第二章01 悪女ロズリーヌ・トリオール(これを待っていたのだ)

 サラ・ブライトン公爵夫人主催の夜会に、噂の悪女ロズリーヌ・トリオール伯爵が登場した。


 夜の雫の艶やかさを梳き込んだ癖のない黒長髪。白い肌は真珠のように輝いて、繊細なまつ毛に縁どられたマゼンダの瞳には星が宿る。大きなルビーをつかった豪奢な金のネックレス『女神の赤い首輪(ルージュ・ドゥ・ラ・デエス)』とマルベリーのドレスがより鮮烈に彼女の存在を彩り、見るものを釘付けにする。


 ロズリーヌは十七歳にして伯爵位を持つ類まれな存在だ。その若さと性別に反して栄誉を手にした彼女は、数えきれないほどの噂を生んでいた。


「出たわ! 嫉妬深い女! 私の婚約者に色目を使って!」


「欲にまみれた浪費家よ。見てよ、あの『女神の赤い首輪』。これ見よがしに!」


「早くに子どもを亡くしてから養子も取らなかった老伯爵夫婦が突然養子と取ったと思ったら、すぐに天に召されて彼女が伯爵位を継いだろう? 裏があると思わないか?」


「傲慢で高飛車な小娘が伯爵位なんて」


「「「この、悪女め」」」


 彼女の姿を目にした貴族たちの顔に畏怖と嫉妬の色が浮かんでいる。


「……ローズ様。また根も葉もない噂を好き勝手言わせておくんですか? ローズ様の許可をいただければ、残らず蹴散らしますよ?」


 ロズリーヌに耳打ちする橙色に近い赤毛の少女は男爵令嬢マルティーニ・ヴァンサン。幼い頃からロズリーヌに仕えてくれている従者であり、唯一無二の友である。


「それくらい、言わせておけば良い。かえって否定して回った方が、角が立つ」


 ロズリーヌがその口から女性にしては低めの声で言えば、マルティーニは不満そうに口をすぼめたが素直に聞いた。ロズリーヌとしては、彼女に噂の鎮圧を頼んだら大惨事になりかねないので止めたまで。マルティーニの『蹴散らす』は文字通りなのである。


「それより、今日ここへ出向いたのは情報収集のためだ。分かっているだろう?」


 ロズリーヌが黒いレースの扇子で口元を隠して確認すると、マルティーニは「もちろんです」と力強く頷いた。


「必ずや巷を騒がす宝石ドロボウの――」


「ロズリーヌさん」


 後ろから声をかけられ、二人は即座に話を中断した。


 振り返ると、アッシュグレーの髪を頭の後ろでまとめた品の良い女性が立っていた。今宵の夜会を主催したサラ公爵夫人だ。


「わたくし主催の夜会にご出席ありがとう。それからチャリティーオークションのために寄付を頂けるということで、大変感謝しています」


 サラ公爵夫人はまず礼を言ってから、ロズリーヌが受付で渡した小箱を取り出した。しかし、すぐに表情が暗くなる。


「でも、問題が……」


 震える夫人の細い指が、小箱の蓋を開けた。


「中が……空っぽなの」


 サラ夫人が言った通り、小箱の中は漆黒のビロードの布が敷かれているだけで、何も入っていなかった。


 ざわっ


 二人の話に耳を傾けていた者たちの間で、不安が波紋のように広がった。


「もしかして、最近貴族ばかりを狙っている怪盗!?」


「えぇ!? 盗まれちゃったの!? お気の毒だけれど、天罰でも下ったのかしらね」


「でも、ということはこの会場に怪盗がいるということにならない?」


「そんな……」


 好奇心と悪意が入り混じる囁きが飛び交う。


(……これを待っていたのだ)


 しかしロズリーヌはふっと微笑み、黒いレースの扇子をパンッと打ち鳴らした。


 途端、騒いでいた者たちが静かになった。皆の視線が降り注いでいることを感じながら、ロズリーヌは口を開く。


「公爵夫人、お招きありがとうございます。――実は、今宵のチャリティーオークションにはこちらを出品しようと思っているのですよ」


 ロズリーヌは首の後ろに手を回して『女神の赤い首輪』を外した。大粒のルビーが揺れ、妖艶な魅力を放つ。希少な紅い輝きには誰もが息を呑むしかない。


 先ほどまでの畏れや嫉妬を帯びた視線が一転して、欲望に満ちた熱烈な視線に変わった。サラ公爵夫人は唖然として目を見開いている。


「まさか、その『女神の赤い首輪』を!? 本当に!?」


「もちろんです」


 赤い唇を弓なりに曲げて、小箱の中にそっと『女神の赤い首輪』を収めるロズリーヌ。


「わたくしにこの首輪を譲ってくださった方々の許可も得ています。お望みなら『赤い首輪の女神像(デエス・オ・コリエ・ルージュ)』もお譲りしますよ」


「まぁ! なんて素晴らしいの! 本当にありがとうございます!」


 サラ公爵夫人は感激した様子で瞳を輝かせた。


「実は、目玉になる物が無くて困っていたんです! 最近チャリティーオークションは流行っていないから出品物が少なくて。それにわたくしたち貴族を狙った強盗が出るようになって、みなさん警戒していらっしゃるでしょう? だから……」


「強盗ではなく、怪盗だよサラ」


 温厚な声を携えて、初老の紳士がサラ公爵夫人の肩を抱いた。アルバン・ブライトン公爵だ。


 ロマンスグレーの髪に深い赤色の目をした紳士ブライトン公爵は、四十を過ぎてサラ夫人と結婚した。ブライトン公爵は初婚だが、サラ夫人は夫に先立たれ二度目の結婚。二人の間に子どもはいないがサラ夫人の連れ子が二人いるという貴族には珍しい夫婦で、社交界では有名である。


 サラ夫人は夫の登場にこれまでの興奮を抑え、「そう、そうだったわね。怪盗ね」と頷いて話を続けた。


「その怪盗が出る所為で、みなさん護衛をいつもより増やしていて出費が激しいからか、落札金額も少ない傾向にあるみたいなの。でもこれならみんな飛びつくわ」


 そういうサラ夫人の首には至極立派な大粒のサファイアのネックレス『深海の雫(ラルム・ドゥ・アビス)』が輝いているのだが、手放す気は無いのだろう。


「それでは、これからこのネックレスをオークションにかけるわ。落札金額は後でお教えいたしますね」


 ロズリーヌが頷くと、サラ夫人は『女神の赤い首輪』を辺りに見せびらかすように大袈裟に踵を返した。

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