第8話 若手隊士達 -1/4-

半日の休み明け――この日は朝から、候補生達が騒がしかった。

プラグはリーオに呼び出しをされていて、一日中話していたので、今、知ったのだが……。


昨日、四名の生徒が退舎を申し出たのだと言う。

退舎したのは、男子はオクター、ユゲラ、ジンファイと、女子のエマ。

退舎が決まった生徒は即日退去となり、荷物は残されたままらしい。


(ああ。密偵だった四人だな)

この四人は、リズに聞いていた通りだ。

予定通りに退舎――あるいは拘束されたのだろう。


今、プラグの正面にいるのは、アドニス、ウォレス、イアンチカの二十一号室組だが、

イアンチカの右側にゼラトが座っていて、先程からずっと退舎の話をしている。

――ゼラトは退舎したユゲラと同室だったのだ。

「それでさ、後で隊士が荷物まとめに来るっていうけど……これって噂のアレだよな?」

全員が注目しているというか、全員が同じ話をしているのでどうしても聞こえる。

女子達も突然、エマが退舎したので、食事どころではない様子だ。


「密偵ってやつ?」

隣の島から振り返って言ったのは黒髪緑目――エミールだった。エミールは二十三号室。エミールと同室のフィニー、フォンデも振り返った。

ゼラトが同意する。

「うん。地元で精霊騎士課程にいた人に、毎年この時期に何人か退舎するって聞いたけど……本当なんだな……」

するとイアンチカがゼラトに尋ねた。

「俺も聞いたことある……恐いな……ゼラトはユゲラと同室だったんだよな? 何か変な所とかあったのか?」

「いや全然。だから信じられなくって……でも荷物も取りに来られないってことは、そういう事だよな……うーん」


「違うわ! エマはそんな子じゃ無いわよ……!」

突然、声を上げたのはリルカだ。ちょうど真ん中の島、中央の席で、彼女は少し涙目になっている。

「そうよ、絶対違うわ! あんな良い子いないわよ……!」

同意した、短めの茶髪の女子は、確か――バーバラだ。この二人はどうやらエマと同室だったらしい。こちらははっきりと泣いている。彼女達の左隣が一つ空いていた。

「……オクターだって、そんなヤツじゃ無い……と思う……」

と今度はオクターと同室だったレンツィが溜息を吐いた。レンツィは指通りが良さそうな、真っ直ぐの金髪を、肩の後ろで緩く結んでいて、苔色(こけいろ)――暗い黄緑色の瞳を持つ少年なのだが、アドニスの次くらいに整った顔立ちをしている。瞳の色が暗いので、大人っぽい、少し落ち着いた印象に見える。

「だよな……あいつ、そんなの無理だって。真面目だし」

レンツィの隣で、ナイド――濃い茶色の丸刈りに、水色目の少年が頷いた。彼もオクターと同室だった。


「俺……ジンファイは、正直、変かもって思ってた」

と呟いたのはジンファイと同室だったポーヴィンだ。

プラグ達の所からは、一番離れた三列目のテーブルにいる。

「え? まじ?」

隣にいた男子――グレイブが尋ねる。

「何となくだけど……なんか、いや、気のせいかも、だけど……変に調子が良いって言うか、嘘くさいって言うか……」

「んー……そう言うヤツなのかと思ってたけど、言われてみたらそうかもな……んー」

グレイブが首を傾げる。


グレイブの隣には、紅茶色の髪とレモン色の瞳を持つフォンデがいて、彼も同じく「うーん」と唸っている。それ以上話は進まないようなので、皆、食事に集中し始めた。


「でも本当、いきなりなんだな……」

とゼラトが言ってこちらを向いた。するとフィニーが。

「エマは違うと思うよ。だって凄く素直で可愛い子だったし。あとオクターもシロっぽいけど、ジンファイ、ユゲラはちょっと変だったかなー。ジンファイは本職でしょ。あとユゲラはいかにも密偵って感じ、っていうかあの人、十四歳じゃ無いでしょ? 背は低かったけど、たぶん十六くらいだよ。エマとオクターは利用されたとか、脅されたとか、そんなじゃない? そういうの良く聞くし」


……フィニーが言ったことは当たっている。

リズの話では、オクターは本人の意志で騎士課程に入ったのだが、親戚関係で引っかかった。推薦者に他国の息が掛かっているという。

エマは母と二人暮らしだったが、その母親を人質に取られて脅され、精霊騎士訓練課程に入ったと言う。母親は救出済みなので、残るという話もあったが、元々志望していなかった為、ついていくの大変だからと、本人が迷っているそうだ。


