四  六禽融脈湯

 やしきに着いた頃には間もなく夜這いの栄える時刻となっていた。

 蓉子ようしは六鳥を負ぶったまま敷居を跨ぎ、己のことを長らくっていた陰陽師の健勝を確認しに行く。


雅明まさあき。俟たせたわ」


「そうとは微塵も想っていない。……僕のために、ここまで尽くしてくれる蓉子には、鑽仰さんぎょうの想いばかりが募るよ」


「……医が病人の夜伽をするのに生命を賭すのはあたりまえよ」


 とはいえ、当節に触診したときよりも、角は雅明のからだを蝕んでいる。早急に薬を調らねば終焉も間もない。徐々に脳をもに疵をつけられたのか、焦点は上手く合わず、あたまも舟を漕ごうとしている。


(この病……脳にも影響を与えるのか)


「すぐに薬を調るから、あとすこしの辛抱ね。私も出来るだけ早く仕上げるわ」

「……有難う、蓉子」


 雅明のことばを享けとって刹那、蓉子は離へ向かった。


 離にある薬棚には、易くは手に入らぬ神妙な漢方や薬も置かれている。あまり手を出さずにいたが、現在いまは不測の事態だ。奥義を使わぬ手は、もう、なかった。


(また手に入れるには生命がけで採らねばならない……が、やるしかない)


 白鵠の皮と血合いを除き、鹽水しおみずで軽くあらう。鍋に入れて盖を閉じ、へっついの薪に火をともす。

 孔雀はきもを薄く切り、低温で焙煎をする。こうすることで炭火を想わせる僅かな苦味が出るのだ。

 舎利の骨を割砕し、空焙で油脂を飛ばす。

 鸚鵡は舌を外で乾す。その後、石で軽く碎くのだ。

 迦陵頻伽の翅は表面を僅かに炙り、焦がさぬようにしながら香を立たせる。

 命命鳥は血を玉と為し、棚奥に仕舞う。冷暗所に置くのだ。


 下拵えが済めば間もなく調薬の本場である。


 土鍋に月露七夜水げつろしちやすい、舎利の骨を容れ、中程度の火を点す。旺んに泡が出るようになれば、残りは六刻*三時間の間烹出し、玉露蓮根ギョクロレンコンを容れて更に一刻*三十分が経てば、基湯もとゆが出来る。

 その間に他の鍋で孔雀の胆と紅蓮花粉ぐれんかふんを煎ずる。苦味を油脂ごと抽出するのだ。それを濾して基湯と雑ぜて畢りである。

 鸚鵡の舌は青藤アオフジの小片と共に布袋に容れ、一刻経とうか経たぬかの間、基湯に沈め香味を出す。

 それが烹上がる前に迦陵頻伽の翅を鍋淵に浮かべ香をあまやかに融かす。銀桂葉ギンケイヨウを加え芳香を取りいれる。


 基湯に白濁の波紋が滲んだ頃、蓉子はへっついの炎に砂を降りかけた。常温に熱を下げた鍋に、冷暗所に置いた命命鳥の血の玉を融かす。

 最後に琥珀蜜、白瑩酒はくようしゅを数滴垂らす。


 蓉子の薬としては珍奇なもので、謂わゆる《気》に拘わる薬なのである。

 出来上がった琥珀色の汁物つゆものをみて、蓉子は前掛の紐を解いた。


(俟ってて、雅明)


 この瞬間、薬は結ばれたから。



    ◇



「出来たわ。六禽融脈湯りっきんゆうみゃくとうよ」


 雅明の眼前に搬ばれたのは、劇薬という辭からは程遠い、透き通った汁物だった。温気を吸った湯気がゆらゆらと昇る様子は、喉奥の腺をほのかに刺激し、涎を催促うながす。


「……えっと、なにを使っているんだい?」

「六鳥と、それから秘伝の妙薬をね。山の奥地にでも踏み入らないと様相すがたさえみれない薬もあるわ」


 譬えば月露七夜水げつろしちやすいは、菩薩ほとけの睡ると称される山の涌水と、臘月の雫を融けあわせた霊妙な薬水だ。銀桂葉ギンケイヨウも、易く登れぬ山にしか自生していない、銀の桂花キンモクセイの葉である。


