4-7

 海辺の公園を二人歩く。

 歌音はカジュアルなジーンズにTシャツ姿だ。昨日僕が思い出したワンピース姿の歌音とはだいぶん雰囲気は違っているから、正直に言えば違和感はぬぐえない。


「お店はこの辺ですか」

「もう少しだよ。あっちの方にいくつかお店が点在してるから」


 歌音は楽しみであるのだろうけれど、やっぱり浮かべているのはせいぜい微笑どまりで、僕が覚えているようなはっきりした笑顔は見せていなかった。笑わない女と言われていると言うのも少しわかる気がする。


 もっとも全く笑顔ではないというほどでもなく、表情があまり表面に出ないタイプのようにも思えた。たぶん内心が顔に出にくいから誤解されているのだろう。


 だからこそ僕がうまく寄り添っていければ、笑顔を取り戻すかもしれない。

 そんな気持ちを抱きながら、僕は洋食店の方へと向かう。


「こんな風に一緒に歩いていたら、まるでデートみたいだね」


 思わず口にしてしまった台詞に、歌音が驚いた表情で僕を見上げていた。

 あれ、何かまずいことを言ってしまっただろうか。


「デート。デートですか。確かに男女がふたりで待ち合わせして、こんな風に一緒に歩いていたら、デートなのかもしれません」


 歌音は急に何かを考え込んでしまったようで、その場に足を止めてしまう。


「ご、ごめん。なんか嫌だったかな」


「いえ。そういう訳じゃないんです。特に意識していませんでしたが、確かにそうだなって思いまして。私から誘っておいて何ですが、私なんかとデートしたら拓海さんに迷惑じゃなかったかと」


「いや、そんなことはぜんぜんないよ。歌音とデートできるなんてむしろ光栄だというか、めちゃくちゃ嬉しいけど」


「そうですか? 私、男の子にはまったく人気ないですよ。話しかけてくる人いませんし」


 歌音は不思議そうな顔で僕を見つめていた。


「いや、それは君が可愛すぎるせいで、高嶺の花的に扱いされているんじゃないかなぁ」


 思わずいつもの感じで答えると、歌音の顔が少しだけ紅く染まる。


「お世辞がうまいですね。拓海さんは」

「いや、お世辞じゃなくてね。本音なんだけど」


「まぁ、いいです。褒められたのですから、ありがたく受け取っておきます」


 淡々と応える歌音だったけれど、少しだけ僕から目線をそらしていた。

 やっぱり何かまずいことを言ってしまっただろうか。


「とにかくおなかがすきました。はやく目的のお店にいきましょう」

「そうだね」


 せかす歌音に応えて、それからまた歩き始める。

 ホットドッグのキッチンカーが先に見えてきていた。洋食店は、そこから少し公園を外れた先の方にある。


「そういえば歌音が覚えているかわからないけど、このお店で前に一緒にホットドッグを食べたような気がするんだ。記憶にないかな」


「ホットドッグですか。あんまり覚えてはいませんが、何か手がかりがあるでしょうか。ちょっとだけ覗いてみましょうか」


 歌音は少し遠目から覗くようにしてホットドッグの店を眺めていた。


「メニューにソーセージとありますが、どうみてもハムですね。これ。ホットドッグっていえば、ソーセージだと思っていたので、なんだか珍しい気がします」


 歌音はあまり表情には出さずに、それでも興味があるのかじっと見つめていた。

 やっぱりハムのホットドッグが珍しく感じているようだったけれど、でも僕の記憶の中の歌音はもっと大げさに驚いていた気がする。やっぱりどこか違和感をぬぐえない。


 歌音は性格的にも、実際に驚いていたとしても、やっぱりこんな風に淡々としていそうだなとも思う。それはそれで可愛らしいとは思うのだけど、僕の記憶の歌音とは一致しない。