プラグはフィニーは社交的な分、人をよく見えているのだな、と思った。

ただの遊び人だと思っていたので認識を改めた。

「プラグ……くん、はどう思う?」

と、いきなりフィニーが話しかけて来た。

「え? 俺?」

「そうそう。君の意見を聞きたいな」

フィニーは微笑みをたたえてプラグを見ている。

プラグは、なぜここで俺、と思ったが皆がこちらを見ていた。

「そういうのは、アドニスに聞いたら?」

「ええ? いや俺は君に聞いてるの。もうーつれないな。何か意見とかないの? 俺の予想当たってる?」

「いや……当たるも何も……」

プラグは少し考え、微笑した。フィニーの行動に、多少、女子や候補生への思いやりを感じたのだ。

「まあ……分からないな。全部憶測だし。もし、濡れ衣だったら悪いから、あまり言うのも良くないだろ」

「そっか、まあそうだよね。あ、俺の言ったこと、全部当てずっぽうだから、皆忘れてねー! うん、食べよ」

フィニーが言って食べ始めた。


そして誰かの「そう言えばさ」の声で話題が変わった。

「何人か、事務クラスに行くって本当? さすがに無いよね?」

密偵の件以外にも、休みの間に色々あったらしい。

――数名がコリントにクラスの変更を申し出たのだ。

申し出たのはエミール、フォンデ、レンツィ、他にも五名ほど、進路変更をしたいと言い出した。

金髪のレンツィは上位クラスの九位に入っているし、紅茶髪のフォンデも、黒髪のエミールも上位クラスにいて十分強い。

「え? エミール達が事務? どうして?」

プラグはさすがに驚いた。正直、もったい無いと思った。

するとエミールが首を振った。

「いや事務じゃ無くて、目標を、近衛とか城の兵士に変えようかと思って」

「今年はちょっと無理かなって……あと、実は近衛も気になってて。ここにいたら貴族じゃ無くても目指せるって聞いたから、そっちでもいいかなって」

レンツィが苦笑する。確かに、レンツィの見た目は近衛騎士でも良さそうだ。

「俺もそんな感じ。勉強がきついんだよなぁ。俺は領土騎士とか、どこでもいいけど、勉強はなぁ」

フォンデが苦笑した。


プラグにとっても、精霊騎士課程は、ルネのせいで思ったよりも大変、という印象だ。

初めは楽だったが、これから更に厳しくなるのだろう。

パンをちぎっていると、リズが顔を出した。

「――おい、そこらの浮いてる蚊トンボ共ー、全員集合な。話がある。飯の後すぐ、えーと、本舎の二番会議室!」

『はーい!』

精霊達が一斉に返事をした。

「プラグさん、呼ばれたので行ってきます」「ミー」

「ああ」

ナダ=エルタとラ=ヴィアは、実は先程から厨房を手伝っていたのだが、号令が掛かったのでシェフとプラグに断って出て行った。他の精霊達も持ち主に断って一斉に出て行く。

「あ、蚊トンボって精霊の事か。なんだろな?」

ゼラトが言った。

「さあ……」

プラグは知らない振りをした。

そして話を思い出し、続けた。


「でも、前回の筆記試験は意地悪問題だったから……今後はそんな事ないんじゃ? 三人とも強いし……」

プラグの言葉に、真正面で青髪のウォレスが少し頰を膨らませた。

「それ、できるから言えるんだぞー。俺もついていくのがやっとで、試験問題なんて、何一つ意味分からなかったぜ。まあ、強くなれそうだから、やめないけどさ」

ウォレスの左側にはアドニスと、右側に金髪のイアンチカがいる。

プラグの左右にはいつも通りアルスとシオウだが、シオウはコル=ナーダの歩み寄りに目を丸くしていて、コル=ナーダが出て行った後も「なんだったんだ……イミワカラン」と呟いているので、会話には不参加だ。


イアンチカが溜息を吐いて頷いた。

「……俺も実は、進路変更お願いした。精霊騎士は難しいから、この城の兵士か領土騎士を目指す。精霊騎士ってやっぱ難しいよ。礼儀作法とか、ゼクナ語とか、覚える事色々ありすぎて。あと正直、魔霊と戦うって言うのが、俺には厳しいなって思った。……実は海岸から避難してきた人に、話を聞いた事あって。海辺の街が全部無くなってたんだって。兵士や領土騎士も安全とは言えないけどさ。魔霊相手に俺じゃ太刀打ち出来ないよ。コリントさんは一応リーオさんに希望は伝えおくから、また誰か面談してくれるって。とにかく得るものはあるし変更はできるから、退舎は思いとどまるように、って皆に言ってた。言えてほっとしたよ」

つまり、元々考えていたが言う機会が無く、ちょうど休みがあったため、伝える事ができたのだろう。

プラグはどう言えばいいか分からなかった。

するとアドニスが。

「難しい問題ですね。ただ、ここは意外に面倒見がいいので、どの道を選んでも、納得できる結果になると思います。まだ三ヶ月目ですから、これからも一緒にやっていきましょう。僕もできる範囲でですが、手伝いますから」

と、とても良く出来た事を言ってくれた。彼の言葉には説得力がある。

プラグはこういう人物こそ重用されるべきだと思った。

しかし彼は王族だ。然るべき立場に然るべき人物――世の中上手くできている。

プラグはもう、いいのではないかと思った。

「そう言えばアドニスって、平民には見えないけど。本当は貴族だったりするのか? 例えばどこかの王族とか」

するとアドニスが、これにぽかんとした。

「えっ」

アドニスが一気に青ざめたので、プラグは逆に焦った。

「えっ? ――あれ、違うのか?」

「いや、えー……いやいや。すみませんが……内緒で……一応……」

アドニスが声をひそめて言った。

プラグは申し訳無くなった。

「すまない。事情があるんだな?」

「いえ……これは僕ではない人の話なんですが――じつはですね。三年、留学になりまして。その間に、絶対、精霊騎士になって、好きな人を探してこいと言われまして……もし精霊騎士になれなかったら、初めから留学はしなかった、ずっと国で修行していた、って事になりますので、ばれると不味いんです」

アドニスが声を抑えて言った。

プラグは驚いたが、納得した。

アドニスは優秀だが、それでも上位五人は少ない。

「え? そうだったのか……なるほど……確かに、精霊騎士は難しいからな……」

「ええ。経歴に傷が付かないように。お忍びが条件です。あと、恋人探しだと分かると、ちょっと、寄って来る人がいるかもってことで、内緒になってます」

「そうか。すまない。分かった……誰か良い人はいたか?」

プラグの言葉に、またアドニスが固まった。

「ええっ? ……ええーっと……今の所、未定です。とりあえず、精霊騎士になってからと思っています。もしなれたら、そのまま二年、お世話になるつもりですから……頑張らないと……」

そこでアドニスが、僅かに笑った。


「あ――そういうプラグ君は、誰か好きな人がいるんですかー?」

少し声を大きく、高くして言うので、今度はプラグがぽかんとしてしまった。

表情を見ると、意趣返し、と言わんばかりだ。


「あ! それ気になる!」「――、俺も気になる!」

と悪気無く言ったのはウォレスだ。イアンチカも便乗し出したので焦った。

「え、いや、……」

「そういえば、プラグ、気になる人っているの? 良く手紙、書いてるけど……」

言ったのはアルスだ。絶妙の間で恐ろしい話題を繰り出してきた。

確かにプラグは手紙を良く書いている。手紙が届いて返事を出すこともある。

「――あれは……故郷のどうりょ……じゃない、幼馴染みに」

するとイアンチカが瞬きをした。

「それって、まさか女の子?」

「……ああ、でも、一緒に育った子だから、妹みたいな感じ。首都の様子を知りたがっていたから」

するといきなり、斜め右、ウォレスの右側にいた男子――マシルが話し掛けてきた。

「えっ幼馴染み! すごい、そんなのいたんだ。え、どんな子? 可愛い? いくつ? 名前は?」

「え……名前……ミーア……年は一緒で十四」

ミーア――ミアルカ・ラナソルは、カルタの聖女教会本部で、プラグ――アメルと一緒に育った少女だ。出会った時は幼かったが、アメルとはちょうど巫女の同期になる。

「うわー。もしかして本命? 可愛いの?」

「いや、顔は可愛いと思うけど……」

プラグは答えた。

ミーアは真っ直ぐな薄い茶髪を腰まで伸ばしていて……丸くて大きな茶色の目を持っているが、本人曰く『少し背伸びして』前髪は切らずに長く伸ばしている。可愛さと大人っぽさが一緒になった、美しい少女に成長した。性格は愛くるしいというか。昔のままの素直さで、元気も良く、努力家で、強くてとても可愛い。

アメルと同じくらい、彼女を気にしている領土騎士も多かった。二人でいると騎士達が集まってくるほどだ。

「ていうか好きな子なの?」「一緒に暮らしてた?」「おもしれー!」

周囲から質問が飛んで来て――、一部の男子が悪乗りしているようだ――プラグは戸惑った。

するとアルスが笑って、立ち上がった。

「もう、からかわないの、プラグはこう言う話題、たぶん疎いんだから。もう時間だし、皆、行きましょうよ。その子のことまた聞かせてね。皆に伝えるわ」


――アルスも味方とは言えないようだ。


■ ■ ■


「しまった、三倍だった」

長々と話してしまったため、プラグとシオウは慌てて森を走り出した。

プラグはともかく、シオウも一緒に遅れている。


シオウはコル=ナーダと何やら取り決めを交わしたらしい。

シオウとコルの『下手に出るのでぜひお願いします』『そうそう、身の程わきまえればいいのよ』『はい、コル=ナーダ様、バンザイ!』という会話が聞こえた気がする。

コル=ナーダも他の精霊と一緒に去ったが、どこか満足げだった。シオウとは上手く行きそうだ。


シオウが足を曲げ、軽く準備運動をする。

「三倍って、いつものコースを三倍だよな? いつもだいたい二十分だから……あと一時間? 楽勝だけど、三倍か……疲れそう……」

シオウのぼやきにプラグは頷いた。

「三倍だから、もう行こう」

宿舎の軒下には時計が吊してあって、時刻が確認できる。

現在時刻はいつも通り午前七時半。

座学が始まるのは九時だから、あと一時間半もある。

それまでに走り終えればいいので、教本を取りに行く時間を含めても、余裕で間に合うはずだ。

「三周なら、一周、三十分かけても余裕だな」

シオウが言った。

すぐ側に、アドニスとフィニーがいる。

「僕達は今日から二倍ですね。フィニー君、一緒に走りましょう」

「あー……。あー嫌だなぁほんと……」

そして四人は走り出した。


普段のコースは五キロメルト程度。

宿舎の裏にある用水路を越えてすぐ、森の入り口から、クレナ湖の西端側を通り過ぎ目印の薪小屋で折り返し、戻ってくる。小道はたまに蛇行して、別れ道もいくつかあるが、走るコースはほぼまっすぐだ。

道は整備されていて、走りやすく、道に迷う心配はない。自然豊かなこの道をプラグ、シオウ、アドニスや慣れている男子は二十五分から三十分程度で走っている。

ペイト、ナージャは男子達と同じ距離を、男子と同じ速さで走る。

アルスは、もう少しゆっくり走り、三十分から四十分程度。初めはペイトやナージャに、男子について来ようとしていたが、無理はしないことにしたらしい。それでも休みの日も毎朝走るのだから、十分偉いと言える。

その他の通常女子は途中の開けた場所にある、一本杉で引き返す。


「三倍だと……このくらいか?」

シオウは珍しく早めに走っている。

プラグはシオウに続いてペースを上げた。するとシオウが振り返ってプラグを見た。

「お前、この早さ、ついて来られるのか?」

シオウは大丈夫なのか、と言いたげだ。

プラグは頷いた。

「大丈夫。でもちょうどで終わりたい。急がなくても最後で急げばいいんじゃないか。初めから飛ばすとバテるぞ?」

「確かに。無駄に体力、使うと、後で眠くなる……時計また貰うか」

ふと――プラグはシオウの背中を見た。奇妙な感じがある。

「皆と走りたくないのか?」

シオウは始め、あえて速くして、フィニー達や男子達と距離を取ったように思える。

「まぁな。遅すぎてかったるい」

シオウがあくびをした。

その後、二人は結局いつも通りの早さにして、小屋が見える所まで来た。


そして折り返し、一周目を終えた。

かかった時間は十七分。フィニー達は少し遅れていてまだ見えない。

「こんなもんか。お前、このままの早さで最後まで行けるか?」

シオウはなぜかプラグを気遣ってくる。

「たぶん大丈夫」

「お前、よくわからん……どのくらい余裕があるかって事なんだが? 俺は正直、もっといけるぜ」

「ああそういう? んー……俺も正直、もっといけるけど」

プラグは言った。

するとシオウが足をさらに速め、挑発的な目でプラグを見て。

「一回、――本気で、勝負するか?」

と言った。

「……シオウの本気って、どんなの? ついていくから見たいな」

プラグは笑った。

「生意気なヤツだ」

シオウが言って、さらに足を速めたが――ちらほらと折り返しの候補生がいる。

二人の速さに驚いて、大丈夫なのか、という顔をしている。

「ああくそ、邪魔だ……同じ道じゃやりにくい」

シオウが声を抑えて言った。

「ああ、俺もそれは思ってた。やるなら、朝、誰もいない時にしないか」

プラグも頷いた。

「そうだな、あ。なあ明日くらいから、朝、手合わせしようぜ」

シオウの言葉に、プラグは首を傾げた。

「朝?」

「少し早く起きてとか、授業前とか。ちょうど良い場所、見つけた。んで、毎日勝敗を付けようぜ。卒業まで何戦何勝、ってやつ! やってみたい」

シオウが目を輝かせた。

「ああ、なるほど。うん、楽しそうだな。俺でいいのか?」

「はぁ? お前しかいないだろ。言っとくけど、本気出せよ。俺も本気でやるから。ま……最初は負けるだろうが、そのうち勝つ!」

「……わかった」

プラグは笑って頷いた。シオウは精霊――おそらくコル=ナーダ――の血が入っているし『本当に人間か?』と思うくらい強いので、本気を出してくるならこちらも本気でやらないと負ける。

