第10話 伝説が帰還した

エルフォフの森




奇妙な音を聞いた瞬間、トゥーロはすぐさま駆け出した。


その音に気づいたのは彼だけ。他の者たちは何かに夢中だった。




森の奥深くに、そいつは立っていた。


感情も理性も持たぬ存在――それは、自然の誤作。


人工的に生み出された純粋な怪物だった。




「……なんだ、あれは……?」




焦げた木々の間に、それはいた。


五つの自然属性――火、水、風、土、雷――すべてを操る異形。


その輪郭は人間に似ているが、魔獣の要素をも備えていた。


光速を超える動きを可能にする魔力の限界点を超えた存在。


このレベルに達した者は、もはや重力さえ意味をなさない。




「……山賊じゃないな……」


トゥーロは鞘から短剣を抜き取った。




「逃げて!」


空気を裂くように、リアナの叫びが響いた。




「あなたが戦える相手じゃない! あれは……あれは、恐るべき力を持つ怪物よ!」




トゥーロは一歩後退した。


だが次の瞬間、リアナが前に飛び出した。




「逃げなさい! 私が時間を稼ぐ! 援軍を呼んで!」




彼女の剣は特別な魔法で輝き、与えるダメージを倍加させる。


身体を限界まで強化し、感覚も極限まで高めたリアナは、


数万にも及ぶ高速攻撃を繰り出し、戦いは光速を超える次元へ――




だが。




魔物は反射的に、リアナの属性に対する優位属性で反撃。


その魔法は彼女の攻撃を無効化し、逆に致命傷を与えた。




「なっ……?」




リアナが驚愕する間もなく、


魔物は音も光も伴わぬ一撃で、彼女を全方向から殴打し、


最後の一撃でその腹を蹴り飛ばし、トゥーロの足元に叩きつけた。




「ッ……ぐは……!」




口から血を吐きながら、リアナは意識を保とうと必死だった。




「……逃げて……」


血まみれの笑みを浮かべながら、か細い声で呟いた。


「あなたは……生き延びて……エルフ王と学院に……伝えて……」




その瞬間だった。




最も尊敬する師が目の前で倒れ、


彼女をこうした存在が、今まさに目の前に立っている。


そして自分にできることが“逃げる”しかない――


その現実が、トゥーロの心を締め付けた。




目に涙が浮かび、胸の奥で何かが――爆ぜた。




――門が開かれた。




『……やっとか。


もう起きることはないかと思っていたよ。


ここからが本当の始まりだ』




その声は、魂の奥底から響いた。


トゥーロの内に眠っていた存在が、今完全に目覚めたのだ。




トゥーロの瞳が変わった。


虹彩が輝き、体は一回り大きくなり、筋肉は力に満ちた。


まるで年齢すら増したように――彼の気配は別人のようだった。




リアナには状況が把握できなかった。


彼女はまだ魔物を見ていた。そして叫んだ。




「逃げて、トゥーロ――!!」




だが、もうトゥーロではなかった。


彼の肉体を支配した存在は、リアナの前に立ち、


彼女の口を手で塞ぎ、冷たい金色の瞳でこう告げた。




「忘れるな、愚かな者よ。


この世界で“逃げる”のは、怪物どもの方だ。


我が名を知る者は、恐怖と共にその名を呪うことになる」




そう言い放ち、彼女を地面へと投げ戻した。




その声は異質で、鋭く、冷酷だった。


リアナは涙を浮かべながら顔を上げる。




「……トゥ、トゥーロ……?」




だがそこに立つのは、もはや彼ではなかった。


それは融合だった。


トゥーロと“内なる存在”の完全なる融合――




魔物が再び動いた。


その動きはまさに光速そのもの――だが。




「遅い。」




トゥーロはその全てを見切っていた。


まだ慣れぬ体を感じながらも、動かぬまま様子を見ていた。


魔物が腹を狙って拳を振るった瞬間――




攻撃は届かなかった。


トゥーロの身体を覆う魔力は、触れたものすべてを“消滅”させる。


魔物の腕は肘まで跡形もなく消えた。




すぐさま再生し、今度は魔法での攻撃を仕掛けた――が。




トゥーロは一瞬で姿を消し、


魔物の頭を掴み、軽く持ち上げてから地面へ叩きつけた。


その衝撃で百メートル以内の木々が全て粉砕され、


魔物はそのまま宇宙へ――月へと吹き飛ばされた。




――ドォン!!!




トゥーロは跳躍し、大気を切り裂き、宇宙へと飛び立った。




月面。


魔物は五属性すべてを融合させた最強の魔法を構築していた。




「……それが全てか?」




トゥーロは手を掲げた。


胸元から溢れるエネルギーが黄金の剣を形成する。




神聖魔法:この世界を裁く属性


【英雄のコンセプト】




「冷気……闇……光……歓喜……死……山……惑星……星々……


時間、空間――」




そのすべてが、この剣の前では無に等しい。




魔物を見下ろし、言い放つ。




「この世界から消えろ、哀れな化け物。」




剣が振り下ろされた。


空間も、時間も、真空も、すべてを断ち切り、


魔物の存在を――完全に消滅させた。




静寂が訪れた。


光も音も、抵抗すらもない。


怪物はもう存在しない。


肉体も、魂も、痕跡さえも――なにもかもが消えた。




黄金の光だけが、沈黙の宇宙に漂っていた。




トゥーロの内なる存在は、地球を見下ろして言った。




『見ろ、あれが“お前の”星だ。


もしこれからも無様に“優しき英雄”を演じるつもりなら――


いずれこの星も滅びることになる。


英雄とは、すべてを守る者ではない。


“宇宙すべてにその名を知らしめる存在”だ。


悪を恐れさせ、絶望させるほどの――圧倒的な力を持つ者でなければならぬ。』




――トゥーロは、地球へと戻った。




エルフォフの森。


リアナは木陰で傷を癒すことなく、待っていた。




「ト……トゥーロ……?」




彼は静かに地面へと降り立ち、優しく微笑んだ。




「俺はもうトゥーロではない。


俺は、“英雄のコンセプト”だ。」




そう言いながら、彼はリアナに手を伸ばした。


その手から放たれる光が、彼女の体を包み――瞬時に癒した。




直後、トゥーロは崩れるように地に倒れた。


初めての融合で、力を使い果たしていたのだ。




リアナは彼の元に駆け寄り、腕の中に抱きしめて叫んだ。




「トゥーロ!? トゥーロ――!!」




涙を流しながら、意識を失った彼を見つめ、呟いた。




「あなたは本当に……


伝説の英雄、そのものだわ……」

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