十九 宴席

 神の御殿みあらかの域を闊歩した隊伍が、昂然とした宮殿に舞い戻ってきた。篳篥ひちりきしょうの奏楽が意気揚々と蒼昊そうこうに昇り、飛天の如き舞姫が共鳴して霓裳げいしょうを振っている。

 華やかな春季が舞い降りたかのようだ。


(随分とまあ、長く舞えることだ)


 蓉子は後宮の官女と共に、開宴を告げる大和歌わかが詠まれるのをっていた。歌仙の貴族が円い水に流して春を寿ぐだが、詳らかなことを蓉子は識らない。

 やがて、深紅の絨緞じゅうたんに並べた卓子つくえに皆が並んで脚を揃えた。


(……あれ、雅明)


 雅明は座らずに、皆の視線の集う前方で、蝶を舞わせていた。彼の式神に蝶がいたが、まさか。

 蓉子が凝視していると、雅明は蝶を指に留め、喜色に顔を染めた。


「当座の邪は只今祓ったゆえ、この場は浄化されています。春季を司る青龍は大変慶んで天より舞い降りました、この弥和国に瑞をもたらすでしょう。今宵の妖霊星は瑞兆と想われます。踏青とうせい鞦韆しゅうせん、春は我らを導く季。再訪を祝賀し、参議権中納言殿の大和歌わかを篤とお聴きあれ」


 小太りの貴族の男が前に上がり、短冊に濃やかな筆で流麗なかたちを描く。恐らくは達筆なのだろうというのは、手許があまりみえずとも解った。


うぐひすの 声に誘はれ 庭の梅 舞ひ立つ風に 袖を揺らして」


 各々の地で喝采が巻き起こった。皆が悦楽に燃るなか、法螺貝が響いたかのように双眸ひとみを険しく鋭利にする蓉子は、領巾ひれで口を隠した。異性に面と向かうため、口許を秘するのだと蘭に教わったのだ。

 蓉子の場合は、毒鬼姫が毒を盛ったと奇しまれないように、他人を粧うゆえだ。


 まずは前菜を搬んだ。

 漆の小鉢に盛られた色沢つややかな烏豆烹くろまめにが人々の手許に届き、后妃は特段辭を發することはなかったが、貴族の独り、浅縹あさはなだの袍を纏った者が桌子を強かに敲き立ちあがる。


「なんだ、この卑賤の糧食は! まるで飢える奴婢ではないか」


 饗宴に響めきが広がる。ほとんどの者は地味だとは勘づいていたが、卑賤とは毛ほども想っていなかったようだ。

 浅縹の貴族は、今度は庖丁人りょうりにんは何処だと叫きだしたので、周囲の数名の貴族が彼を取り押える。したらば、障子の向こう側から、鈍い音が蒼天に轟いた。


「静粛に。これは庖丁人が、我々の壮健を祈り、丹精込めて調りた薬だ。薬を無下にするだけでなく罵るのは、生命にたいする侮蔑。謹め」


 凛乎とした声に聞き憶えがあり蓉子は想わずかんばせをあげた。中宮の声だった。嫋やかなひとの心証が強かったが、想えば出逢って間もない日は、恬淡てんたんと診療を拒っていた。


(女房に灰燼はいをぶち撒けられて廻廊から庭園に突き落とされたのも、随分と懐かしいことのように想える)


 一騒ぎ終えた饗宴にて、后妃たちが一度ひとたび口にする。


「ん、甘いわ」

「ええ。でも、甘ったるくはないのね。なんというか、マメの甘味を感じるわ」


 烏豆烹くろまめには錆びた釘でなく鉄鍋で黒色をつけたゆえ、漆黒に染まっている。黒は邪を祓い厄を遠避ける色と云われており、旧くから烏豆は祝祭いわいの席で出されてきた。


(それを卑賤の糧食とは、無教養な。まあ、学ぶ前は皆無知だものね)


 智識とは、旧くより承け継がれた人々の激情と奮励の賜物だ。己は識ることで叡智を授かることのできる、途轍もなく恵まれた身だと、蓉子は密かに胸の裡で独り言つ。


「新春には、忠実まめに生きれることや、皴が寄るまで長寿でいられることを希う意味があるそうだな。辭の掛け方が巧いが、散り急ぐ花の袂で食べるのも巧い。作り手は大層博識なのだろうな」