「俺も君と戦いたい。目標は打倒ルネだ」

プラグは呟いた。

ルネを倒すにはシオウの良い所を学ぶ必要がある。リズがシオウをルネに任せず、直々に稽古を付けているのは、相性もあるのだろう。

プラグがシオウ相手だとやりにくいのと同じで、シオウ相手だとたぶんルネはやりにくいはずだ。

……要するに、プラグはルネと同系統の型を持っているのだ。

ルネの剣技は精霊から来たものなので、当たり前と言えば当たり前だが……。

プラグがストラヴェル流剣術を学び、順当に強くなると、おそらくルネのような剣になる。動きに似通った部分が多いので、好き嫌いはともかく、参考になる部分は多そうだ。

ルネは忙しいようなので、何回稽古があるかは分からないが、得がたい師匠だと言える。プラグにルネをあてがったリズの洞察力には、少々迷惑だが感服する。


(素直に学んで、ルネっぽくなるのも嫌だな……)

プラグは考えた。だが学ぶ事と応用は、切り離して考えた方がいい。

プラグに損はないのだが、稽古の度に下着の色を当てられたくないので、二度と関わりたくないというのが本音だ。

そんな予定は無いが、プラグに女性経験ができたとしたら……どんな目で見てくるか想像できる。本当に苛々するが、稽古に関してはリズやルネの気分次第なのでプラグに抗う術は無い。


それとは別にプラグはシオウの戦い方も参考にしたかった。南方の、見た事の無い剣術を交えていて、荒っぽいがかなり強いのだ。しかもシオウは長剣や双剣、短剣や体術もしっかり身につけている。十四歳でこれなら恐ろしい努力家だし、その上、才能がありすぎる。

才能で言えばプラグよりシオウの方が上だろう。プラグは器用だったが才能があるとは言えなかった。


今は丁度、二人は左右に並んで走っている。

プラグが左で、シオウが右だ。

プラグは軽く右を見て会話を続けた。


「俺はルネとは、相性が良すぎて悪いから……君の良い所を学びたい。君もリズは苦手? どんな感じだった?」

「あーあいつな、マジ雑。乱暴を絵に描いたような汚い剣。型は最低限で、後は適当にぶん回して……なのに当たらねぇんだよ……あー。勝てる気がしねぇ、ってことでよろしくな」

「ああ。相手がいるというのは良い事だな」

プラグはしみじみと頷いた。

シオウも人好きのする、優しげな笑みを浮かべている。

「ほんとな、お前がいなかったら、退屈すぎて退舎してた」

『退屈』――プラグはシオウといて気が付いたのだが、シオウが眠そうにしているのは、本当に退屈だかららしい。勉強も、どうやら全て知っている事らしいのだ。

アルスがぼんやり言っていたが、シオウは名家の生まれと言う事で、知識はもう十分あるのだろう。

適当に手を抜いて、必要なところだけ本気を出す。そういう所も見習いたい。

後は、優しいところも見習いたいし、良い感じに大雑把なところも見習いたい。


するとシオウがこちらを向いた。

「お前、たまに出す、その空気やめろ……何かむず痒い」

「……空気?」

「いや、いい……」


雑談する内に、二周目が終わってしまった。一周目と合わせて四十分経っている。

時刻はちょうど、八時十分。

九時まではまだ五十分もある。あと一周しても余裕だ。

シオウが時計を見て、眉を顰める。

「俺さ、この無駄に多い、朝の時間、かったりぃなって思ってんだけど……何か、やな予感するよな……事務のやつら、座学が八時半からになったし……」

シオウの言葉に、プラグは頷いた。

……朝食は七時からだいたい三十分。その後、座学が始まる九時まで一時間半。

講師の準備があるにせよ、宿題や二度寝もできる時間がある。

プラグは今まで、馬の様子を見に行って、他の男子達と軽く手合わせをしていた。


事務と戦闘クラスで分かれた後……事務クラスは座学の始まりが八時半からになっていた。しかし午前の授業は、戦闘クラスと共通で、九時からの開始となる。

では三十分、何をするのかというと、黒板に書かれた、ゼクナ語の文章や単語をひたすら書き取るのだ。これはクラス問わず参加可能なので、青髪のウォレスや、時間の余った者達も参加している。

勿論、プラグやシオウも間に合うように入っている。


そこまでして、『九時』から、のんびり開始の座学。

そして唐突に始まった、戦闘クラスの二倍、三倍鍛練……。

……嫌な予感しかしない。

「確かに。五倍鍛練とか無ければ良いけど。とりあえず走ろう」

一応、という感じでそのまま三週目に入った。


二人とも大して息も上がっていないので、ゆっくり走っても楽勝だ。

シオウは二週目と同じペースで走り出した。

「なあもうさっさと済まそうぜ。つまらん。眠くなって来た。まだ走んの? あーあ、プレート使って全力で走ってみたいなー」

「それは俺も思う。前は良くやってたけど」

「え、そうなのか。俺はできなかったな……くそ、あーやりてぇ。やってみるか?」

「違反じゃ無いのか?」


「あなたがた――ずいぶん、余裕なようですね」

と、後ろから高い女性の声がした。

二人に併走してきたのは、初めて見る女性隊士だった。

赤紫色の隊服を身に着け、薄ピンク色の髪にピンク色の瞳。まっすぐな長い髪をはためかせている。肌は白く、顔立ちは驚く程整っていて清楚で可憐な印象だ。


「はじめまして。私は、クラリーナ・ザーヴェと申します。今日から候補生の鍛練をお手伝い致します。あなたがたは十分体力があるので、もっとペースを上げて下さい。そうですね――」

