第4話 約定の婚姻
心臓が痛いくらいに鳴っている。これは、どんな種類の緊張だろう。
ここからは、わたし自身の選択が未来を決める。柄にもなく、そう思った。
わたしは真っ直ぐに青様を見上げ、はっきりと言う。
「わたしは、あなたを信じてみることにします」
「つまり、我が妻になってくれるということか?」
「……そうです」
改めて言われると、恥ずかしい。プロポーズを受ける人の気持ちってこういう感じなのかな。思っていたものとは全然違うけれど。
だけどわたしが神様に嫁ぐことで、冬を失い桜の花も失った日本に、それらを取り戻すことが出来るのなら。そういう覚悟を決めてのことだから、わたしは言っておかなければと「ただし」と青様に言った。
「ただし、これは約定を果たすためだけの関係ですから。……日本に冬を取り戻し、桜の花を咲かせるための」
「契約結婚、と言いたいのか。……よかろう」
くっくと楽しそうに笑った青様だけど、一瞬寂しそうに見たのは気のせいだろう。
ふと差し出された青様の手。戸惑って彼の顔を見れば、眉をハの字にして苦笑いしていた。
「俺の手を取れ、桜守の娘。それが、この約定を結ぶこととなる」
「……わかりました。あと、わたしの名前は
「知っているさ、心護。……ずっと前からな」
おずおずと青様の手に触れれば、大きくて温かな力が体に流れ込む。驚く間もなく彼に手を握られ、引き寄せられた。
額がとんっとあたったのは、青様の胸元。大きな手がわたしの肩を掴んで、抱き寄せている。それがどうしようもなく恥ずかしくて、緊張して、混乱した。
(何でわたし、こんな強引な男にドキドキしてるの!?)
もともとの好きな男性のタイプは、優しくて誠実な人だ。断じて、強引な俺様系の神様なんかじゃない。
わたしの大混乱など知らないまま、青様はふっと口元を緩ませる。
「行くぞ、嫁君」
「嫁って。ん? 行くって、何処へ……?」
「千年前だ」
「せ、千年前!?」
待って、どういうことですか? わたしそんなこと聞いてないんですけど!?
そんなわたしの文句になんて耳を貸さず、青様は何かしらの力を使ってこの世界からわたしごと姿を消した。後に残ったのは、幻の桜吹雪と夜の風景だけだった。
❀❀❀
おそらく、時の狭間とかそういう類に漂っている時なのだろうけれど、わたしは夢を見た。
幼いわたしが、神社の境内を駆けている。五歳か六歳の年頃に見えるけれど、この時の記憶はわたしにはない。
(自分を
丁度、後頭部を斜め上から見ているような感覚。幼いわたしは何処か行きたいところがあるのか、迷わず足を前に動かしている。
何となく周囲を見渡せば、何処かの神社の境内だ。桜塚の家系は日本全国で神主をしているから、幼い頃訪れたどれかだろう。これでも当主の家だから、色んな場所に呼ばれるのだ。
やがて幼いわたしは何かを見付けたらしく、何かに手を振りながらより速く駆け出した。
「 」
「また来たのか。飽きないな」
「 」
「そうか。なあ……お前が大人になったら……」
幼い自分が何を言っているのか、聞こえない。ただし、自分と話している誰かが言っている内容はわかる。声は一切聞こえないけれど。頭の中に、言葉が意味として流れ込んで来るイメージだろうか。
そして、相手の姿もぼんやりとして見えない。霧がかかっているかのように、何となく人がいるんだとわかる程度。
(一体、あなたは誰なの?)
試しに手を伸ばしてみるけれど、触れることは出来ない。そういえばさっき幼いわたしについて行った時、木や建物もすり抜けた。
じっと見つめても、その誰かがわたしに答えをくれることはない。
(これがわたしの記憶だとして……どうして覚えがないんだろう?)
幼いわたしは『誰か』との会話を終え、呼ばれてもと来た道を戻る。そちらを見れば、今より若いわたしのお母さんが立っていた。
(お母さんはお母さんとわかる。幼いわたしもわたしとわかる。なのに……どうしてあなたはぼやけるんだろう)
振り返るけれど、ぼんやりとした人影が見えるだけ。
幼い頃の記憶は、成長して薄れることが多い。けれどこれは、消しゴムで消されたみたいに跡形もない。
(……もしかして、あなたは)
何故か、目が合っている気がする。目が何処にあるのかは見えないけれど、確証はないけれど。わたしは幼い自分が去って行くのを追わず、その場に留まった。
「――あなたは誰? どうして、わたしはあなたのことを覚えていないの?」
「……」
「って、夢だもんね。そう自分の思う通りにはならな……」
ならないよね。そう呟きかけた時、不意に声が聞こえた。男の声と女の声が混ざったような複雑な声色だ。
「……わかる時が、必ず来る。その時、もう一度会おう」
「また、会う時が来る?」
わたしの問いかけに、相手は頷いたようだった。
もう一度言葉を交わした位と思ったけれど、二度目はない。それどころか、わたしは突如風に呑み込まれ、そのまま気を失った。
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