第4話 フルスロットル!
『加速できるか!?』
「了解……!」
クリスさんの叫びに応え、俺はアクセルをめいっぱい踏み込む。
増速。
オォウッ!!
角と牙を生やした巨人たちは、左右に跳んでクルマの突進を避けてみせた。
サイドミラーに、こちらを追って猛然と駆け出す巨人たちの姿が見えていた。
それに背中を蹴られるように、ただひたすらにかっ飛ばす。
雪道ではあり得ない乱暴な運転。日本なら一発
「……ああもう! ゴールド免許だけが自慢だったのに!」
『な、何かまずかったか!?』
「異世界だからセーフです多分!」
大声で軽口を叩くのは、込み上げる恐怖を振り払うため。
巨人たちが持っていた剣の鈍い輝きが、殺意に満ちた目の奥の炎が、脳裏で蘇って肌を
『エイジ、気を強く持ちなさい! 呼吸を深く! 見るのは前だけでいい!』
俺が
『視界は悪いが、ここからはしばらく直線が続く!
どれだけ飛ばそうが道を外れる心配は無い!
このキャン……ピング? カー? を最速で走らせることだけを考えろ!』
「は、はい!」
『
クリスさんも焦っているらしく、叫ぶ顔色がひどく悪い。
そんな彼女に、俺はこわごわ
「あの巨人も魔物なんですか?」
『魔物ならどれだけ良かったか』
「?」
『あれは≪オーガ≫! 人と変わらぬ知性を持つ
魔王に
「そんなのが何でここに!?
そういう精鋭ってあんま
『わからない!
わからないが、最悪の事態であることは間違いない!
魔王に与する者たちが異世界人を捕らえれば、四肢を切り落とし、魔術で洗脳を施して、命じられるまま≪スキル≫を使うだけの存在に改造するという。
だからキミは逃げねばならない! 絶対に!』
語られるあまりに悲惨な未来図に、俺はつかの間、呼吸さえ忘れる。
『……エイジ』
そんな俺にかけられる、クリスさんの声は優しかった。
優しくて、それでいて力に満ちていた。
未来図が頭から吹き飛ぶくらいに。
見れば、クリスさんは立ち上がっていた。
魔力で作った立体映像の膝から下をシートにめり込ませ、決意を宿した瞳が俺を射る。
『今から15分……いや、10分だけ逃げ延びてくれ』
「クリスさん?」
黒いデイドレスの裾を翻す彼女の手には、いつの間にか剣が握られている。
『召喚師長が≪空間転移≫の魔法でもってキミをここへ飛ばしたこと、覚えているな?
もう一度、あれを使わせる。
ああ。ヤツの執務室に斬り込んででも、私をここまで飛ばすよう命じるさ』
「クリスさん!?」
『大丈夫。地位はともかく、真っ向勝負では私の方が強い。
ヤツは嫌とは言えん』
「でも、クリスさん」
『すぐに行く。エイジ、どうか武運を――』
「いえ、クリスさん」
と、俺はサイドミラーを指差す。
オーガたちをとっくに置き去りにして、雪しか映さぬサイドミラーを。
「とりあえず、あいつら振り切ったんで……早まらないでほしいかなって」
『え?』
クリスさんが目を丸くした。
俺ももう一度後ろを確かめ、速度を落とす。
90キロほどを示していた計器の針が、50キロ強へとその向きを変える。雪道だからもう少し落としたいが、追われているなら急ぎ足の方がいいだろう。
『え、振り切っ……え?』
何を言われたのかわからないらしく、サイドミラーと車外を何度も見回すクリスさん。
慌てていたせいか、ホログラムだとクルマがどれくらいの速さで走っているかわかりにくいのか……
クリスさんは「信じられない」といった顔で、恐る恐る俺を見下ろし、
『な、なぜ逃げ切ってる?』
「何故と言われましても」
『オーガは100メートルを10秒で走るんだぞ!?』
「このクルマ、4秒くらいで走りますし」
「4秒!?」
クリスさんは悲鳴じみた声を上げつつ、飛びつくように窓の外を見る。
……気になったんだけど、この異世界人、いま『メートル』とか『秒』とか言った? てことはこの世界は、地球と同じ単位法が使われてるのか。何でまた? 状況が落ち着いたら教えてもらおう。
そんなことを考える俺をしり目に、クリスさんは流れていく景色のスピード――今は100メートル6秒の速度だ――を
『確かに……馬を駆けさせているときと変わらん。いや、それ以上だ。
気がつかなかった。エイジばかり見ていたから……』
そんなこと言われたら照れてしまいます。
『し、しかしエイジ!』
戸惑うこっちの気も知らず、クリスさんはなおオロオロしながら、
『これほどの速度を出し続けて、クルマは持つのか!?
こんな走り方をさせたら、どんな名馬でも半日で
「まる一日走ってもビクともしません」
『
「……ですね、
まる一日だと俺の方が参っちゃうから、3時間おきに15分くらい休憩を」
『ク・ル・マ・が! 壊れないかと
「高校の先生が――あー、このクルマのモデルになったモノの持ち主が言っていました。
地球人類が発明した自動車という構造体は、長距離走行用機構の物理的最適解なんだそうです。二足歩行生物が追いつくのは無理です。
うちの星の
『そんな壮大なことを言われたら……信じるしかなくなってしまう……』
クリスさんはほとんど放心したように、がっくり脱力して天を仰いだ。
21世紀前半を生きる地球人からすれば
ついでにハンドルを指先で叩いて、内心、我が愛車に語りかける。
ありがとう相棒。お前がしっかり走ってくれるから、異世界の騎士さんがリラックスできたみたいだよ。俺も生きられそうな感じだし。
あとはスリップにだけ気をつけて――
「………」
瞬間。
俺は無言で、再び思い切りアクセルを踏み込む。
噴き出す冷や汗を置き去りにするように、全力で相棒を加速させる。
『どうした!?』
今度は迅速に異変を察知し、車外に目をやるクリスさんが――息を呑む。
彼女にも見えたのだろう。サイドミラーに映る影。
オーガたちだ。
変わらぬ殺意で剣と瞳を輝かせ、後方から猛然と距離を詰めてくる。馬みたいに、いや、馬より大きな狼らしき
『馬鹿な! あんなものまで……!?』
クリスさんが愕然と叫ぶ間にも、後続の姿が次々とサイドミラーに現れる。
数は十か、二十か――それ以上。
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