「でも記憶にはないですね。覚えていません。ハムのホットドッグなんて珍しいから絶対覚えていそうなんですけどね」


「そうか。うーん、じゃあ違ったのかなぁ」


 歌音には全く何も響いていないようだった。やっぱり僕の記憶違いなのかもしれない。

 もしかすると僕は勝手に歌音を理想の女の子にして、自分の妄想を作り上げているのではないだろうか。自分の記憶も曖昧なだけに、そうではないとは言い切れなかった。


「まぁ、今日はとにかくまずオムレツです」


 歌音はささやかに笑う。

 ほんの少しだけ口角を上げて、はっきりと見ていなければ気がつかない程度の笑顔。どこか儚げにすら感じる彼女は、綺麗だと思うけれど、どうしても違和感をぬぐえなかった。


 でも今それを考えていたとしても仕方が無い。とにかく洋食店に向かおう。


「食事にはちょうどいい時間ですしね」


 歌音がそう言いながら手にしたのは懐中時計だった。あのとき残していたものだっただろうか。


「あのときの?」

「はい。祖母のものだけど、使わせてもらうことにしました。って、あれ」


 懐中時計をじっとみつめて、それから小さく息を吐き出す。


「時間止まっちゃってました。ちゃんとネジを巻かないと」


 言いながら懐中時計のネジを回し始める。

 ジリジリと小さな音を立てて、それから時計の針が回り始めていた。 


 その瞬間だった。

 歌音のスマホが音を立てて着信を知らせていた。


「あ、お母さん。どうしたの」


 歌音が自然に応える。だけどそれは少しのことで、みるみるうちに顔色が変わっていく。


「そんな。なんで。なんで。ううん。わかった。すぐ行く。急いで行くから」


 歌音は電話を切ると、すぐに僕に頭を下げる。


「ごめんなさい。急用が出来ました。どうしてもすぐ戻らなければいけないので、今日はここで終わりとさせてください」


「え、いったいどうしたの」


「それは」


 歌音は何か少しだけ考えているようだった。だけどすぐに僕へと口を開く。


「私には姉がいる話はしたことあったと思います。入院しているって。……たった今、容態が急変したって連絡がありました。だから病院に行かなきゃいけないんです。ごめんなさい」


 歌音はそれだけ告げると、僕の返事も聞かずに駆けだしていた。


「あ、まってまって」


 僕はあわててその後ろを追う。だけど歌音は止まらなかった。

 僕は歌音の手をとって、彼女を止める。


「ごめんなさい。急がなきゃいけないんです」

「まって。だったらそっちじゃない。市民病院だよね。なら近道がある」


 歌音は僕の言葉に驚いた様子をみせるけれど、すぐに言葉の意味を理解したのかうなずいていた。


「わかりました。案内してください」

「こっちにいけばすぐに公園からでられる。そこから直通のバスもでてるし、タクシーもたまになら通る。急ぐならこっちにいった方がいい」


 僕は言うなり、すぐに歌音をひっぱって走り始めた。

 幸いすぐにタクシーが通りかかった。僕はタクシーを止めて、二人で乗り込む。


「ありがとうございます。でもなんですぐに市民病院だってわかったのですか。大きな病院は他にもあるじゃないですか」


「え、それは君が前に案内してくれたから」

「私が?」


「え、いや、うん。なんか変だな。なんで病院に案内してもらったと思ったのだろう。でも確かに君が市民病院に連れて行ってくれたはず」


「……なんとなく。私達が失った記憶の正体がわかった気がします」


 歌音は静かな声でつぶやいていた。でもその声が震えているのは、気がついた記憶の正体があまりよくないものだったのだろうか。


「それなら、病室まで一緒にきてください。詩音に会ってください」

「……わかった」


 彼女の姉に僕も会わなければいけない。どこかでそう感じていた。だからこそ僕も一緒にタクシーに乗り込んでいたんだ。

 そうだ。僕は忘れている。大事なことを忘れている。


 いまその正体に近づいてきていることを実感していた。

 詩音。その名前を聞くだけで、僕の胸の中が震えていた。


 まだすべてを思い出してはいない。

 でも、そうだ。そうなんだ。僕が記憶していたのは、きっと歌音じゃない。


 僕が待っているのは。

 心の中でつぶやくと、僕は財布からお札を何枚か用意しておく。もともとオムレツをたべるつもりだったから多めに用意していた。


 病院につくなりおつりはいらないといって飛び出す。

 歌音も何も言わずに僕の後をついてきていた。


 僕は歌音に案内されるまでもなく、三階へと駆け上がっていた。

 三〇七号室。そこに「文月詩音」の名前が書かれていることを見つけていた。

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