徒然していくスタイルのエッセイ

田島ラナイ

なんでそもそも物語なんか書いてんの?


たぶん、僕らの多くは“書かない”まま通り過ぎる。


書くというのは、少しだけ面倒で、ちょっとだけ勇気がいる。たとえば夕飯の献立を考えていた最中にふと頭に浮かんだセリフ──「いや、それでも、明日までは待つつもりだったんだ」──それを実際に文字に起こすかどうかは、脳内のスイッチひとつだ。


カクヨムという場所は、そのスイッチの押しどころにある。無料で投稿できて、読者がいて、評価もついて……と、仕様を列挙すれば単なる“サービス”だ。でも、本質はもっと原始的で、正直だ。


“物語を他人に見せる”というあの奇妙な欲望に、カクヨムはとても静かに手を差し出してくる。


僕は最初、なんとなく投稿した。自信があったわけでも、野望があったわけでもない。ちょうどいい箱がそこにあったからだ。投稿ボタンを押す感触は、無人駅のベンチにメモを残すようなものだった。「誰か、読んでくれたらいいな」と思いながら、風に吹かれるのを待つ。


そして数日後、「面白かったです」とだけ書かれたコメントが届いた。たったそれだけで、僕の中の何かがじわりと動き出した。


それ以来、僕は物語を“立てる”ように書くようになった。誰かに寄りかかってもらうための、電波塔みたいな文章を目指している。高くて、細くて、不安定でも、遠くから見えるように。


カクヨムにあるのは、そういう電波塔の林立だ。完結していても、未完でも、たとえ埋もれていても、そこに“立っている”という事実がある。これは現実よりもずっと正直な世界だ。


そう、たぶん僕は、書くことでバランスを取っている。読む人がいてくれたら、なおさらうれしい。でも、いなくても、立てる。風の中でじっと立っている。そのこと自体が、物語なのかもしれない。



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