第四章18 闇の代表取締役ノア(彼は私にすべてを委ねた)

 まだ夜も明けきらぬ暁の、荒れ果てた廃屋。一部の屋根が落ち、壁もところどころ壊れ、隙間風がびゅうっと音を立てる。


 ロズリーヌはマルティーニを引き連れて、壊れて建付けが悪くなった扉から中へ入った。異臭が一気に鼻を突く。それでも何食わぬ顔でロズリーヌは人の気配を探した。古びているが形を残している家具を後目に、木くずの山を回避し、薄暗い室内を進んでいく。そうしてとある部屋の前まで来ると、複数人の子どもたちが身を寄せ合って冷たい床に寝転がっているのが見えた。


「……しんにゅうしゃだ!」


 二人の気配に気づいた一人の子どもが飛び起きて騒ぐ。寝ていた他の子どもたちも目を覚まし、覚醒が早い子から順番に我先にと逃げて行く。けれどたった一人だけ、別の部屋からこちらへ戻って来る者がいた。


「俺たちの家に無断で入ってきたやつは誰だ!」


 戻って来た少年が叫ぶ。長く伸びた癖の強いアンバーの髪を首の後ろでまとめ、印象的な紅の瞳をした、ひょろりと背の高い少年だ。


「……ヴェル。貴方に話があって来たのだ。応じてくれるか?」


 聞き込みをしていた日に出会った少年、ヴェル。


「誰かと思ったら聖人オジョーサマかよ。この場所はどうやって知った? どうしてここへ来たんだ?」


 ヴェルは侵入者がロズリーヌだと知り興奮を抑えたが、警戒心は全く薄れていなかった。むしろロズリーヌがここへ来たことを不審がり、より緊張が増したようだ。


「貴方の居場所は彼女マルティーニが調べた。私がここへ来た理由は思い当たるのでは? 宝石ドロボウさん」


 ロズリーヌが包み隠さず答えると、ヴェルは目を大きくして一瞬驚いた表情をしたが、すぐに挑戦的な目つきになった。


「ハッ俺が宝石ドロボウ? 証拠を見せてみろよ!」


「証拠はない」


「だったら……」


「だが証言はある。それから、私には貴族という身分がある。貴方は平民で、この国の法律は貴族のためにできている。証言さえあれば、私は貴方を罪人にできるのだ」


「……俺を脅す気かよ?」


 勢いが萎んだところへ「脅されてくれるのか?」と追い打ちをかける。ヴェルは苦虫を嚙み潰したような顔をしてぐっと喉を鳴らした。


 ヴェルの足には逃げそびれた子どもたちが纏わりついていた。


 彼の視線が左右に泳ぐ。逃げ道を探しているか、あるいは子どもたちを逃がす経路を探っているのだろう。しかし、幼い子どもたちを逃がし、自分も逃げ果せるわけがない。


 やがて観念したように、ヴェルは大きなため息を吐いた。


「……話って、何だよ」


 ロズリーヌはにこりと笑ってみせた。


「応じてくれてありがとう。どこか座って話せるところはないか?」


 ヴェルは乱暴に頭を掻き、「こっち」と不愛想に言って、奥の部屋へ案内してくれた。奥の部屋には不相応な真新しいグランドピアノが置かれていて、ロズリーヌは内心驚いた。しかし態度や口には出さず、ヴェルが己の腕に巻いていたハンカチを解いて敷いてくれたソファに座った。


「ありがとう。紳士だな」


 ヴェルは「別に」と不愛想に口を尖らせた。そうしてマルティーニがロズリーヌの後ろに控えるところを注意深く観察しつつ、大きな椅子に腰かけると、すぐに話を切り出した。


「話っていうのは……俺が宝石ドロボウだって話かよ?」


 ロズリーヌは静かに頷く。


「じゃぁ、もう、それで終わりじゃねぇか。お前の言う通り、俺は宝石ドロボウだ」


「あっさりと認めるのだな」


「ここまで追いかけて来てよく言うよ」


 全てを諦めているかのように、ヴェルの声には灯がない。


「それにお前、この間の夜、地下まで俺を追いかけて来ただろ? よくあの地下に入って出て来られたな?」


「あの街の領主と仲良くなったのだ」


「ノアと? へぇ。あいつの好みってお前みたいな女だったんだ」


 ロズリーヌはなんだかヴェルが勘違いしているような気がしたが、彼の声にいくらか活力が戻ったので、訂正しないでいることにした。


「ノアには良くしてもらっている。貴方の情報を買ったのも、彼からだ」


 ヴェルは「あいつ、俺の情報を売ったのか……やっぱり信用ならねぇ」と低く呟いて、自嘲気味に笑った。


「それで、俺の情報はどのくらいの価値があったんだ?」


 ロズリーヌは顎に手を添え、ふぅむと考えるふりをしてから、マルティーニを振り返った。


「マルティーニ。私はどれだけ払ったのだったか?」


「彼が奪おうとした『女神の赤い首輪』。それから地下通貨で一億ですね」


 マルティーニが事も無げに告げると、ヴェルは驚いて前のめりになった。


「はぁ!? それって普通は一生かかっても稼げる額じゃないぞ!? 俺の情報ってそんなに価値あったの!?」


「そうだ」


 ロズリーヌが至極全うだというように頷けば、ヴェルは「なんで」と震えた。


「……貴方の情報には、貴方の『命』がかかっていたからだ。本来なら『女神の赤い首輪』と地下通貨一億でも足りないが、彼なりの妥協案だろう。人の命はお金に替えられないからな」


「そんな! うそだ! あいつはそんなやつじゃ」


「彼は貴方が持って来た宝石を二つ返事で買い取っただろう。それは貴方が宝石を別のところに売れば、すぐに足がついて捕まってしまうと考えたからだ。それに彼は『宝石ドロボウ』の情報は決して売ってくれなかったよ」


「お前、さっき、俺の情報を売ってもらったって……」


「私が買ったのは『女神の赤い首輪を奪おうとして失敗し、地下都市に逃げ込んだ者の情報』だ。私の『女神の赤い首輪』を奪おうとした貴方が宝石ドロボウだ、と判断したのは私」


 ヴェルは口を開けて何かを言おうとしたが、すぐに閉じて下を向いた。ロズリーヌは表情を見えないようにして考え込むヴェルの後頭部に言葉を投げた。


「彼は、私にすべてを委ねた」


 ハッとして顔を上げたヴェルは、次いで言葉を失った。


 窓から差し込む夜明けの陽光が、ロズリーヌを照らし出す。黒いはずの髪が白く輝き、顔には影が降りて表情が見えない。まるで、教会の女神像を前にしているかのような――。


 ヴェルは思わず彼女に問いかけた。


「貴方は、俺をどうするつもりなんだ――?」

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