16.切なさよりも遠くへ -雪貴-
夏休みも残り一週間。
ツアーが終わって住み慣れた街に
戻ってきた俺は、
託実さんと一緒に
LIVEの無事が終わった旨を
報告しに病院に訪れていた。
「こんにちは。
雪貴くん」
ナースステーションに顔を
出した途端、
親しい兄貴の担当看護師が
何か言いたげな表情を見せて
近寄ってきた。
「託実さん、先に兄貴のところ、
行ってて貰えますか?」
託実さんに一言、
断りをいれて
俺はもう一度向き直った。
「あぁ、雪貴くん、
帰ってきたんだね。
お帰り」
今度は兄貴の主治医が
姿を見せる。
二人揃って何なんだよ。
俺を迎えた二人の存在に、
少し緊張感が増す。
まさか兄貴に?
そんなはずない。
次に出てくる言葉に
怯えながら
二人の言葉を緊張しながら
待ち続ける。
咽がカラカラに
乾いていく。
喉を湿らせようと
飲み込もうとする唾すら
動揺しすぎて飲み込めない。
僅かな時間のはずなのに、
その沈黙は俺にとって
とても長い沈黙で。
「大丈夫よ。
話って言うのは、
隆雪くんの事じゃないから」
兄貴のことじゃない?
だったら何?
「この間、雪貴君が連れてきた
女の子いたよね」
唯ちゃん?
「悠久先生、
それって担任の唯ちゃん?」
医師は静かに頷く。
「唯ちゃんがどうかしたの?」
その名前に
過剰反応するかのように
俺は悠久先生の体を揺すって
続く言葉を待つ。
そんな俺の行動を制するように
困った顔をして、
俺の揺すり続ける手を
掴んで静かに下ろした後、
真っ直ぐに向き直って紡いだ。
「僕たちには、
守秘義務って言うのがあるのは
知ってるよね。
まずは彼女と、
雪貴くんの関係は?」
関係?
関係って言われても
何も進展してない。
俺は唯ちゃんを
傷つけてるだけだ。
だけど……。
「関係って言えるものはない。
今は俺の片想いだから。
唯ちゃんはさ、兄貴が好きなんだよ。
でも俺も唯ちゃんを愛してる。
兄貴以上に。
まだ俺は唯ちゃんの
生徒でしかないけど」
そう。
今はまだ唯ちゃんの
生徒の一人でしか
宮向井雪貴は存在してないけど、
いつかは……全力で唯ちゃんを
この腕で抱きしめる。
「隆雪君と雪貴君。
兄弟揃って、
同じ女の子を愛しちゃったのね」
しみじみと看護師さんが呟いた。
「雪貴君、
少し場所をかえようか」
そう言われて連れていかれたのは、
カンファレンスルームと
プレートに書かれた一室。
二人きりの部屋。
「悠久先生、
唯ちゃん……どうなの?
俺……ツアーに行く前に、
唯ちゃん、傷つけたんだ。
だから……」
「雪貴君にとっても、
彼女は大切な人だったんだね。
まさか、彼女が隆雪君が言ってた
女性だとは思わなかったかな。
でも君が、彼女が熱を出して脱水を起こしてた時、
一人で抱えて飛び込んできた理由が分かったよ。
あの日も、必死だったから。
彼女は今、ここで入院してる」
悠久先生の言葉に
俺は言葉を失う。
唯ちゃんが入院?
「入院……」
「精神的にも
追い詰められているみたいで、
見かけた時はびっくりした。
ツアーに行く前に傷つけたって
雪貴くん言ってたよね。
何があったの?」
何があった?
俺が知ってるのは唯一つ。
「唯ちゃんが好きなTakaは、
本当は兄貴で、ずっと目覚めないまま
眠り続けるあの状態だってことを
知ったんだよ」
そう。
真実を知った。
その真実が、
唯ちゃんにとって
どれほどに、
苦痛になるものだと知りながら。
「彼女は隆雪くんが
好きだったんだよね。
恋人の彼女にすら、
隆雪くんの現状は伏せられていたの?」
信じられないっと言うように
トーンを変えて悠久先生は呟いた。
「彼女が兄貴の恋人かどうかも
正直、わからない。
彼女は兄貴のファンで
兄貴の部屋に、彼女の写真があった。
だから彼女なのかなって。
先生の方が、兄貴から聞いてないの?