優雅に言っているのだが――しかし、全速力で、二人に速さを合わせる気配は無い。

話を聞くために、プラグとシオウは彼女を追って足を速めた。

「たった今から別ルートになります。先導します。私に遅れずについて来て下さい。湖の外周を走りましょう」

湖――と言えば、宿舎の裏に見えているクレナ湖だ。

クラリーナの言葉に、シオウが声を上げた。

「えっ外周?」

クラリーナは懐中時計を取り出した。

「ええ、まだあと五十分もあります――、まずは湖を半周、往復で。湖の周りは走りやすくなっていますし、景色もいいですよ」


クラリーナの言葉に、プラグとシオウは絶句した。

一口に『クレナ湖』と言っているが、宿舎の裏から見えるのは西部分の小池だ。

城の背後にある東部分の方が大きくて、小池の十倍は広い。

城から眺めると、対岸は見えないか、うっすらと見える程度だろう。要するにかなり大きい湖なのだ。

西部分と東部分は繋がっていて――地理の教本に載っていたが、湖の外周は『約八十キロ』。


シオウが大きく口を開いた。

「え……外回り、八十キロあるって聞いたんですけど……!? 半分でも四十キロ――の往復!? 結局八十キロ!? 時間、足りないんじゃ?」


プラグもこれには絶句した。

片道四十キロでも普通に走れば、三時間はかかる。

何より一気に走るととても疲れる。

五キロを八回、と言う問題では無く、訓練無しでいきなり完走できる距離では無い。


「ええ。でも大丈夫です。『飛翔』のプレートを使って下さい。一本杉を右に曲がります。行きますよ、ル・フィーラ!」

言ってクラリーナはプレートを起動させ、全速力で――駆け出してしまった。


風のような速さで、あっと言う間に見えなくなりかける。

途中、宣言通り、一本杉の手前を右に曲がったのが見えた。

「――ル・フィーラ!」

慌てて、プラグとシオウもプレートを起動させて追った。


幸い、湖周囲の道は整備されていて、走りやすかったが……誰かが走るので道ができた、と言った様子だった。途中に、明らかになぎ倒された木、斬られた木もあった。

「シオウ、大丈夫か!」

「っと、ぅわわ、どうすりゃいいんだ?」

シオウはプラグの後ろについてきているが、先程言っていた通り、『飛翔駆け』は初めてらしく戸惑っている様子だ。

この速さは授業でもやっていないので、プラグはシオウに併走しながら説明した。

「シオウ、『早駆け』の授業でやったのは速歩(はやあし)だけど、これはもう少し早い、駆歩(かけあし)くらいだ!」


飛翔のプレートは飛ぶ以外にも速く走る事ができて、『早駆け』『飛翔駆け』等と言われる。速さには段階があって、例えとして、馬の常歩、速歩、駆歩、襲歩が使われていたが、どれも馬の走りよりも若干はやい。


「目線は前、少し先を見て、先に安全な道を探しておくといい、足元に、石や溝が無いか気を付けろ。着地の時、足に衝撃がかかるから、上手く殺さないと、靴が壊れる。霊力を『収束』させて足ごと風で包む感じ、分かるか?」

「なんとなく! こうか」

シオウの足運びが安定し、速度が増した。

「うん、そんな感じ!」

プラグは走りながら言った。


――『霊力(フィーラ)』の扱いには三つの種類がある。


『収束』と『拡散』……一点集中か、広範囲に向けるか。

『単数』と『複数』……単数で使うか、複数に分けて発現させるか。

『攻撃』と『防御』……攻撃に使うか、防御に使うか。


この三種類の調整をすることを『霊力調整(フィカルテ)』、または略して『調整(カルテ)』と言う。これに加えて『発動方向』『霊力量の調整』もあるのだが、これは意識しない事が多い。プレートの場合、目標を決めれば、ほぼ無意識に使えるからだ。


『霊力(フィーラ)』は普段から目に見える物では無いので――火や、水、風、光など、各々がイメージしやすい形を思い描き、纏っている感覚を得る。


人間の体にも精霊と同じ配置の『霊脈』があり、胸を中心として、体内を巡っている。

その巡りを自分の一番分かりやすい形で認識する。

この認識は、霊力を持つ者なら案外、簡単に理解できる。


人は精霊を元に作られたので、『核』があったはずの場所を意識すると体が少し温かくなるのだ。目に見えないだけで実際にある物なので、今、霊力を感じているな……流れている気がする……となる。


ちなみに『解析(リーシェル)』の赤プレートを発動させれば、目に見えるようになる。

慣れない間はこれを発動させ、霊力の操作を学んでいく。この感覚で、この流れが起きて、この効果が出たから上手く行った、と実際に目で見て覚えて。

今度は見ずにやってみる。そして、慣れたら初めから『解析』を使わなくてもできる、という寸法だ。


『解析』の赤プレートは霊力が見えるだけだが、『リーシェル=リンド(解析/知恵)』の銀プレートがあれば霊力の総量や残量、流れも解析できる。

『リーシェル=リンド(解析/知恵)』の銀プレートはセラ国にあり、リーシェル=リンドの作った精霊結晶から『解析』の赤プレートが量産され、各騎士団に配布されている。と言っても全員が持つ必要はないので、この騎士団でも二十枚程度しかなかった。

ちなみにリーオが持っている『ターシェル=リンド(分析/知恵)』の精霊はおかっぱ黒髪に眼鏡の女性精霊で『リーシェル=リンド(解析/知恵)』はおかっぱ金髪に眼鏡の女性精霊だ。


『霊力(フィーラ)』の『総量』は個人差が大きく、鍛練で増える事はあまりないが、肉体の成長と共に、総量が増える場合もある。それ以外で強くなるとしたら操作が上手くなる場合だ。


例えば、プレート使いが盾を三枚出そうとする。

術者は『盾』のプレートを持ち、盾を三枚、風をイメージして「ル・フィーラ!」と唱え発現させる。術者の『霊力調整(フィカルテ)』が上手ければできて、上手くなければ失敗する。

『霊力調整(フィカルテ)』が下手だと、三枚のつもりが二枚しか出なかったり、霊力が拡散してしまい、強度が低くなったりする。一枚目の盾は丈夫でも、二枚目、三枚目が柔らかい、と言う場合もある。

逆に上手だと、思い通りに操れたり、出す方向も細かく決められたり、発現時間も何秒後に消えるように(もっともこれは、消せばいいだけなのであまり使わないが、状況によっては役立つ)、一度に沢山に出せたりする。

例えば盾ならゼラトの六枚、七枚、シオウの火矢なら十本二十本は楽勝、といった感じだ。


――以上の事は、授業でもうやったので、プラグは走りながらシオウに更に『飛翔駆け』の注意点を伝えた。

「できれば体全体を包むのがいいけど、この速さだと上半身まで包むとついていけない。代わりに体内にある、心臓、肺、血液の循環を霊力で守って、呼吸を確保するんだ。体温が上がるから、たまに深呼吸して、適度に速さを緩めて、霊力の流れを落ち着かせて。慣れない内は、一歩を二、三メルトくらいにして、着地回数は減らした方がいい。飛び跳ねるより、走って、助走をつけてたまに飛翔すると早く進める。そうだな……クラリーナさんの体の動きを手本にするといい。彼女は相当上手い。あまり近づくと風圧があるから、いっそ真後ろに行くか、少し離れた方がいい!」

