7.憂鬱な時間・大切な思い出 -唯香-


『おいっ、お前何してんだ。


こんなところで泣いてさ……。

ここから落ちる気かよ』










……涙……。







懐かしい思い出。

大切な思い出。





そして……

私か生まれ変わった

そんな日の記憶。







思わず、目元に指先を触れて

暖かいものを拭う。




飛び起きようとして

体にあたる障害物が、

相棒の脚だと

いうことに気が付く。






ピアノの下から

抜け出すように

布団から這い出すと、

毛布を引っ張り上げて包まり、

窓を開けて夜風に触れながら

ボーっと月を見上げる。







満月。



明るい光が

柔らかに降り注ぐ

神秘的な夜。






外に向かって、

ゆっくりと手を伸ばす。







自らを浄化するように。







その視線を

ゆっくりと室内に向けて

Takaとの思い出を綴った

写真を順に辿っていく。






『なんだよ。


 泣くなって。


 泣いてちゃ、

 わかんねぇだろ。


 何があったか知んないけど

 落ち着くまで、

 今だけ居てやるよ』






脳内に響く、

大切な声。






六人目の想い人に告白した

あの日……、

その人との関係は実りそうで、

晴れて私も

脱・彼氏歴0年になると

思ってた。






あの時の私も、

どうかしてたと思うんだ。




だけど……その当時、

ずっと友人だった、

亜樹(あき)も愛華(あいか)も

ちゃっかり彼氏がいて、

積もる会話は彼氏の話題ばっか。




会話に入ることも

出来ないそれが嫌で

一瞬だけでもいい、

恋人が欲しい。

彼氏が欲しいって。





一人だけ取り残されてる

感覚に耐えられなかったから。





あの時、そんな考え方に

ならなかったら私は……。






六人目の想い人。

土岐悠太(とき ゆうた)。




告白と同時に、

私の初めてを

その場で奪われた。




告白してすぐに

体を要求してきた肉食獣。


彼氏が欲しくても、

肉体関係だけのヤツが

欲しいわけじゃない。



私も女の子だから……

恋に憧れる心もあるわけで。



告白してすぐに、

肉体関係を押し付けたアイツに

抵抗を見せた私を

何度も何度も殴りつけた。




暴力と共に

無理やり奪われた

私の『はじめて』。







温もりも、暖かさも

愛情も何も伴わないそれは、

痛みと不快感しか残さなくて。






土岐君は痛みに

顔をしかめる私に



『お前なんかに誰が

 本気になるかよっ』



そう言って、笑いながら

連れこまれた

野球部の部室から去っていった。

 



何事もなかったように。








涙も流れなかった。



ただ……

無性に消えたくなったんだ。






消えたくなった。






乱れた服をかき集めて

惨めな服装を

コートで覆い隠して学校を

フラフラと抜け出して、

歩いてた。




行く宛もないまま。



目的もないまま。







そして……

あの場所に辿り着いた。








橋から眺める川の流れが

とても綺麗で

あの場所に辿り着いたら

自分が清められるような気がして。





茜空から時間が過ぎて

月の光が柔らかに

降り注ぐ時間へと変わる。





ふいに川の下から

魔物が手を伸ばしてくる……。





吸い込まれそうな闇。




明るい空に映したときは

橋から水面まで

かなりの距離があるような気がしたのに、

今は……此処から飛び降りても

怪我一つせずに

あの水で清められるんじゃないかって

思えるほどに……。




川の中の悪魔は微笑んでた。






その悪魔に魅了されるように

橋に手をかけた時、

私は出逢ったんだ。






大切なあの人に……。






『おいっ。


 お前、何してんだ。


こんなところで泣いてさ。

ここから落ちる気かよ。


 なんだよ……。


 泣くなよ。


 泣いてちゃ、

 わかんねぇだろ。


 何があったか知んないけど

 落ち着くまで

 今だけ居てやるよ……』








彼はとても優しくて、

傷ついた私の心の中に

すーっと寄り添って

滑り込んできた。








流れなかった涙が、

彼の優しさに触れて

溢れ出した……。








そして、その温もりの中で

意識は閉ざされた。






気が付いたら

真っ白な天井が広がって

そこが病室だと言うことがわかった。






携帯電話の日付は、

アイツに乱暴された日から

二日が過ぎてた。





ベッドサイドに残された

手掛かりは

マキシシングルが一枚。





Ansyal「天の調べ」。

(DEMO)





何処を探しても

見つけられなかった

その名前に

再び、気がついたのは

一年後。




大学で知り合った百花に連れられて

LIVEハウスに行ったときに

封入されてた一枚のチラシ。




Ansyal 始動。




……天使がこの冬

   降臨する……。






3年前のクリスマスイヴの聖夜。



その瞬間、

私の生活スタイルは様変わりした。




あれ以来、私はすがるように

Ansyalを追い続ける。




そして

辿りついた……Takaの存在……。






Taka。



それがあの日、

私を助けてくれた人の名前。



あの時、Takaに逢えたから

今の私がここに居る。



私は現在(いま)に繋がってる。





貴方が前に進む勇気をくれたから。










何時か、

貴方に辿り着きたい。






この想いを抱いて。







夜風に触れながら

意識を手放すように

再び、眠りにつく。












……Taka……。




どうしよう。



私、

また居場所がなくなっちゃうよ。




教え子に見つかっちゃった。





Takaに逢いに、

LIVEに行くために、、

気合の武装してる姿を。





教師が、

バンドを追っかけちゃ

行けないのかな?














翌朝、

ダルさの中で目が覚める。





「ケホ」




小さな咳が一つ。





あっちゃー。

やっちゃった。



幾ら、暖かくなってきてるとはいえ、

まだ窓を開けながら寝るのは、

早かったか。




重い体に叱咤して

引きずるように、

目覚めの儀式。




朝の熱めのシャワーを浴びる。






シャワーが

ぬるい気がする。







早々にシャワーを

切り上げてメイクを施すと、

服を着替えて気がのらない

学校へと出勤する。



体調が優れないままに

学園行きの電車に乗り込み

最寄駅まで向かう。






降り口のドアが開いた途端に

缶詰の中身が一斉に

外へと流れを作り始める。


その流れに

押しつぶされるように

今日も流される私。 





「唯ちゃん、こっち」





流される私を

受け止めるのは、

いつもと同じアイツ。





そして今日、

最も逢いたくない存在。





だけど小柄な私には

宮向井くんのような防波堤は

やっぱり有難いわけで。





「おはよう。唯ちゃん」


「おはよう。

 宮向井くん……」



逃げ去りたい気持ちが先走って

今日は思わず、

人波が過ぎた駅のコーナーを

足早に歩きたくなる。



「唯ちゃん。

 逃げられないよ」



立ち塞がる宮向井くん。




その彼を

振り切るようにして

改札口から

学校へと走り去る。

 






これから、こんな時間を

ずっと過ごさないといけないなんて。





耐えられないよ

……私……。






朝の職員会議も

半ば上の空で聞き流して、

SHRを手早く済ませて

逃げるようにして

音楽準備室に引きこもる。 




今日は音楽の授業は、

2時間目から。





1時間だけなら

ここで休めるかな?







準備室の

私専用のデスクに

突っ伏すように体を預ける。








なんだろう……。




体が、

ふわふわしてるよ。


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