さっき、先生兄貴に彼女居たの知ってそうな
口ぶりだった」
「僕も名前までは知らない。
だけど……そうやって託実くんと
話していたのを聞いてたから」
「そっか……。
それより唯ちゃんは?」
唯ちゃんの今が知りたい。
ただその思いだけで、
悠久先生と必死に向き直る。
「そう言うことだったら、
協力するよ。
だけどその前に、雪貴君も
隆雪君に会っておいで。
『ただいま』って言って来ないとね。
後、託実くんにも
伝えないといけないよね。
それより雪貴君の方は大丈夫?
ツアー中に高熱に魘されてたって
聞いたけど」
「確かに……倒れはしましたけど、
大丈夫ですよ。
少し寝たら、
動けるようになりましたから」
「無理はしないんだよ。
それじゃ僕も後で、
病室に顔を出すから」
悠久先生はそう言うと、
カンファレンスルームを出ていく。
僕も先生の後ろを、
ナ-スステーションまでついていくと、
先生はナースステーションにある電話で
何処かに連絡を始めた。
そんな姿を視界にとどめながら、
兄貴の病室へと向かう。
俺が顔を覗かせると、
今回のLIVEの映像を
兄貴の枕もとで、
流している託実さん。
Ansyalのサウンドが
病室内を
暖かく包み込んでいく。
「雪貴、どうかした?」
託実さんの声が
心配そうに降り注ぐ。
「託実さん、唯ちゃんが……。
あっ、唯ちゃんって
俺の学校の担任で兄貴の時代からの
Ansyalのファンで
いっつも、ドセンKEEPして
意識失いそうになりながら、踏ん張ってる
女の子なんですけど……」
唯ちゃんを説明するのに、
俺は思いつく限りの言葉を
並べ続ける。
「あぁ、あの唯ちゃん?。
Takaの香港パートナーだね」
いくつかのキーワードが
託実さんにも引っかかったのか、
託実さんの中にも、
唯ちゃんの存在が認識される。
「そう。
ツアー前に託実さんから
電話かかってきた時、学校でさ。
唯ちゃんにばれたんだよ。
それで話しちゃったんです。
今のTakaが俺だってこと。
本物のTakaは兄貴で、
ずっと眠り続けてること」
「そう。
だから今回のLIVE、
彼女の姿が見えなかったんだね。
後は雪貴も調子悪かった」
「すいません。
俺の問題、
Ansyalに持ち込んで」
思わず反射的に切り返すと、
託実さんのデコピンが
落ちてくる。
「イテっ」
豪快な音を響かせた
その痛みに耐えるように
おでこを抑え続ける
俺を見ながら託実さんは
兄貴のような眼差しで
俺を見つめる。
「雪貴、君の悪い癖出たよ。
雪貴も心かある。
そういう時もあって当然だよ。
もっと自分を守ってあげないと。
隆雪も、そんな雪貴を見てるのは
辛いんじゃないかな?
それで、その唯ちゃんがどうかしたの?」
「ここで入院してるらしくて」
尻つぼみに
小さくなっていく声の大きさ。
「そう。
唯ちゃん、
ここに入院してるんだ。
わかった、俺も付き合うから」
頼もしい託実さんの言葉に
俺は静かに頷いた。
「そろそろいいかな?」
病室にチラリと
顔を覗かせた悠久先生に
連れられて、俺と託実さんは
大学病院内を移動していく。
兄貴の病室から、
一階分、
上に移動した同じ建物内。
クリーム色のドアの前で
静かに止まる。
ネームプレートには、
緋崎唯香。
唯ちゃんのフルネームが
かけられている。
「裕さん、
失礼します」
悠久医師が、
ドアを開いて、
中の住人に声をかける。
病室内にいる人もまた
医師なのだと、
名札とその白衣で理解できた。
「彼女の主治医の、
伊舎堂裕です」
悠久先生に紹介された
その人は、
俺たちに軽く会釈した。
唯ちゃんは病室から
外をただ眺めていた。
「唯ちゃん」
拒絶されるかも
知れない恐怖と引き換えに
その名前を紡ぐ。
「あれ?
