【中編】

「対象物の内部構造解析を試みたのだが、予想外の連鎖爆発反応が……」


 悪びれる様子もなく(むしろ少し不満げに)光線銃(?)の煙を吹き消すルミナさんを前に、私は頭を抱えた。床には無惨な姿になった私の愛読書。これから始まるであろう波乱万丈な日々を思うと、眩暈がしそうだ。


「解析じゃなくて! 本は読むものなの! レーザーとか絶対ダメ!」


「ふむ。チキュウの記録媒体は、物理的衝撃に極めて脆弱なようだな。改良の余地がある」


「そういう問題じゃない!」


 まずは、この惨状を親に見つかる前に何とかしないと……! 私は慌てて本の残骸をベッドの下に隠し、ルミナさんには「部屋にあるものに勝手に触らない!」「変な光線とか出さない!」「そもそも、その物騒な武器(?)しまって!」と、涙目でまくし立てた。ルミナさんは、「解せぬ」という顔をしながらも、とりあえず光線銃をどこかへ収納してくれた。……どこにしまったんだろう。


 翌日からの生活は、まさに綱渡りだった。 まず朝食。「これがチキュウの一般的な朝食か。タンパク質と必須アミノ酸の含有量が基準値を満たしていないが……まあ、許容範囲か」などとブツブツ分析しながら、母が出したトーストと目玉焼きを、意外なほど綺麗に完食するルミナさん。(ちなみに母には「先輩のルミナさん。ちょっと人見知りで変わってるけど、よろしくね!」と紹介済み。母は「あら美人さん! ソラと正反対ね!」と呑気に笑っていた。父は単身赴任中なのが不幸中の幸いだ。)


 学校に行く私を見送る際には、「学術機関への潜入、健闘を祈る! 何かあれば、この私用通信機で…いや、これも故障中か。ならば、原始的なテレパシーを送れ! 受信できるかは保証せんが!」と、真顔でベランダから手を振る始末。(近所の人に見られてないかヒヤヒヤした!)


 家に帰れば、「ソラ、この『テレビ』とかいう情報投影装置は、実に低俗な娯楽ばかりだな。もっと有益な、例えば『銀河系中心部のブラックホール形成に関する最新理論』などをだな……」と、ニュース番組を見ながら説教してくる。疲れて帰ってきてるのに、余計に疲れる!


 そんな、ハラハラドキドキ(悪い意味で)の毎日が数日続いたある日のこと。 私が宿題をしていると、ソファで何かの機械(たぶん故障中)をいじっていたルミナさんが、ふと顔を上げて言った。


「ソラ、この惑星の大気には、未確認の微粒子が多く含まれているようだ。私の生体センサーが、皮膚への付着を警告している。除去する必要がある」


「え? ああ……それ、お風呂に入ればいいんじゃない? 汚れとか汗とか流せるし」


「オフロ……? それは、チキュウにおける身体洗浄の儀式か?」


「ぎ、儀式っていうか……まあ、習慣?」


 説明するのも面倒になってきた。私はルミナさんを洗面所兼脱衣所に連れて行き、お風呂場のドアを開けた。 「ここがお風呂。お湯をためて入るの。気持ちい……」 言いかけて、ハッとした。ルミナさん、着るものがないんじゃ……!? あの白い宇宙服(?)みたいなの、破れてるわけじゃないけど、毎日着てるし。


「あのさ、ルミナさん、お風呂上がったら着る服……」


「む? 心配無用だ。我がボディスーツには、自動洗浄および再生機能が……ああ、これも現在機能不全だったな。となると……」


 ルミナさんは、きょとんとした顔で私を見た。


「ソラの衣服を借りればよいのでは?」


「ええっ!? 私のでいいの?」


「問題ない。サイズは多少合わなくとも、一時的な代用としては十分であろう」


 ……確かに、他に選択肢はない。私は自分の部屋から、少しゆったりめのパジャマと、下着(新品!)を持ってきた。


「は、はい、これ使って。……先にルミナさん、入ってて。お湯、もう溜まってるから」


 私がそう言って脱衣所を出ようとすると、ルミナさんは首を傾げた。


「なぜソラが出る必要がある? 我が身体構造データを記録しておく良い機会だと思うが」


「き、記録なんてしなくていいから!」


ルミナさんは、さっさと浴室のドアを開けて中に入ってしまった。


(……心臓に悪い……) しばらく脱衣所で放心していた私だったが、浴室の中から「ソラ! この『ユブネ』という装置の操作方法が不明だ!」という声が聞こえてきて、慌てて我に返った。