(滅多に採れない。だからなるべくは、使いたくなかった。……けれども、治すには、これしかなかった)


 相手が主上でも奴婢どれいでも、然る症状が顕れたのならば、迷わずに然る薬を調ったであろう。


「そうか……そんなのを、僕に使っていいのか?」

「患者は皆平等よ。身分は関係ない」


 生命の重さは、誰でも均しいのだから。


「……有難う。それじゃあ、頂戴いただくよ」


 雅明は手許の汁碗を抱え、汁物を口へ搬んだ。霊妙な鳥の、鹹味かんみを想わせる舌への刺激が、食欲を唆る。浮かぶ肉は歯が要らぬほど口の中で蕩け、汁物と融けあいより旨味を増進させた。


「……美味しい」

「でしょう。もしも飽きたのならば、これを」


 蓉子は横に薬瓶を置く。中には燻んだ緑の粉末が入っており、少々ばかりの黒い粒もみえた。雅明は見憶えのあるようなないような、奇妙なものを前にして、眼をしばたかせた。


火柚丹カユタンという木の実の粉末よ。柚子胡椒ユズコショウと合わせ鏡のようなもの」

「へえ、美味しそう。かけていいのかい?」

「一振りを推めるわ。辛味が少々強いから、ね」


 雅明が汁物に火柚丹カユタンの粉末を落とした途端、汁物は琥珀から黄金に色を変えた。さながら莟の綻びである。


「そんな特性があるんだね……」

「ええ。ほら、服みなさい」


 雅明の咽喉のどには、ほのかな熱と痛覚が伝う。しかしながら汁物の旨味がそれを調和し、き味として感ぜている。孔雀の肉や舎利の骨から滲み出る出汁が、舌の神経の一本にまで、伝えているのだ。


 そのときだ。瓦礫の崩れ落ちる音がした。

 獬豸かいちの渦巻いた角が、ぽろぽろと、雪のように落ちていた。地につけば、融けたかのように様相すがたを消す。


(上手くいった)


 刹那、疵口から血が飛びでる。だが間もなくして血は止まり、癒えた。莟を綻ばせた紅梅の花が、瞬く間に散り際を迎えるかのような、果敢なく荘厳な止血だった。


「……有難う、蓉子。お陰で、また、……」

「なんだっていいわ、癒えたのなら。治ることに越したことはない。私は救けるためだけにある。医として」


 御簾を上げると、東の昊天が白々と明けようかとする頃であった。時鐘じしょうは響かず、日に日に宵が短くなりつつある当座を告げる。


「……ご馳走様」

「お粗末様」


 雅明が面を上げた。端整なかんばせが露わになる。病臥びょうがうれいの跡は見享けられず、蓉子は報られぬ歎息をした。


「私、此度に識ったわ。将来の《毒鬼》を治すのに、今の邸の薬や智識では脆弱すぎる」


 今後、雅明のようなまれな病が流行ったときに、奥の手の薬を使い続けるのは難いであろう。易く採れぬ薬ばかりだからだ。

 この邸の中にあるものでは、いつか底をつく。


「もっと……薬が要るのか」

「そうなるわね。でも、中には智識がないと、触れることさえ難い薬もある」


 すこしでも誤れば生命を殺める《毒》となる劇薬たちだ。


「だから、大陸の総ての薬学を、薬の智慧を、私は皆に享けとってほしい」


「僕もそれには賛成しかない。智識が具わることに損はないからね。僕も薬の智識に到らぬところがあるし」


 雄鶏の啼く声が、暁の雲を起こした。

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