宮向井くん、
どうかしたの?」
えっ?
俺の中に
違和感が広がる。
俺を見て
微笑みかける唯ちゃん。
黙ったまま、
二人の医師たちを
俺は見つめる。
「彼女、
今は一部の記憶がないんだよ。
友達に連れられて、
病院に来た日、
彼女病院から抜け出そうとしてね。
僕たちが声をかけたら
逃げ出してしまって
階段から足を踏み外して
転げ落ちた」
二人の医師が
紡いだ言葉は
深く俺に突き刺さっていく。
「幸い軽い捻挫と脳震盪で、
状態は落ち着いている
みたいなんだけどね。
記憶が抜け落ちてるみたいで。
雪貴くんの名前は
紡ぐんだよ。
宮向井くんって。
コンクール……あるのかな?」
唯ちゃん……。
俺はたまらなくなって
唯ちゃんを抱きしめたくなり
そっと唯ちゃんに
近寄って手を伸ばす。
唯ちゃんは相変わらず、
教師のままの素振りで、
にっこりと笑いなおして
「ごめんね。
先生、入院しちゃってて。
コンクールの練習、
大丈夫?」って。
あんなに唯ちゃんを追い詰めた俺に
こうやって笑いかけてくれる
唯ちゃんに言葉がすぐに出なかった。
零れ落ちそうな涙を必死に耐えて
ようやく発せることが出来た言葉。
「大丈夫だよ。
唯ちゃん、
俺を誰だと思ってんだよ」
いつもの俺の調子で
ふざけたように言葉を返す。
「そうだね。
宮向井くんだもんね。
先生も、退院したら
レッスン付き合うからね」
「うん、その時は
びっちり見て貰うから。
とりあえず、唯ちゃんは
今はゆっくり休んでよ。
また病室、顔出すから」
「うん。
って……あれ……」
唯ちゃんの視線が、
俺の後ろにいる
託実さんへと移動する。
そして何か言いたげなまま
その場で固まった。
「緋崎さん?」
「今、なんか
思い出せそうなんだけど
霧がかかったみたいで」
頭を抑え込むようにして、
ベッドにうずくまる唯ちゃん。
「緋崎さん、ゆっくりと
深呼吸して貰えますか?
はい。
無理しないでいいですよ。
今はゆっくり、心を休ませることが
大切ですから」
唯ちゃんの主治医が
そうやって、
声をかけながら落ち着かせていく。
注射の効果もあってか、
唯ちゃんは、やがて静かな寝息を立てて
眠りにつく。
唯ちゃんの病室を後にして、
俺たちは四人は、
カンファレンスルームに移動した。
「託実、雪貴君。
緋崎さんの状況を軽く説明する。
彼女が、Ansyalのファンであることと
雪貴君と隆雪関わってそうだからね」
そう言って、椅子に着席した
俺と託実さんに、
唯ちゃんの主治医は切り出した。
「彼女の現状は、解離性健忘。
解離性健忘は、
本人にとっての大きなストレスがかかり
その記憶を封印してしまっている状態。
階段から転げ落ちた時の、
脳震盪も多少の影響はあるだろうけど、
悠久の見立てでは、軽症。
それで悠久からさっき聞いた、
状況と、ツアー中に倒れた雪貴の状況。
それらを踏まえて、
君たちにも伝えようと思った。
彼女の日常を守るために……」
「裕兄さん、
彼女の記憶のは、
戻る見込みあるんですか?」
俺が聞けないでいる
質問を託実さんが
ストレートにぶつける。
その言葉に対して、
二人の医師は、
ゆっくりと横に首を振った。
わからないの?