説明の間も、クラリーナが巻き上げた小石や、砂、木の葉が衝撃で飛んで来る。

プラグは少し速度を速めてクラリーナに併走した。

「クラリーナさん、後ろ、小石や砂が飛んで来ます! 目に入ったら危ないです。盾は使って良いんですか?」

クラリーナはプラグに意識を向けて答えた。

「風を調整して弾いて下さい。できますか?」

「――たぶん……分かりました」

プラグは頷いて、風を少し緩め、シオウに併走した。


「シオウ、誰かの後ろは小石が飛んでくるから、目に入らないように気を付けろ。風で弾くように、だそうだ。普通は盾も使うんだが、ここはちょっと乱暴だな」

プラグは口元に飛んで来た小石を風で払った。

「そんな問題か? うわ、あぶね! こっちに飛ばすな!」

シオウが咄嗟に手で払う。

「あ、ごめん! できなかったら、今みたいに手で弾いてもいい。大きい物だと怪我するからなんとか慣れてくれ。あ、口を大きくあけて喋ると、虫とか砂が入ることがあるから気を付けて、視線は先に。さっきのクラリーナさんみたいに会話の時もよそ見は厳禁だ。――いけそうか?」

「ああ、なんとなく、わかった、案外、足、楽なんだな」

シオウはもうコツを掴んでしまったようで、危なげなく走っている。プラグは舌を巻いた。

「すごいな……! その調子だ!」

「授業で、ちょっとやっててよかったな!」

確かに飛翔駆けの授業で速歩(はやあし)をやったが、駆歩(かけあし)それとは早さが全く違う。

速歩(はやあし)は普通に走るのより少し早い、程度なのだ。


『速歩(はやあし)』は一時間で十キロから十五キロくらい。

歩くより倍の速さ、つまり、早い人間が、延々と走った程度になる。

それより大分早い、一時間で三、四十キロ走れる程度が今の『駆歩(かけあし)』だ。


(あまり長時間使う物じゃないけど……、一時間くらいなら、ぎりぎりなんとか)

プラグは走りながら考えた。


湖は穏やかなのだが、そこを通るプラグ達は穏やかではない。

周囲の空気を揺らし、暴風のごとく、森を駆け抜けていく。


プラグは心配になってきた。湖の外周は森林で、この先もひたすら道が続いている。

「……どこまで行く気だろう?」

「結構楽しい。でも疲れて来た」

するとクラリーナが並んできた。

「慣れた様子ですね。では、ペースを上げて、このまま一周しましょう」

「……っ」

シオウが絶句した。

「ふふっ、冗談ですよ。座学の時間があるので、途中で折り返します。しばらくは直線で、障害物もありませんから、もっと全力で」

と言って更に速度を上げた。


――これは襲歩(しゅうほ)――全速力だ。

何かあったとき、例えば滑り込んで人を庇うときくらいしか使わない。

プラグは慌てて続いた。

この速さになると、逆に、飛んで移動はできない。地上を走らなければ、空気抵抗が大きく、ついていけないのだ。

この走り方は、一応、授業でもやったので、プラグもシオウもできるが――。

「これって……!? やばくないか」

この速さは、慣れていてもせいぜい五分が限界だ。


クラリーナはプラグが精霊の姿で走るほどに速い。

まだ半周はほど遠い。シオウが声を上げた。

「うそだろ……!? これであと、どんくらい走るんだ……!?」

「速い……!」

プラグも思わず言った。

さすがに息が上がってきた。

そして、少し恐くなった。この速さでもし何かにぶつかったら、危ない。

直線とは言ったが、湖に沿っている。つまり道は緩く右に曲がっていて、しかも初めて走る道なのだ。傾斜や窪みに足を取られたり、木の根に躓いたりしたら――大変だ。


「シオウ、悪いけど先を走る。前を見て! 転んだら盾を出せ! 集中して、彼女と同じ道を通らないと見失う……!」

プラグは走りながら言った。クラリーナは全く加減せずに先行して、かなり小さくなっている。このままでは見失ってしまう。

「ああ、頼む! つか、まじか!? わッ」

「――気を付けろ!」

それからは無言で走ったが、見失わないように、転ばないようにするだけで背一杯だ。

驚くべき事にシオウはプラグのすぐ後についてきている。初めてでこの速さについて来られるのは凄い。距離もちょうど衝撃が来ない絶妙の間合いを取っている。プラグは途中からシオウの事は考えない事にした。プラグが転んだら、シオウも転ぶ。

