緒にいるとこ見られたくないし。そもそも、話すことない」

「……確かに」

 丈志という共通の友人がいるけれど、だからと言ってわざわざ紹介されるていで仲良くなるのもおかしい。偶然に丈志が紹介しようとしないとは言い切れないけれど、〝晴大と話したいわけではない〟と既に言っている。

 舞衣が言っていた通り、晴大は確かに以前より明るくなった。彼の家庭や教室でのことは楓花には分からないけれど、おそらくリコーダーが上達してきていることが影響していた。小指・薬指と裏穴サムホールの微妙な押さえ方にはまだまだ苦労しているけれど、初日よりは確実に上手くなって、少なくとも肩の力は抜けて余裕があるように見えた。

 晴大は丈志とは一番仲が良いけれど、リコーダーのことは本当に誰にも話していないようで、楓花が丈志からその話題を振られることはなかった。友人たちと晴大の噂話になるといつも、格好良いとか、完璧すぎるとか、通知表の評価は全て最高評価だろうとか、褒めるばかりだった。

「英語もさあ、うちら習い始めたとこやけど、もう喋れるんちゃう?」

「喋ってそう! パソコンとかも使いこなしてんかな? プログラム作ってたりして」

「ははっ、でも、あんまり機械のイメージないよなぁ」

「……おまえら、好き勝手言ってなぁ」

「波野君て、渡利君と仲良いやん? 小学校ときどんな子やったん?」

 舞衣やその他の友人たちは、興味津々に丈志に晴大のことを聞いた。丈志から出てきた言葉はやはり、成績は良かったとか、運動もできたとか、歌も上手かったとか、だから人気だったとか、晴大のイメージを良くするものばかりだった。

「そうなんやぁ。ピアノ弾けるん?」

「それは知らんけど……」

「弾かれへんと思うなぁ」

 ポツリと楓花が言うと、注目されてしまった。

「……え、なに?」

「楓花ちゃん、何か知ってんの? みんな渡利君を褒めてたのに反対のこと言うから」

「あっ、違う、何も知らんって。何となく。こないだ佐藤先生に呼ばれたとき、渡利君のクラスも歌みたいで伴奏の子が来てたけど、渡利君じゃなかったし。弾けるんやったら、やってそうやん」

 それは咄嗟に思いついた理由だった。

 晴大がピアノを弾けないことは既に知っていた。ピアノどころか、出会った頃はリコーダーも壊滅的だった。だから小学校のとき音楽の授業で合奏をすることになっても、音を考えなくて良い打楽器か、人数が多いリコーダーでごまかしていたらしい。

「もし弾けるんやったら聴いてみたいなぁ。楓花ちゃんも気になるやろ?」

「まぁ、それはそうやけど」

「たぶんやけど、渡利、ピアノはあかんのちゃうかぁ? 弾いたことある、とかも聞いたことないし」

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