アル=ドレア
パンシャン先生
第1話 赫門、開く
それは、空が焼けるような赤に染まった、梅雨の終わりのことだった。
6月の湿気がこもる東京湾に、突如として“それ”は現れた。
円形に開いた光の門――赫門(かくもん)。
まるで天を裂いた巨大な傷口のように、赤い光が空気を震わせる。
始まりは、そんな異常現象だった。
⸻
「兄ちゃん、今日、帰り遅くなるかもー!」
高校2年生の真堂ミオは、玄関で靴を履きながら叫んだ。
その声に返事をしようともしないのが、兄の真堂レイだった。
彼は高校3年生。
眼鏡の奥で眠たげな目をして、スマホの画面をスクロールしていた。
「また……このニュース。昨日と同じか」
“東京湾上空で発光現象”“空間震か? 専門家の意見割れる”
そんな見出しがSNSを埋め尽くしていた。
「兄ちゃん? 聞いてるー?」
「ああ。気をつけて行けよ」
ミオは笑った。
「うん!」
それが、最後のやりとりだった。
⸻
その日の夕方、東京湾の空が――真っ赤に染まった。
テレビは「夕焼け雲」と報じ、SNSでは「フェイクだろ」と言われたが、レイはすぐに異変に気づいた。
ミオから、LINEが届いていた。
「兄ちゃん、空……ヤバいかも」
そのメッセージを最後に、既読がつかなくなった。
不安が走る。
レイはスマホを握りしめ、薄明の空の下、自転車を飛ばした。
彼女が行くと言っていた映画館の近く――湾岸エリアへ。
⸻
到着したその場所は、既に人払いがされていた。
パトカー。自衛隊の装甲車。謎の黒服。
テレビには映らない“本当の光景”がそこにあった。
けたたましい音が空に響く。
見上げた空に、巨大な赤いリングが浮かんでいた。
ただ、浮かんでいる。
しかし、直感が告げていた。
“あれは――帰ってこられないものだ”
そのときだった。
赤い光が地面に一筋落ちた。
その先の街灯の下に、ミオの姿があった。
光に包まれ、まるで引き込まれるように、彼女は浮かび上がる。
「ミオ!!」
レイは叫び、バリケードを飛び越えた。
止めに入る隊員を振り切り、ただ走った。
だが、ほんの一歩届かない。
ミオは赤い光に包まれ、門の中心へ吸い込まれていった。
「……くそ……くそッ!」
目の前で、赫門が閉じる。
閃光がはじけ、ミオの姿は、完全に消えた。
――
それからの数日は、悪夢だった。
レイが何を言っても、誰も取り合わなかった。
警察は「事故による行方不明」と処理し、ミオの通っていた学校には、彼女の在籍記録がなかった。
家の中からも、彼女の痕跡が少しずつ――まるで誰かが意図的に――消されていった。
スマホの写真フォルダ。通話履歴。家族写真。
どこを探しても、ミオの名前は見つからない。
「……これは、記憶じゃない。現実を“削除”してる」
誰かが、世界ごと、妹を消している。
レイは気づいた。
これは事故でも、ただの行方不明でもない。
意図的な抹消だ。
それも――国家レベルでの。
⸻
そして――
半年が経っていた。
世間ではすでに“赫門”の話題も薄れ、テレビはお笑い芸人のゴシップを流し、SNSでは陰謀論と釣り動画が席巻していた。
だが、真堂レイだけは忘れていなかった。
忘れられるはずがなかった。
ミオはあの日、空に吸い込まれた。
しかし、世界はまるで“最初から存在しなかった”かのように、彼女の痕跡を消していった。
それでも――彼の記憶は、生きていた。
レイは、東京湾での赫門出現映像を集め、すべてフレーム単位で解析した。
削除される前に保存しておいたSNS動画、海外ニュースサイトのコピー、匿名掲示板に投下された監視カメラ映像。
中には合成やフェイクも多かったが、レイは正確に“本物”を見分けた。
「赤いリングは、一度完全に消えてから再び浮かび上がる。初回から3日後、次は6日後。その次は13日後……倍々になってる」
彼はホワイトボードに日付を並べ、周期の法則性を割り出していく。
やがて彼は仮説を立てる。
「赫門は、“開こうとする力”と“この世界の物理法則”との間に摩擦を起こしている。だから不安定で周期がズレる。だが干渉点を見れば――次の開門タイミングは予測できる」
それは科学的な証明ではなかった。
むしろ、直感と観察と偶然の融合だった。
けれど、レイには確信があった。
なぜなら――
「あの日の空。ミオが消えた時間と“風の止まり方”が、3日前の深夜とまったく同じだった」
彼は自然現象の“共鳴点”を感じ取っていた。
それは人智の及ばないものかもしれないが、妹の痕跡を追う彼には、奇跡ではなく“道筋”だった。
⸻
人のいない湾岸エリア。
潮の匂いが漂うその場所に、防寒着とスニーカーだけでレイは湾岸に立っていた。
ただ一人、妹を取り戻すために。
そして、深夜0時33分。
空が、赤く輝いた。
風が止まり、音が消える。
そして再び、赫門が現れる。
「行くしかないんだ。例え、もう戻れなくても……」
彼は、自分に言い聞かせるように呟いた。
赤い光が、彼の影を長く伸ばす。
一歩。
また一歩。
その中心へ向かって――レイは、走り出した。
⸻
世界が、裏返った。
赤い光とともに、重力が消え、音が歪む。
レイの身体が浮かぶ。
「待ってろ、ミオ。絶対に、お前を――」
その言葉を最後に、彼の姿は赤い空間に呑まれ、消えた。
⸻
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