――延々と続く森を襲歩は、さすがに体力が続かない。


転ばないように気を付けながら、全速力で、十分は走っただろうか。


先行するクラリーナが、右手を挙げ、拳を握り、二本の指を立て左右に振った。

これは『二十秒後に停止、速度を落とせ』と言う合図だ。手を振らない場合は二秒後だ。

「シオウ、二十秒後、止まるぞ、ゆっくり緩める……!」

プラグは同じ合図を出して、速度を落としていき、やがて止まった。


「はぁ……はぁ……」

プラグは膝に手をついて、肩で息をした。

シオウも木に手をついて、呼吸を整えている。


「少し息を整えましょう。体調は、大丈夫ですか?」

「……なん、とか……」

「きつ……」

シオウもプラグも汗だくだ。クラリーナも汗を掻いているが、余裕がある。

「お水をどうぞ。これから、各自持ってきてくださいね。水筒は調理場で借りられます」

「……はい」

プラグは水筒を受け取り、二口飲んでシオウに渡した。

二人が呼吸を整える間に、クラリーナは長いリボンを取り出して、先程シオウが手をついた木の幹に、ぐるりと巻いて縛っていた。リボンは赤色でとても目立つ。

「それは?」

「到達のリボンです。午後の授業で皆さんの目安にします」

クラリーナが答えた。どうやら目安にされるらしい。プラグは少し悪いことをしたと思った。『飛翔駆け』はシオウは軽くこなしているが、実は結構、高度な技術だ。

候補生達がこの距離を普通に走るより速く、体力を使わず完走できるのは大分慣れてからだろう。


「では、半分には少し足りないですが、この辺りで折り返しましょう。帰りはもう少し、急ぎましょうね」

「……っ」

プラグとシオウは、復路の存在を思い出した。


■ ■ ■


――帰りはさらに速かった。


「ふう。あら、あと五分もありますね。上出来です」


「はぁ、はぁッ……いや……これは……早い……っ」

立ち止まるなり、プラグは膝を突いてしまった。全速力で走り続け、全身汗だくだ。

シオウも同じく汗だくで、膝をついている。

「……はぁ、はぁ、はぁ……! き、つ……ッ」

北側、教室棟の窓から生徒達が何事かと覗いている。


「私も少し疲れました、ふう、ああ、どうぞ」

クラリーナは近くにいたシオウに水筒を渡した。シオウは水を受け取り、素直に飲んだ。

「教科書は先にアドニスさん達に頼んでおきましたので、少し休んでください」

「……」

プラグは頷く事しか出来なかった。シオウに水筒を渡されたので、受け取って喉を潤す。

クラリーナに返すと、彼女は懐からコップを取り出して、注いで優雅に飲み始めた。水筒は空になったようだ。


シオウが口元を袖で拭った。

「朝ちょっと、って距離じゃ無いぜ……、……これで、往復七十キロくらいか? 馬鹿じゃねえの……!?」

クラリーナは半分には少し足りない、と言っていたから、片道三十五キロとしても。

……七十キロを五十分。

朝の鍛練とは言えない距離だ。

飛翔駆けは、霊力とプレートの力を使うので、霊力調整(フィカルテ)が上手ければ普通に走るより体力の消耗を抑えられるのだが。こんなに速くては消耗を抑えるどころでは無い。


「はぁ。ふう……信じられない……って言うかシオウ、初めてで良くついてきたな……化け物か?」

プラグは言った。シオウは飛翔のプレートで、思いっきり走った事が無いと言っていたのに全く遅れずついてきた。

「……必死だった、さすがに……きつ……これ、反動とかあるのか……?」

シオウが答えた。

「どうだろう、さすがにあるかもしれない……筋肉痛? になるのか?」

プラグは今まで『筋肉痛』という物になったことが無いのだが、今日、明日辺り、初めて経験するかもしれない。


そもそも飛翔のプレートで走るのは、せいぜい十分、慣れていても、速さを出さず、速歩でゆったり二十分までにするべきだ。

飛翔のプレートは百メルトを数秒で走れるほど速さが出るが、その分、人間の体には負担がかかる。

霊力を調整して、着地の衝撃を上手く殺しつつ、空気抵抗や着地回数を減らせば、足や、靴への負担は減るが、人や障害物にぶつかれば双方、大けがをする。

危ないので、森ではあまり使うな、市街地では屋根を伝うように、と教わる。

今日はシオウが上手かったから怪我が無かったのだ。


プラグは額の汗を拭いながら手を挙げた。

「クラリーナさん、ひとつ、意見しても、良いですか……!」

「はい、なんでしょう?」

「この、飛翔のプレートで全速力というのは、足に負担が掛かります。二十分以上の使用はあまり良くないと思うのですが……!?」

するとクラリーナは首を傾げた。

「あら。隊長から、貴方がた二人は、私と同じく『訳あり』だと聞いています。今も、問題があるように見えませんが? 骨折もしていませんよね?」


「それに、折れても『治療』で治りますし」

にこやかなクラリーナの言葉に、プラグは固まった。


「……うっ、でもシオウは?」

確かにプラグは問題ないが、シオウは人間だ、と思って見ると――目を細め、口の端を上げて余裕の笑みを浮かべていた。


「あ。俺は平気。そこそこ楽しかったぜ。お前はどうだ?」

シオウの言葉にプラグは絶句した。

……強がりにしても恐ろしい。呼吸も、もう整っている。

「この化け物……」

丈夫さで言えば、プラグの『嘘』の体より丈夫かもしれない。

「まあ、お前ほどじゃない。途中から、飛んで来た物が後ろに来ないように全部弾いてただろ。器用すぎ。どうやるんだ? また教えてくれ。で、どうだ?」

プラグも呼吸を整えた。溜息を吐いてばかりだ。

「……そうだな。俺もなんとか……。分かりました。でも、これを毎日……?」


クラリーナも多少、汗を掻いている物の――基本、涼しい顔をしている。

「ええ。慣れたら、一周、一時間程度できるようになりますよ。私は鍛練が趣味なので、毎日、半周はプレート無し、半周はプレートありで走っています。あなたがたは、明日も、今日と同じく、小屋まで三往復――いえ、時間的に、二往復ですね。その後、『飛翔』を使ってのんびり、湖半周で良いでしょう。でも、途中で戻ると結局一周分になるので、回ってしまった方が楽ですよ? そうだわ。城が見える所まで普通に走って、残りは飛翔で湖一周もお勧めです」


「……」

クラリーナはとても嬉しそうだが、プラグとシオウは灰になりかけた。


「今の様子ですと心配なさそうですが……反動が来たら治療のプレートを使って、明日からは飛翔の距離を減らして、少しずつ慣らして下さい。ペースはお任せします」

プラグは項垂れた。

「……今日から、少しずつ慣らすべきだったのでは……?」

するとクラリーナが、微笑んだ。

「それでは鍛練になりません。まさか二人とも、ついて来られるとは思いませんでした。先が楽しみです。では、午後の稽古でお会いしましょう。――またね」

クラリーナは可愛らしい笑顔で、可愛らしく手を振った。


彼女の後ろ姿を見て、シオウがとても嫌そうな顔をした。

そしてがっくりと、地面に手を突いた。

「うわー……うぇー、絶対、筋肉痛になる! 俺、もうここ、辞めようかなぁ……! やめてやるー……!!」

「……それがいいかもな……」

プラグは初めて辞めたいと思ったが……。

何となく、シオウは辞めたいようには見えない。むしろ、今、口元が笑っていたような。


プラグは寝転がり、高い空を仰いだ。

「はぁー……」


『君は、何でも手加減……いや、ほどほどで手を抜く癖があるから、まず、全力を尽くすことを覚えよう。自分の限界を知ることは、とても重要だよ』


――今、なぜか、ラ=サミルの言葉を思い出した。


『祭司は他の精霊の模範になる存在だから、何でもできるようにしておかないと。いざとなったら、率先して皆を守る義務がある』


その後の、いっそ消滅した方がまし……という、鍛練と勉強漬けの日々……。

精霊はクロスティアにいる限りは、いくら幼くなっても消滅しないのでそれを逆手に取ってできるだけ詰め込み、あらゆる武器を教わって、勉強に勉強を重ね経典を暗唱し祝詞を覚え、歌や舞まで教わった。

背の縮んだプラグが、這いつくばって『眠りたいです……寝させて下さい……』と言うと、まだまだ、あと半年、と言われるのだ。

プラグは大抵の苦労が気にならない程、ラ=サミルの事が大好きだったが――本当に良くやったと思う。若く、純粋だった為、なんとかできたのだ。


……この年になって、まさかまた、あんな無茶をする事になるのだろうか?