唯ちゃんが記憶を
忘れたいほどの
苦痛だった出来事なら
覚えていなくていいと思う俺。
それでも思い出してほしいと
望む俺自身。
「記憶が現時点では、
取り戻すのか、
そのままなのかも
正直わかりません。
何かのきっかけで、
ふと取り戻すこともあります」
唯ちゃんの主治医が
静かに告げた。
「わかりました。
彼女に関しても、
何か進展がありましたら、
俺の方にも
連絡頂ければと思います。
彼女が忘れた記憶は
Ansyalの秘密にかかわる
核になる記憶ですので
彼女次第では、
今後のこちらの対応を
考える必要があります」
託実さんは、
落ち着いた声色で
それを告げて、一礼すると
静かに部屋を後にしていった。
俺も慌てて、一礼して
託実さんの後をついていく。
「託実さん?」
「雪貴、Ansyalの方は
俺に任せていいよ。
一応、事務所にも話を通しておく。
こうなったら、
どんな状況を想定しても、
対応できるように
周囲を固めておかないとね。
Ansyalとしては、
暫く地下作業で、
ツアーも予定してない。
雪貴も、地下作業に顔を出しながら
今は自分の学業を大切にしな。
来月は、コンクールだろ。
もう二学期も始まるしな」
託実さんは、
そう言うと軽く手をあげて、
俺の前からゆっくりと
立ち去って行った。
俺は再び、
唯ちゃんの病室の前へと戻る。
病室の外から中を
覗きこんだら、
何度も見たことがある
唯ちゃんの友達の姿を確認する。
勿論俺は、
Takaとして
何度も接したことがある
その人だけど俺として、
その人と会うのは二回目。
ただ一度、
シークレットライヴの時に
会場の前で姿を見た。
ただそれだけ。
「すいません」
暫く気が付いてくれるのを
待ってみたものの、
その人が俺に気が付く気配すら感じられず
思い切って俺は声をかけた。
「はい。
あら唯香に
逢いに来てくれたの?」
親友は少し疲れたような
表情を浮かべながら
俺の方に視線を向ける。
「初めまして。
唯ちゃんの教え子で、
宮向井といいます」
「あぁ、君。
LIVEハウスで、
唯香、苛めてた子だよね。
顔見たことあるわよ」
そうやって、
唯ちゃんの親友は
笑いかける。
別に苛めてたわけじゃないよ。
ムスっとした表情に
俺がなってしまったのか、
相手は
「ごめんごめん。
冗談だから」
なんて俺の肩を叩きながら
言い出して。
束の間の緊張は、
緩やかな時間へと
姿を変える。
「唯香、まだ寝てるんだ。
って言うか、
唯香にも
心配して来てくれるヤツ
ちゃんといるんだ」
唯ちゃんの友達は、
しみじみと呟く。
「唯ちゃんの友達が来てるなら
今日は俺、ここで。
唯ちゃん、
悲しませたくないんで
コンクールの練習に戻ります」
少し会釈して、
唯ちゃんの病室を後にする。
途中、兄貴の病室にも顔を出して
兄貴にも唯ちゃんを
守って貰えるように頼んできた。
大学病院を後にした俺は、
電車に乗り、
自宅のマンションへと急ぐ。
唯ちゃんの記憶に
俺は居るけど、
今度はTakaが存在しない。
唯ちゃんにとって、
兄貴の事実を受け止めるには
あまりにも心の負担が大きすぎて
その全てを忘れ去るくらいに。
だったら、
忘れてろよ。
唯ちゃんには、
俺が居るんだから。
兄貴に遠慮せずに
唯ちゃんを奪っちまえよ。
俺の中の心の悪魔は
優しい声音で甘く囁き続ける。
唯ちゃんを
思えば思うほどに
愛しさよりも切なさが強くなる。
唯ちゃんを
知れば知るほどに
切なさよりも遠くへ
攫ってしまいたくなる。
唯ちゃんと出逢って、
俺はいろんなものを貰った。
愛しさも切なさも
切なさよりも
遠い……深愛も。
自宅のピアノを開けて
鍵盤の上、
柔らかに指先を滑らせていく。
紡がれる音色は
俺自身を映し出す鏡。
俺にしか
紡ぐことが出来ない
想いを。
切なさよりも遠く
深い愛を
織り込んで。
彼女(きみ)の心を
攫うことができれば
どれほど
嬉しいかわからない。
ステージの下。
ドセンで、
俺を見つけ続けてくれた
君を俺は離したくないから。
声に出来ない言葉を
音色に託して録音すると、
俺はインターネットに
こっそりと公開する。
投稿音楽SNSに……。
誰にも
告げることのできない
俺の想いの全てを
閉じ込めて。
切なさよりも遠くへ。
君を
愛しているから……。
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