第五章06 聖女ロズアトリスと聖女シャルルリエル(自ら関係を絶ったのに)

「ロズアトリス様!? どうしてそんなところにいらっしゃるのです!?」


 ティモシーが驚いて珍しく大声をあげるのを、ロズアトリスは木の上から見下ろしていた。


 ロズアトリスとして面と向かって会うのは四カ月ぶり。まず何を言うべきか迷って、ロズアトリスは初めの言葉に詰まってしまった。


「……ティモシー殿下。お久しぶりです。こんな遅くに明かりがついているのが見えて、もしかしてと思って」


 貴方に会いに来ました、という言葉は出てこなかった。


(自ら関係を絶ったのに。よく恥ずかしげもなく彼を尋ねられたな、私)


 自分でもどうしてこんなことをしているのか理解できていないロズアトリスは自問する。


 皇宮に赴いたロズアトリスは、当初、秘密裏にヴェルを助け出して逃がそうと考えていた。様々な策を考えたが、より確実なのがその方法だったからだ。悪いことだとは分かっていた。だが、そうでもしなければ間に合わないと思っていたのである。


 しかし、皇宮へ来て、こんな深夜に一部屋だけ明かりが点いているのを見たとき、希望の光を見たような気がした。


 もしかしてと彼の顔を頭に浮かべながら明かりの元へ行き。別人の部屋かもしれない、堂々と玄関から入るべきか、でも――ともだもだする思考を追いやって、まずは部屋を覗こうと木を登った。そしたら案の定、ティモシーが現われたというわけだ。


「……すみません、出直します」


 ロズアトリスはやはり、こんな風に彼を尋ねるのは良くないと思い、木から降りようとした。


「お待ちください! ロズアトリス様!」


 しかし、ティモシーに引き止められて、ロズアトリスは降ろしかけた足を止めた。


「どうぞお部屋へお上がりください。危ないですから、お手をお貸しします」


 ティモシーは器用にバルコニーの柵に立ち、両手を広げる。


「危ないですよ!?」


 ぎょっとしたロズアトリスが心配すると、ティモシーははちみつがとろけたように笑った。


「これくらい、大丈夫です。貴方を安全に降ろしてみせますよ。さぁ、こちらへ」


 ずい、と手を近付けてくる。


 ここで断ってもかえって危険を招くかもしれないと理由をつけて、ロズアトリスは彼の首へ腕を蒔きつけ、身を委ねた。ティモシーはロズアトリスを抱えた状態で軽々とバルコニーへ降り立ち、そのまま部屋に入ってソファにロズアトリスを座らせてくれた。


「お身体が冷えています。ホットミルクでも用意させましょう」


 ティモシーが言うと、シリルが察して部屋を出ていった。断る機会を逃したロズアトリスは「ありがとうございます」と礼を述べる。それを最後に、ロズアトリスは口を閉じてしまった。


 彼に話したいことがある。頼みたいことがある。喉まで出掛かっているのに、上手く言葉が作れないのだ。


 向かいに座ったティモシーも何も言わない。


 結局二人はシリルがホットミルクを乗せた盆を持って来るまで喋らなかった。


 シリルは部屋に入ると、まずロズアトリスにホットミルクを渡してくれた。ロズアトリスは大きめのカップに入ったホットミルクの水面を見つめる。次にホットミルクを受け取ったティモシーはすぐに口をつけた。ロズアトリスは遠慮していたが、ティモシーが口をつけたので自分も一口飲んだ。


 とろける甘さだった。おそらくはちみつが入っているのだろう。吐いた息がほっと宙で転がって、カップを持つ手から伝わるぬくもりに身体が絆されてゆく。


「お口に合いましたか?」


「えぇ」


 ティモシーは「良かった」と優しく笑った。ロズアトリスはホットミルクと彼の温かい笑顔に気を取り直した。


「……実は、お願いがあって、殿下に会いに来ました」


「聞きましょう」


 前のめりになって、耳を傾けてくれる。


 ロズアトリスはティモシーに最初から説明した。大聖女エラヴァンシーから受け取った第一の試練の内容。先刻ルドルダ大聖堂であったこと。それからロズアトリスが第一の試練をどのように受け取ったのか。


「わたくしはシャルルリエルと争うつもりはありません。事件さえ解決すれば良いと思っています」


 カップの水面を見つめたまま語るロズアトリスに、ティモシーはなるほどと頷き、先を促す。


「では、お願いというのは何ですか?」


 ロズアトリスは一拍置いてから、顔を上げた。


「しかし、わたくしはシャルルリエルの用意した答えに納得できませんでした。罪人の罪は裁かれるべきで、罪人は赦しを乞わねばなりません。けれど二度と罪を繰り返さぬよう、己を律して『生きる』べきなのです」


 瞳は見えずとも、引き締まった唇がロズアトリスの決意を如実に表している。


「この国の民は、不平等な法の下にさらされています。理不尽な判決と裁きだけの時代を繰り返させてはなりません。ですから殿下には、宝石ドロボウ事件の犯人の命を助けるために、協力してほしいのです」


「殿下に罪人の隠避、あるいは蔵匿の片棒を担げとおっしゃるのですか?」


 これまで黙って聞いていたシリルが口を出す。ティモシーはシリルを睨んで咎めたが、シリルは澄ました顔を崩さなかった。


 罪人を逃がすなどという行為に協力してくれと頼んでいるのだ。シリルが主を心配するのは当たり前だろう。だが、そうでもしなければ平民である犯人、ヴェルの命はない。そう情に訴えかけるように言えばシリルも納得し、ティモシーも動いてくれるかもしれなかった。


 しかし。


「えぇ、そうです」


 ロズアトリスは敢えて悪い部分を強調した。


「帝国法をいくつか破ることになるでしょう。罪悪感が残るかもしれません。宝石ドロボウの命を助けるために負った罪は償わねばならなくなります。そして――わたくしもですが――殿下は、それらを他の者たちに悟られることなく遂行しなければなりません。そうでないと捕まって裁判にかけられてしまいますからね」


 ティモシーは穏やかな表情の裏に考えを隠していて、彼が何を思っているのかは全く読めない。一目で無表情だと分かるシリルと違って好意的にも見える分、厄介だった。


(だが、それなら――)


 かえって言葉を選ぶ必要はない。


 ロズアトリスは細い指先で己の胸を差し、言い切った。


「殿下には、わたくしと闇に堕ちる覚悟がおありですか?」


 冷たい空気を引き締める、気品。わざわざ深更に木を登ってまで頼みに来たはずなのに、下手に出ることなく、また取引を持ち掛けることもなく、相手の感情を揺さぶることで結論へ導く方法を選んだロズアトリスを前にして、ティモシーは深く、深く息を吸った。


「……罪を知り、それでも光を選ぼうとする貴方のためなら、喜んで堕天いたしましょう」


 天使のような純真無垢な笑顔がロズアトリスに向けられた。

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