(絶対、無理だ……)


祭司(ネフス)には合格基準があり、これらが全部できれば祭司、これが全てできれば大祭司、とはっきり聖典に書かれていた。例えば祝詞の暗唱、武術の鍛練などの、二百近い項目に一つずつ印をつけて、残りあと幾つ、となるのだ。

プラグは祭司の基準を満たしたので、祭司になれたのだが……大祭司(ネフスティア)は『見る』役目を貰わなければ、永遠に無理だっただろう。

例えば……。

『手を触れずに物を持ち上げる』

『自分の周辺に心地よい風を吹かせる』

『水の上を歌いながら軽やかに歩く』

『燃えさかる炎の中で、一分間、舞踊をする』

『周囲の五名に言葉を使わず思考を伝える』

とか、そんなのできる訳がない。

無理だから、急がず焦らず日々精進とうそぶき、程々に勉強し、程々に遊んでいたのだ。真面目な生徒とは言いがたかった。


……だが、プラグは、できないなりに、背一杯やっていたのだ。

……たまに戻って来た、ラ=サミルが褒めてくれるから……。


『サミル様、サミル様がいない間に、三つできました!』

カド=ククナが聖典を持って報告すると、ラ=サミルは目を丸くして、驚愕し『すごいな……!?』と言って、頭を撫でて抱きしめて頬摺りして、またぎゅっと抱きしめてくれた。

『じゃあ次は……これとこれをやってみよう。もしできたらこれも。ああ、私はもう出かけないと。顔が見たくて来てしまったよ』

ラ=サミルの言葉にカド=ククナは微笑んだ。

『はい、頑張ってみます。行ってらっしゃい。お気を付けて、でも、寂しいので、早く戻ってきて下さいね。忙しいのに会いに来て下さって、ありがとうございます。お役目、頑張って下さいね!』

人は良く、思い出は美化される……と言うが、今まさにそんな心境だ。

……普通に騙されている。


(サミル様……お元気ですか? また、お会いできたら……貴方だけは、どうか、俺の努力を褒めて下さい……いつも、俺なりに、全力でやっているんです……)


プラグは泣きそうになりながら、シオウを見た。

するとシオウが舌打ちして「やってらんね……寝たい」と言って隣に寝転がった。


「シオウ、お前……精霊の混血だったよな……? 孫辺りか?」

シオウはプラグが思った以上に屈強だった。

『剣』の末裔であるルネは例外として――ここまでの強さは間違い無く、孫の代にしか発現しない。つまり、シオウはコル=ナーダの実孫なのだ。

血は薄いのは……方法は分からないが、もし血を薄めることができれば、短命の危険は減るのかもしれない。

するとシオウが、こちらを恨めしそうに睨んでいた。見た事の無い程、鋭い視線だ。

「……そういうお前こそ、何なんだよ? ホントに人間か?」

「俺は、普通の人間だよ……ここは化け物ばかりだ……」

プラグは普通の人間だ。化け物ばかりの人間に比べたら、とてもか弱い精霊だ。するとシオウがブチ切れた。

「あ゛ー!? こんな普通があるかアホ!! お前、人間じゃねぇだろ! 分かってんだぞ! 人に化けた精霊だろ! 俺知ってんだぞ! 『嘘』のプレートを使えば人間になれるって!」

シオウの言葉にプラグも切れた。とても良い所を突いてくるのはやめて欲しい。

「はァ? 何言ってるんだ? ああ、たぶん、きっと俺にも、精霊の血が入ってるんだな、この髪だし! この髪だから!」

プラグは自分の髪を引っ張った。


二人は互いしばらく睨み合って、揃って地面に伸びて「はぁ~」と溜息を吐いた。

疲れたから喧嘩、とは不毛すぎる。

「もうサボって寝るか……足折れたことにして……」

シオウの言葉にプラグは同意した。

「そうしたい……でもきっと、治療しろって言われる……」

「うわ……ここ、最悪か……?」

シオウが言った。やはり、微妙に声が笑っている気がする。


「おい、そこの二人、生きてるか大丈夫かー! 授業、始まるぞー! ……生きてるか?」

現れたのはコリントだ。

わざわざ様子を見に来てくれたらしい。


プラグはどうしても、確認したくなったので起き上がった。

「あの……コリント隊士、これ、普通なんですか? 隊士は皆、このくらい走るんですか……?」

本当は『ただの人間が、本当にこんな恐ろしい鍛練をしているんですか?』と言いたい。


「どのくらい走った? まさか湖、一周したのか?」

コリントがクラリーナが去った方を見た。

「湖を半周、少し足りない程度でしたけど、途中からずっと襲歩で。ついていくのがやっとでした」

プラグは答えた。

「あー、そんな事だろうと思った……。クラリーナさんは鍛練好きの、おかしい組だ。精霊の力? を貰ったとかなんとかで。まあでも、鍛練も仕事の内だから、皆、暇な時は走ってる。この隊のおかしい組はホントにおかしいぜ。まあ俺は普通の人間だから飛翔は三十分が限界だけどな。一応、のんびり一周くらいなら。なんとかできる」


「それって……普通の人間……ですか?」

プラグの言葉に、コリントが遠い目をした。

「……『普通』って何だろうな。ま、慣れだ」

彼もこの無茶を乗り越えて隊士になったのだろう。

「尊敬します……」

プラグは言った。リゼラも凄いが、コリントも凄かった。色々な意味で。


「まあ基礎体力は強さにあんまり関係無いから、俺はもう気にしてない。あって損はないけどな。さ、もう始まる、急げよ」

……確かに走ったところで、体力は付くが、強くなるわけでは無い。

プラグとシオウは盛大な溜息を吐き、互いに手を貸し、立ち上がった。

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