四 六禽融脈湯
「
「そうとは微塵も想っていない。……僕のために、ここまで尽くしてくれる蓉子には、
「……医が病人の夜伽をするのに生命を賭すのはあたりまえよ」
とはいえ、当節に触診したときよりも、角は雅明のからだを蝕んでいる。早急に薬を調らねば終焉も間もない。徐々に脳をもに疵をつけられたのか、焦点は上手く合わず、
(この病……脳にも影響を与えるのか)
「すぐに薬を調るから、あとすこしの辛抱ね。私も出来るだけ早く仕上げるわ」
「……有難う、蓉子」
雅明の
離にある薬棚には、易くは手に入らぬ神妙な漢方や薬も置かれている。あまり手を出さずにいたが、
(また手に入れるには生命がけで採らねばならない……が、やるしかない)
白鵠の皮と血合いを除き、
孔雀は
舎利の骨を割砕し、空焙で油脂を飛ばす。
鸚鵡は舌を外で乾す。その後、石で軽く碎くのだ。
迦陵頻伽の翅は表面を僅かに炙り、焦がさぬようにしながら香を立たせる。
命命鳥は血を玉と為し、棚奥に仕舞う。冷暗所に置くのだ。
下拵えが済めば間もなく調薬の本場である。
土鍋に
その間に他の鍋で孔雀の胆と
鸚鵡の舌は
それが烹上がる前に迦陵頻伽の翅を鍋淵に浮かべ香をあまやかに融かす。
基湯に白濁の波紋が滲んだ頃、蓉子は
最後に琥珀蜜、
蓉子の薬としては珍奇なもので、謂わゆる《気》に拘わる薬なのである。
出来上がった琥珀色の
(俟ってて、雅明)
この瞬間、薬は結ばれたから。
◇
「出来たわ。
雅明の眼前に搬ばれたのは、劇薬という辭からは程遠い、透き通った汁物だった。温気を吸った湯気がゆらゆらと昇る様子は、喉奥の腺をほのかに刺激し、涎を
「……えっと、なにを使っているんだい?」
「六鳥と、それから秘伝の妙薬をね。山の奥地にでも踏み入らないと
譬えば
(滅多に採れない。だからなるべくは、使いたくなかった。……けれども、治すには、これしかなかった)
相手が主上でも
「そうか……そんなのを、僕に使っていいのか?」
「患者は皆平等よ。身分は関係ない」
生命の重さは、誰でも均しいのだから。
「……有難う。それじゃあ、
雅明は手許の汁碗を抱え、汁物を口へ搬んだ。霊妙な鳥の、
「……美味しい」
「でしょう。もしも飽きたのならば、これを」
蓉子は横に薬瓶を置く。中には燻んだ緑の粉末が入っており、少々ばかりの黒い粒もみえた。雅明は見憶えのあるようなないような、奇妙なものを前にして、眼を
「
「へえ、美味しそう。かけていいのかい?」
「一振りを推めるわ。辛味が少々強いから、ね」
雅明が汁物に
「そんな特性があるんだね……」
「ええ。ほら、服みなさい」
雅明の
そのときだ。瓦礫の崩れ落ちる音がした。
(上手くいった)
刹那、疵口から血が飛びでる。だが間もなくして血は止まり、癒えた。莟を綻ばせた紅梅の花が、瞬く間に散り際を迎えるかのような、果敢なく荘厳な止血だった。
「……有難う、蓉子。お陰で、また、……」
「なんだっていいわ、癒えたのなら。治ることに越したことはない。私は救けるためだけにある。医として」
御簾を上げると、東の昊天が白々と明けようかとする頃であった。
「……ご馳走様」
「お粗末様」
雅明が面を上げた。端整な
「私、此度に識ったわ。将来の《毒鬼》を治すのに、今の邸の薬や智識では脆弱すぎる」
今後、雅明のような
この邸の中にあるものでは、いつか底をつく。
「もっと……薬が要るのか」
「そうなるわね。でも、中には智識がないと、触れることさえ難い薬もある」
すこしでも誤れば生命を殺める《毒》となる劇薬たちだ。
「だから、大陸の総ての薬学を、薬の智慧を、私は皆に享けとってほしい」
「僕もそれには賛成しかない。智識が具わることに損はないからね。僕も薬の智識に到らぬところがあるし」
雄鶏の啼く声が、暁の雲を起こした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます