第二章04 悪女ロズリーヌ・トリオール(私が今まで目にしてきた彼は何だったんだ?)

 夜風の冷気が心地良く髪をさらう。


 会場の不必要な熱を下げるため、一旦バルコニーへ下がったロズリーヌはマルティーニと肩を寄せ合った。


「よくやったマルティーニ。そのワインは屋敷に帰ったらピエールに調べさせてくれ」


「かしこまりました」


 マルティーニが頷いてハンカチをしまったとき。



ワァーッ



 会場から大きな歓声があがった。「チャリティーオークション史上最高額に違いない!」「物凄い金額だ!」などという興奮した声がバルコニーまで飛んでくる。


 すかさずマルティーニが「聞いてきます!」と事情を探りに向かい、ほどなくして血相を変えて戻って来た。


「ローズ様! 『女神の赤い首輪』が二億ルーブで落札されました!」


「二億ルーブ!? あのネックレスは五千万ルーブといったところだろう!?」


 あまりの高額にロズリーヌは目を回した。チャリティーオークションで打ち出される金額ではない。


「二億なんて、いったい誰が……」


「――私ですよ。ロズリーヌ・トリオール伯爵殿」


 毅然とした声が響き、ロズリーヌは息を呑んだ。


 プラチナブロンドの長髪を首の後ろで一つに結わえた青年がホールを背に立っている。黄金の瞳は夜の闇を切り裂くように鋭く、それでいてどこか艶やかだった。ネイビーの礼服に包まれた逞しい身体、彫刻のように整った顔立ち――その冷厳たる佇まいは夜風すら震わせる。


 ティモシー・ド・レピュセーズ。


(彼が……現れるとは。今まで一度も『このわたし』に話しかけてきたことなどなかったのに)


 ロズリーヌは動揺を押し隠し、優雅に礼をとる。


「――ご機嫌麗しゅう、殿下」


 ティモシーはまるでその仕草を吟味するかのように静かにこちらを見つめながら、隙の無い動作で隣までやって来た。


「こんばんはロズリーヌ嬢。お話をするのは、これが初めてですね」


「えぇ」


 端的に答えることで暗に会話をする気はないことを示したつもりだった。しかし。


「おや? せっかく貴方と話すために高額でこちらの品物を競り落としたというのに、随分とそっけないのですね?」


 ティモシーはピリリと冷たい気を放ちながら、ロズリーヌの前に『女神の赤い首輪』を掲げた。


(少しでも応対を間違えたらまずい)


 彼に対する警戒心が膨れ上がる。


 ロズリーヌがどう言葉を返すべきか考えあぐねて黙っていると。


「……こちら、貴女にお返しいたします」


 ティモシーが『女神の赤い首輪』を握らせてくれ、ロズリーヌはさらに困惑することになった。


「な、なぜ、高額で落札したにもかかわらず、私の手元に?」


 彼はバルコニーの柵に肘をついて、眼下の中庭に視線を落とした。


「お礼……ということにしておいてくれますか」


「お礼?」


「先ほど、貴女が言っていたでしょう」


 ティモシーはふっと笑い、バルコニーから下へ言葉を落とすように、一つ一つ丁寧に告げる。


「『偽善で助かる人がいるなら、誰が何と言おうと支持いたします。聖教会だけではすべての人を助けられないのが現状ですもの』と。まったくその通りだと思いまして。少し、悩んでいたのですが、貴方の言葉で晴れました」


 彼の横顔には穏やかさと冷徹さが同居している。ロズリーヌの知るティモシーには悩みなんて無縁で、どうしてそのような顔をしているのかも分からなくて、妙に惹きつけられた。


「……精力的に活動されている皇子様のような方が悩みなんて」


「貴方は私の何を知っているのです?」


 ぴしゃりと突き放すような声が刺さり、ロズリーヌは言葉を失った。


「冷たい人ですねっ」


 すかさずマルティーニが不満を呟く。ティモシーは「これは失敬」と全く悪びれもせず口角を片方だけ上げて、『女神の赤い首輪』を顎で煽った。


「とにかくまぁ、そういうわけでお礼をと思い、そちらの品物を競り落として貴方の元へ返そうと思ったのですが。ロズリーヌさんはお気に召さなかったようですね」


「そんなことはありません」


 ロズリーヌは首を振る。驚きはしたものの、『女神の赤い首輪』が手元に戻って来たことは純粋に嬉しかった。彫刻家の家族には手放すことを話し、競売の許可を得たけれど、彼らが心の底で残念がっていることが分かっていたからである。


「これが私の手元にあるのは元の持ち主たちの意向でもありましたら、とても嬉しく思っています。ただ、とても高額で競り落とされたとお聞きして、驚いてしまって」


 正直に話すとティモシーは何ともないように「あぁ」と頷いた。


「今の『女神の赤い首輪』にはそれだけの価値がありますから、お気になさらず」


「【審美眼】ですか?」


「よくご存じで。そう、私の魔力、【審美眼】です。ですから間違いありません」


 【審美眼】というのは、【魔力】から発言した特別な力のことだ。彼の【審美眼】は、ものの真の価値を見出す力。彼が価値相応だと言うのなら、『女神の赤い首輪』の二億ルーブは妥当なのだろう――が。


「何故そんなにも価値が上がったのでしょう?」


 さすがに相場の倍以上というのは不可思議だ。ティモシーはそんなロズリーヌの疑問に答えてくれた。


「『女神の赤い首輪』の価値は貴方が存在しているからこそ高いようです。『赤い首輪の女神像』は……貴方にそっくりでしょう?」


 ロズリーヌの代わりにマルティーニが頷く。ティモシーも満足そうに頷いた。


「『赤い首輪の女神像』は亡き天才彫刻家の理想の女神を形にしたものと聞いています。彫刻家が生きていて、その理想が実在していると知ったら、さぞ感激したことでしょう。彫刻家亡き後、『女神の赤い首輪』と『赤い首輪の女神像』を所有していた遺族が貴方に二つを譲ったのがその証拠です。『女神の赤い首輪』は貴方の元にあることが相応しいのですよ。そして『女神の赤い首輪』は貴方のものであるが故にさらに価値が上がるようです。貴方が持っている間に、二億跳んで百万、二百万と、増え続けていますよ」


「本当ですか?」


「――さぁ、どうでしょう」


 弄ぶかのような悪戯な唇にロズリーヌの心臓は呻いた。たまらずマルティーニを呼び寄せ、扇子の裏で耳打ちする。


「ティモシー殿下って、こんな人だったか?」


「はい。殿下はこういう人です」


 二つ返事で返されて、ロズリーヌの頭の中には疑問符がいくつも浮かんだ。ロズリーヌの知るティモシーは、決してこのような、意地悪な物言いをする人物ではなかったからだ。


(どういうことだ? 私が今まで目にしてきた彼は何だったんだ?)


 彼が先ほど言った「貴方は私の何を知っているのです?」という言葉が頭の中で巡っている。


(彼のことを良く知っていると思っていたのは、私の勘違いだったのか……)


 本当に彼のことを知らなかったのだと思い知らされて、ロズリーヌは内心落ち込んだ。

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