 先刻さきほど大和歌わかで宴の幕を開けた歌仙が、歎息を重ねながら云う。


「続いて、ナツメの蜂蜜漬けで御坐います──」


 白瑠璃の杯に注がれた琥珀色の蜜に、幾つかの棗の実が游いでいた。

 清閑の間が調べを奏でる花蜜に、歓喜に燃ゆる声があがった。佳賓かひんの招かれる席に坐っているのであろうと想った。星の逢う銀漢を移したような美麗うるわしい裾は、大陸の襦裙である。


「白瑠璃は絹の道を辿りにしより参った物ね。わたしの邦でも至宝として飾られているわ」


 確か大陸から、築かれて間もない邦の始皇帝とその皇后が招かれていたか。弥和国みやまとのくにの肥沃な温床を識り、鼎談けいだんを希んでいるという噂が流れているか、実のことは解しかねる。


「……この蜂蜜は、いったいなんの花の蜜かしら?」


 大陸の皇后が訊ねる。領巾ひれがずれぬよう整えながら、蓉子が一歩麦踏みする。


露華ロカという、高地に咲く花で御坐います。花蜜は一昼夜に一匹の蜂から小匙一杯ほどしか採れず、また渇いた土地では瞑するため、あまり口にすることのできない希少な蜂蜜なのです」


 窈窕とした銀白と桃花の花葩はなびらを、八重として咲かせる露華の花は、霧の晴れない山に根を張る。旧い文書、はたまた古の大陸においても、心身を統律し、感冒かぜの症状を和らげ、肝腎を養い清めるとの記述が残っているほどの薬効を持つ花だ。一方で毒と転ずるのも易いほどの劇薬のため、他の食材と共に口にするには、医の監視を必要とする。

 棗、枸杞クコ竜眼リュウガン鳩麦ハトムギなどの草は、劇薬である露華の花蜜を円やかにし、毒と為しづらくなる。そこに薏苡仁ヨクイニンを加えることで薬効を足すのだ。薏苡仁は鳩麦を祥とする漢方なので、露華とは相性が良い。


「蜂蜜だが、甘味が強くないのが良いな。程好い酸味を含んでいる」

「棗の食感がまたなんとも」


 余談だが、露華の花蜜は通常の蜂蜜に比べて甘味が弱く、酸味が強いのが特徴だ。甘草カンゾウを加えなければ、むしろ酸っぱいと感ずる者も多いが、棗の甘味がそれを調整している。


「名のある果実ではなく露華の蜜を使うところが粋ですね。棗は大陸では、一日三粒口にすれば老いないと談られるほど薬としての御力を信仰されていたそうですし……」


 雅明まさあきが言を呈する。


(盆暗の貴様おまえは口開かん方が良いんじゃないの)


 続いては花餅だ。

 紅梅と白梅が咲って並んだ花餅の花蕊は金箔になっており、円い輪郭が清浄な心を喚ぶ。


うつくしい*かわいらしいわね」

「ええ」


 噛むと餅の柔らかな食感と薄皮の独特の心地が餡と馴染んで、口の中で蕩ける。餡は口内のぬくもりで融けて流れる果敢なささえ持っていた。


「すぐに消えてしまうわ!」

「あっという間に食べてしまったわね」


 梅の馨りが鼻腔をくすぐり、ほのかな酸味が餡の中で馥郁を纏い満ちる。桜餡とは異なる味はまさに梅そのものだ。


 春の七草のお浸しは健胃を図ったものだ。食欲を増進するために柚子ユズの酢を混ぜた馨りは柑橘のものだ。胃に障らぬよう、出汁と共に浸すことで、好い循りを生み出している。