「もう!」


 覚悟を決めて浴室に入ると、ルミナさんは湯船の縁に腰掛け、不思議そうにお湯を眺めていた。


 ルミナさんの素肌……白くて奇麗。……私はその肌に目が奪われそうになって、慌てて目を逸らす。


 何ごとも無かったように、お風呂の説明をする私。……顔が赤くなっていないかな。




「だから、そこに入るだけだって……あ、髪! 長いから、ちゃんと洗わないと」


 ルミナさんの銀髪は、腰まで届くほどの長さだ。これは、一人で洗うのは大変かもしれない。


「……あのさ、よかったら、髪、洗ってあげようか?」


 自分でも驚くほど、自然に言葉が出た。


 ルミナさんは少し意外そうな顔をして、私を見た。


「……チキュウでは、他者の毛髪洗浄を手伝う風習があるのか?」


「ふ、風習っていうか……まあ、たまにね!」


「よかろう。許可する」


 私はシャワーでルミナさんの長い髪を濡らし、シャンプーを手に取った。甘い花の香りがふわりと広がる。緊張しながら、泡立てたシャンプーを銀色の髪につけ、指の腹で優しく洗い始めた。絹みたいに滑らかな髪。少しひんやりとした頭皮の感触。そして、すぐ目の前にある、ルミナさんの白い首筋……。


(……ち、近い……!)


 ドキドキして、顔が熱い。シャンプーの泡が目に入らないように、額に手を添える。その時、ルミナさんがぽつりと言った。


「……この『シャンプー』とかいう洗浄剤は、妙な感覚だな。頭部の神経を、穏やかに刺激するような……悪くない」


「そ、そう? 気持ちいならよかった」


「気持ちいい、というよりは……興味深い、感覚だ」


 ぶっきらぼうな言い方だけど、まんざらでもないのかもしれない。そう思うと、なんだか嬉しくて、少しだけ私の指先の動きも大胆になった。




 お風呂から上がり、髪をタオルで拭いてあげる。すると、ルミナさんはまたとんでもないことを言い出した。


「着替えを手伝え。チキュウの衣服の着脱方法は、いささか複雑だ」


 えええええ!? 手伝うって……!


 顔がカッと熱くなるのを感じた。でも、ルミナさんは至極真面目な顔をしている。もしかして、本当に一人で着られないとか……? いや、そんなわけないと思うけど!


「わ、わかった……じゃあ、後ろ向いててあげるから……」


「なぜ背を向ける? 非効率的だ」


「いいから!」


 結局、私は壁の方を向いて、ルミナさんが服を着る気配に耳を澄ませる羽目になった。サラサラ、という衣擦れの音。そして、なぜか「ふむ」「なるほど」「興味深い構造だ」とかいうルミナさんの呟き。……何を観察してるの!?


「……終わったぞ、ソラ」


 恐る恐る振り返ると、そこには、私が持ってきたピンク色の、ウサギのワンポイントがついたパジャマを身にまとったルミナさんが立っていた。サイズのせいか少し袖が短く、首元も詰まって見える。あの、非人間的なまでに完璧な美貌と、ファンシーなパジャマの組み合わせが、とてつもなくアンバランスで……そして、正直、めちゃくちゃ可愛いと思ってしまった。


「ど、どうかな……?」


「む。伸縮性に富んだ素材だな。悪くない」


 ウサギのパジャマを着たルミナさんは、心なしか、いつもより少しだけ、柔らかい表情をしているように見えた。

「……ありがとう、ソラ」


「え?」


「礼を言う。手間をかけさせた」


  珍しく素直な言葉に、私はなんだか照れてしまって、「う、ううん、別に……」としか返せなかった。


 その夜。自分のベッドの隣に、急遽用意した布団で眠るルミナさんの寝顔は、驚くほど無防備で、あどけなく見えた。スースーと穏やかな寝息。昼間の尊大な態度はどこへやら。


(……なんだかんだ言って、やっぱり放っておけないんだよなぁ)


 今日の出来事を思い出す。脱衣所でのドキドキ。髪を洗った時の、指先に残る感触。そして、珍しい「ありがとう」の一言。 気づけば、私の心臓は、またドキドキと早鐘を打っていた。これは、ただの同居人に対するドキドキじゃないかもしれない。


(……私、もしかして、ルミナさんのこと……)


 いやいやいや! 相手は宇宙人だよ!? しかも、トラブルメーカーの! ぶんぶんと頭を振って、思考を打ち消す。


 それでも、隣で眠る彼女の存在が、やけに大きく感じられた。 秘密の同居生活は、ハラハラドキドキの連続だけど、ほんの少しだけ、違う種類のドキドキも、始まってしまったのかもしれない。

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