第24話 解呪

 わたしを囲んでいた結界がガラスのように割れ、散らばり消滅する。その中で光の桜吹雪に巻かれたわたしは、宵月を真っ直ぐに見つめた。

 この力が何なのか、感覚だけれど確信している。ちょっと中二病ちっくかとも思うけれど、この世界自体が現実離れしているからもう気にならない。


「花乙女の名を借りて、あなたから冬を取り戻す」

「……へぇ、オレに操られるのにそんなこと言うのか」


 宵月は、わたしの足が小刻みに震えていることに気付いたのかもしれない。そして彼は、パチンッと指を鳴らす。


 ――ドクン。


 宵月が指を鳴らした瞬間、わたしの中で何かが目を覚ました。「わたし」を奪い取ろうと暴れるそれに抗おうとすると、胸が鈍器で殴られるように痛い。


「はっ……はっ……」

「……心護? どうした、心護!?」

「心護様……」

「心護様! 負けないで!」

「頑張るなぁ。でも、いつまでもつかな?」

「――っ」


 脂汗か冷汗か、わからない変な汗が背中に噴き出す。血圧が下がった気がして、視界が狭まる。

 わたしの急激な変化に驚いた青様たちの声が、遠い。「大丈夫」なんて言いたいのに、声が出ない。「助けて」と呼ぶことも出来ない。


「……っ。っぁ……」


 ギュッと胸元の服を握り締めて、屈してしまいそうな気持ちを奮い立たせる。ここで負けたら、何のために覚醒したのかわからないじゃないか。

 わたしの中に巣食う何かが、最奥に手を伸ばした気がした。ダメ、そこまで来ないで。そんな悲鳴など、お構いなしに。


(諦めたくない。でも……)


 意識の端で、自分ではない何かが動き出すのを感じる。恐怖で体が強張って、耳も遠くなっていく。朝花ちゃんや夜鳥くんが叫んでいる声が、聞こえない。


『あと、もう少しだ。楽にして良いんだぞ?』


 思わず耳を塞ぐけれど、低く轟くような声が頭の中で反響する。もう、ダメなんだろうか。

 わたしがわたしでなくなる感覚が押し寄せてきて、わたしはひとりでに涙が溢れるのを止められない。


「……ひっく……ごめ……」

「諦めるな馬鹿野郎!」

「――!?」


 その声は、怒号ではなかった。わたしを叱る声ではあったけれど、奥底に苦しさとか悲しみとか……愛しさとか、そういうものがたくさん入った声だ。

 思わずびくりと体を震わせたわたしを、誰かが抱き締める。びっくりして顔を上げたかったけれど、その誰かが後頭部を押さえていて動かせない。


「……一人でどうにかしようとしなくて良い。これは、おれの領分だ」


 囁かれた声に、ほっと肩の力が抜ける。誰に抱き締められているのか、確信を持ってわかったから。


「あ、お、さま……」


 青様の服を握り締めれば、背中をぽんぽんと軽くたたかれる。やめて、涙腺が崩壊するから。


「……少し、我慢しろよ」

「?」


 青様がわたしの前髪をかき上げた。何をするのかと思えば、わたしの額を指で触れる。するとわたしは、額に一瞬の熱さを感じた。その後、何かを見つめる青様が「やはりか」と唸った。


「……宵月、お前は」

「オレは本気だよ、兄上。あんたが近くにいることでオレの干渉はし辛くなっているけど、不可能じゃあない」


 クックと嗤う宵月だけれど、彼の前には夜鳥くんが立ちはだかっている。更に朝花ちゃんも結界を創って、宵月がわたしたちの方へ近付けないように気を配っていた。


「……宵月様、それ以上進むのなら容赦しません」

「既に容赦とか何処かに捨て置いているだろ。それに、オレがやろうと思えばお前たち二人くらい何とでもなることを忘れるな」

「……その何とでもなる者たちに足止めされているくらいには、あなたも消耗しているんですよ」


 夜鳥くんは漆黒の翼を広げ、いつもよりも低い声でそう言った。わたしから表情は見えないけれど、きっと険しい顔をしているのだと思う。


「――チッ。ただの眷属が、いきがってんじゃねえぞ」


 宵月は舌打ちし、夜鳥くんと朝花ちゃんを退かせようと剣を振るう。だけど夜鳥くんがそれに応じ、朝花ちゃんが援護しているようだ。


「主、ある程度は、耐えます」

「早くお願いしますね」

「……わかっている」


 夜鳥くんと朝花ちゃんに言われて、青様は何かに迷っているような声で応じた。その声が上から落ちて来るから、そう聞こえたのかもしれない。

 わたし自身は今も青様の胸に顔を押し付けているような格好のままで、かなり恥ずかしい。でも青様の大きな手で捕まえられていて、心臓が疾走しているから動けない。


「あ、あの、青様……」

「……宵月の呪いを解く。目を閉じていてくれ」

「解く……? あ、はい」


 素直に目を閉じ、何が起こるのかと身構える。すると、ふわりと額に風があたった。その風の正体に気付くのは、小さなリップ音を聞いてから。


(――えっ)


 目を開けて良いとは言われていないから、閉じたままで。それでも心臓が暴れ回って大変で、顔も体も全部が熱を持つ。特に額は、別種の熱をはらんでいるような気がした。


「あ、あお、さま……」

「……宵月の呪いを解くには、上から俺の力で上書きするしかない。だから……わるいとは思ったんだが」


 口づけした。


 青様の声はかすれていて、それが異様に艶っぽく聞こえてならない。この胸のドキドキという音がどういう意味を持つのか、もう知らんぷりをすることなんて出来ないくらい、気持ちが大きくなっている。

 だけど、状況はそんなに甘いものじゃない。わたしは青様の胸元に視線を落としたまま、声が震えないよう気をつけながら尋ねた。


「……呪いは、解けたんですか?」

「解いた。これでもう、お前は宵月に操られることはない。――だから、もう観念するんだ。宵月」


 再びわたしを抱き締めながら、青様は実弟へと言葉を向けた。

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