「春の七草は、恋の大和歌うたにも詠まれているそうだな。縁を想わせて誠に惹かれる」


 前菜と喚ばれる過程はこれにて了りだ。

 ハマグリアワビの御吸物を提供する。貝の出汁の旨味が融け込んだスープからいその馨りが立ち込め、湯気をたてている。

 桃の節句の席で、女子おなごの健やかな成長を祈る蛤の御吸物を、己なりに少し豪奢さを足したのだ。

 鮑には、体内の「けつ」を補い、体熱を下げる薬効がある。蛤には同様の薬効と共に、からだを潤すちからもある。

 御吸物という温かなものと戴くことにより、体温を平熱に調え、潤沢にすることができるのだ。


 筍と香蕈シイタケ烹物にものにはゼンマイワラビフキをいれ、更には発癌を抑えはらわたを調える想菰マイタケ天麩羅てんぷらを添えている。人の身に障らぬよう、菜種油で揚げ、衣を薄くしている。天麩羅というより、唐揚げだ。高貴な馨りが満ち、烹物の甘辛い味と馨りが食欲をあおる。


想菰マイタケは野山に践みいっても、素人ではみつけられないそうだな」

「饗宴で口にできて、光栄だ」


 真鯛の烹付けは尾頭おかしらをつけ、まるで活きたまま烹たかのような生命をとじこめている。甘塩っぱい味醂みりんと馨り高い生薑ショウガが耀く。


「鯛も、愛でたいという掛け辭で祝祭いわいの席でだされるな」


 真鯛は弥和国みやまとのくにではうおの王と称ばれるほど高貴な魚として識られており、商人間でも高額で取引されている。

 鯛はしおや醬油より味醂が好まれる。しかし味醂では鹽気が足りないので、醬油と共に混ぜて鹽気を足した。


 続いては馬肉の李果醬スモモジャム添えだ。馬肉は色から桜肉とも称される。鮮やかな朱鷺色ときいろの赤身に、紅玉を想わせる果醬ジャムがかかっており、さながら華やかな装束と宝玉を纏った貴人だ。


美麗うるわしいわ」

「ええ。美味しそうね」


「こちらは火鍋になります。お好みの焼き加減になったら皿に盛り、こちらの果醬ジャムをおかけください」


「まあ、素的」


 桌子に置かれた火鍋に次々と火を点ける。上で焦げつくような美味の音を奏でる赤身が、繊維の一本まで熱を享け、肉汁を湛えはじめる。輪郭は茶色く焦げ目を帯びるが、中は朱鷺色を保っていた。浄らかで甘い馨りが、人々の胸をくすぐった。

 そろそろ焼きあがる頃、皿に盛った肉に数名が果醬をかけた。果実特有の色沢つやが肉の上を滑り落ちる。


「ん、柔らかい」

「歯など要りませぬな」


 人々が次々に歓声をあげる。饗宴もいよいよ収斂しゅうれんだ。


「強飯で御坐います。昆布と共にお召し上がりください」


 茶碗に盛った強飯を各々の桌子つくえに搬ぶ。歓声をあげたのは大陸の皇后だった。


「美味しそうだわ。弥和国の米は美味と評判だから、娯しみにしていたの」


 大陸の米と弥和国の米は細かながら差異があると聴く。蓉子はいっさいそんなつもりなどなかったが、口に合うぶんには良いだろうと割り切った。


(饗宴がうまくいって良かった)


 人間万事塞翁が馬。好きことの次は悪きことが廻ってくるのが道理だ。

 何故なら此処は、弥和国の都。絶ててぬ禍根は、幾度も蘇る。



    ◇



 これにて「平安毒鬼姫の雅なる施し」第二章は終了です。

 ご愛読ありがとうございます。


 ここで一度、数週間ほど連載を休止させて頂きます。

 吾輩の「Lucina」としての活動の想定以上の反響に、もっと歌い手として伸びたい、努力したいという思いが強くなったためです。

 現在のところ、チャンネル登録者数は60人、チャンネル総再生回数は47,000回という数字を頂いております。グループの活動も始まり、歌い手としての活動が徐々に夢物語や遊びではなく少々ばかりの本気さえ帯び始めた今日この頃、吾輩は月兎アリスとLucinaの同時の成立に難しさを憶えていました。しかしどちらも辞めたくはない。歌い手活動が成長期に差し掛かったので、数週間ほど、歌い手「Lucina」としていさせてください。

 カクコン開始までには帰する予定です。


 第三章の題材は「大陸」

 大陸に拘わる様々な事象が登場します。果たして蓉子は、異国の理を、己の智識を以て解くことができるのか。


 これからも「平安毒鬼姫の雅なる施し」をよろしくお願いいたします。

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